92.城は滅ぼしてよい。都の人間は使い道がある

 見つけた役人の屋敷を襲撃したリリアーナは、真っ赤に濡れた手足を噴水の水で洗う。すぐに染まった赤い水が噴きあがる噴水の縁に腰掛け、先ほどまで遊んだ人間を見下ろした。建物に近い位置にある噴水は、数段の階段を上った庭に置かれている。そのため縁に腰掛けると視線の位置が高くなった。


『こちらは終わったぞ』


「マルス、私も終わった」


 マルコシアスの大きな身体が音もなく、軽やかに駆け寄る。灰色の毛皮も白い首周りの毛も返り血で赤いが、彼にケガはなかった。戦闘に参加したことで、リリアーナも機嫌が上向いている。


 器用に人間を踏まずに近づいたマルコシアスは、ぐるりと屋敷の庭を見まわして喉を鳴らした。


『……さすがはドラゴン殿よ』


「上手に出来た」


 嬉しそうに笑うリリアーナは竜化した腕で、がしがしとマルコシアスの喉を撫でる。ドラゴンの力は強大だ。手加減が難しいほど、人間との実力差は顕著だった。


「誰も死んでない」


 手足を千切ったり、あちこち爪で切ったりしたが、致命傷を与えないよう調整した。前回も今回も、自分に命令がなかったのは「殺したらマズイ」から。そのくらいは彼女にもすぐわかった。殺してもいい時は、あの蟻を踏み潰した荒野のように自由にさせてくれる。


 細心の注意を払って殺さないように調整した理由は――サタンがそう望むから。それだけ理解できればいい。難しいことはサタンが考えてくれる。命じてくれたら、どうしたらいいのか教えてくれたら、その通りに戦うのが自分の役目だと理解した。


 全滅させても構わない戦場なら、リリアーナを直接戦わせてくれるはず。ワンピースに飛んだ返り血も、水に飛び込んで洗い流したリリアーナは濡れた髪を乾かしながら、マルコシアスの背に飛び乗った。


「この方が楽」


 ぐるると喉を鳴らしたが、マルコシアスはリリアーナを振り落とそうとしない。走り出した彼の背中で、鬣のような金髪が揺れた。少しすれば、狼に追われて逃げ込んだ人々が見えてくる。石造りの砦に隠れた人々をそのままにして、リリアーナは街道が続く先を指さした。


「まだ行く! あっちの都、壊す」


 命じられたのは、グリュポス国の滅亡。かの国をサタンに捧げ、褒めてもらうまで止まることはない。駆けだしたマルコシアスを追って、群れがいくつも合流してきた。返り血を浴びた個体はいるが、損害はない。誇らしげに報告するマーナガルスの鳴き声に、マルコシアスが応えた。


 魔狼や銀狼の群れは街道を駆け抜け、腐った臭いが漂う壁の前へ到達する。


『……死骸か』


「これ、こないだ運んだ。サタン様に、逆らった奴、全部捨てた」


 にっこり笑うリリアーナは、腐臭を気にしていない。運んだのは腐る前だが、魔狼やドラゴンが住まう雪深い山と違い、地表は暖かかった。これからの季節、さらに気温が上がっていくだろう。腐敗の速度は速く、都を囲う形でばら撒かれた万の兵は恐怖だけでなく、病や腐臭をばらまくのだ。


 放置しても都は遠からず滅びる運命にあった。だからこそ、彼らに降伏の機会を与えたが……人間ごときに魔族の王の高貴な気遣いは届かなかったらしい。


「リリアーナ」


 頭上に感じた魔力に顔を上げたリリアーナは、聞き慣れてきた耳に心地よい声に目を輝かせた。


「サタン様! 私、頑張った」


 マルコシアスの背中で翼を出し、そのまま舞い上がる。空中でドラゴンの姿に変化したリリアーナは、空中の魔法陣に立つ主人へと近づいた。ぎりぎりの位置で止まり、鱗に覆われた鼻先を撫でてもらう。一緒に現れたグリフォンは見えないフリで無視した。


「成果は後で報告しろ。城は滅ぼしてよい。都の人間は使い道がある」


 城の中に残るのは、立てこもる特権階級の王侯貴族だろう。彼らは不要だ、遠慮なく滅ぼせ。わかりやすく命じれば、ドラゴンは喉を鳴らして尻尾を振る。振り返った先に見える城へ加速し、立派な建造物をその巨体で叩き潰した。

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