第5章 強欲の対価
97.届いた手紙の波紋は
いつものように服を脱いで、アクセサリーを外す。首飾りを普段通り撫でてから収納へしまった。豊満な胸を飾るプラチナの鎖は、大切な主からの賜り物だった。功績の褒美として強請った首飾りは、当時口さがない魔族に「首輪」呼ばわりされた。
「首輪をもらうなど、始祖アスタルテの名も地に堕ちたものだ」
揶揄された言葉を思い出して口元が緩む。あの時、私はこう答えたのだったか。
「首輪? それすらもらえぬ犬が何をほざく」と。
あの方が魔王陛下となられ、至高の地位に就いた途端……手のひらを返した貴族たち。しかし甘言を弄しても、あの方の心が動くことはない。忠義を捧げた数人の側近以外、我が君は信用しなかった。誰よりも側にいられる側近として、私が賜った首飾りは誇りなのだ。
わずかでも我が身から離すならば、他者の手が届く場所に置く愚は犯さない。奪われたら命がけで詫びても足りない。ましてや今はあの方が手の届くところにおられないのだから……。
この1年間、あの方の痕跡を探してククル達を動かした。魔王の地位を維持するべく側近総動員で働き、ようやくあの方1人分の働きに届かない程度だ。溜め息をついて、風呂に身を沈めた。
僅かな睡眠と風呂だけが寛げる時間だった。疲れを解すように手足を伸ばし、広い石造りの風呂を見回す。誰もいない深夜の静けさに、ぽつんと落ちる水音がやけに大きく響いた。
2日に一度、必ず報告書を仕上げる。忙しい業務の合間を縫って書く報告書を、あの方の収納にある指輪へと送り続けた。行き先不明になったあの方の私室に、魔法陣が使われた痕跡はあったが……追えなかったことが悔やまれる。
強大な魔力の消失に気づいて飛び込んだ部屋は、結界すら張られていなかった。消えゆく魔法陣に刻まれた初見の座標指定は、読み取る前に消失する。複写もできず、崩れるように座り込んだ私は、近くに落ちたマントに手を伸ばした。
直前まで身に着けていたのか、わずかな温もりが残るマントを抱きしめて……絶叫した。駆け付けたククル達が必死に痕跡をたどるも、状況は何も変わらない。世界中を探しつくし、この世界から消えた事実を知るのに半年。今もこの状況を「留守にしているだけ」と誤魔化さなくては正気を保てなかった。
報告書はあの方へ届いているのだろうか。
弱気になった自分を嘲笑い、頬をぱちんと叩いて気持ちを引き締める。この身も心も捧げると誓った主を見失うなど、吸血鬼の始祖たる自尊心が打ち砕かれる衝撃だった。
「我が君らしい」
誤解を招くような口調と言葉、なのにどこまでも優しく他者を気遣う――残酷に振舞うならば、誰より惨い行為も厭わない。自らを汚しても毅然と立つ姿を脳裏に浮かべ、湯から上がった。長い髪を肌に張り付け、水の魔法で乾燥させてから服を纏う。
身だしなみを整えると、いつもと同じ行動をとった。収納魔法の亜空間へ手を入れ、がさりと指先に触れた紙に驚く。反射的に手を引き抜き、手を何度も握りしめる。
収納魔法でしまったものを指定して手を入れれば、他の物が触れるはずはない。完全に分類されたはずの亜空間で、首飾りを取り出そうとしたのだ。紙はどこから来たのか。なぜ触れるのか……次の瞬間、慌てて手を突っ込んだ。
首まで入れそうな勢いで首飾りと紙をつかんだ。封筒と一緒に取り出した首飾りを、震える手で素肌に乗せる。留め金をかけたあと、震えの止まらぬ手で封筒を裏返した。
「あ……っ、ああ。生きて、おられ……た。あああっ」
あふれる涙と声が響き、左手の指を噛んで声を殺す。震える手に血が伝った。全身が震え、牙を突き立てた指が赤く染まる。鉄さびた臭いに気持ちを落ち着けながら、大急ぎで服を纏う。もう眠る予定だったが、仕事用のドレスを纏うと緊急招集をかけた。
「大至急、執務室へ」
必要とする3人の下へ魔力を乗せた声が送られる。ククル、バアル、アナト――彼女たちも駆けつけるだろう。朗報である封筒を握りしめ、アースティルティトは城内にも関わらず転移魔法を使った。
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