88.一方的な蹂躙に作戦は不要だ

「グリュポスが攻めてきます」


 開戦の予兆を並べたメモを片手に、アガレスは淡々とした口調で報告する。書き終えた手紙に封をしながら顔をあげ、口角を持ち上げた。目の前に立つ宰相の表情は、とても他国に攻め込まれる寸前の国の人間には見えない。楽しそうな顔で軽く首をかしげて待つ男へ、手にしたペンを置いて尋ねた。


「その割には嬉しそうだな」


「ええ、やっと補償金の回収ができそうですから」


 グリュポスが一方的に奇襲した戦で傷ついた民への補償は、魔物の毛皮や角を売却した金で補っている。狩るたびに褒められるリリアーナが奮起した結果だった。肉は国民たちの食糧として消費されるため、余った毛皮や角、翼は不要となるのだ。


 冒険者や騎士が狩る魔物は、リリアーナが仕留める獲物と格が違う。上位の魔物を苦もなく仕留めて戻るドラゴンのおかげで、人間が入手困難な毛皮や角は大量にストックされた。角は貴族のアクセサリーや武器の装飾に使われる。翼も装飾品に、毛皮は衣服や絨毯として重宝される品だった。骨も使い道がある。


 まさに捨てる場所がない貴重な魔物を狩るリリアーナは、現時点で国庫に対し多大な貢献をしていた。本人に自覚がないのが不思議なほどだ。彼女にしてみたら、肉以外に価値を見出すことはないのだろう。あくまでも餌に過ぎないのだから。


「国庫が潤うのはよいことだ」


 民の生活を豊かにするために、畑を作り牧畜を飼う。それらの土地を確保して安全に農作業ができるよう塀を作る作業は、国民自身が行う公共事業だった。公共事業を行うには金が要る。発注した国が払う賃金は、生きた金となって市場を活性化させるだろう。


 働く場所があり、仕事があれば人が集まる。集まった人々は、周辺で買い物をして宿を使い、食堂で金を使うはずだ。その金は仕入れや設備投資へ回され、町中が潤っていく。本来の金の使い方とは、こういったものだった。


 溜め込んで淀んだ資産など、何の価値もない。だから集まった金は遠慮なく使うよう、アガレスにある程度の決済権を持たせた。彼は潤沢な資金を公共事業につぎ込み、壊された塀を修繕して焼けた家を建て直した。


 狭い道を広げるために区画整理を始めた報告書を読みながら、彼の次の言葉を待つ。


「戦に関する権限は魔王陛下のものです。いかがなさいますか?」


 どう手を打つのか。すでに手は考えているくせに、お伺いを立てる狡猾な配下は好ましい。無策なくせに似た尋ね方をした魔族の首をねじ切った過去を思い出した。手元の書類に承諾の署名をして、顔をあげる。


「過剰戦力すぎて、誰を使うか迷う程度だ」


 戦ですらない。一方的な蹂躙に求められるのは、滅ぼしすぎないための施策だった。リリアーナやクリスティーヌが出れば、手加減ができない。言い聞かせれば、オリヴィエラは調整できるが……また彼女を使えば、リリアーナが拗ねるだろう。


「どの駒も悩ましい」


 一長一短、どの一手も強烈すぎて加減が難しかった。ふと、森の魔狼達の存在を思い出す。契約した彼らなら、人間相手に使う駒として問題が少ない。ならば試してみるのも一興だ。


 思いついた作戦で、彼女らの教育も行えるとあれば一石二鳥――長い指を組んで顎を乗せ、回答を待つ宰相へ命令した。


「戦の間、民を城へ集めよ」

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