85.幼子から見える国の現状

 青ざめたのは侍女だ。リシュヤが認めて出入りさせているなら、彼女は穢れなき乙女なのだろう。頬にそばかすが目立つ少女は、お仕着せ姿で駆け寄ると、勢い良く頭を下げた。ようやく見つけた働き口を失うわけに行かない。


「も、申し訳ございません。すぐに連れて行きます……フラン、こっちへ」


 足にしがみついた幼子の手を取って引き剥がそうとするが、子供は嫌だと首を振ってさらに抱きついた。見下ろす先の幼女は、食事配布の列に並んでいた子だ。貧しさから優しい気持ちを失った民にはじき出された子は、列の外で泣いた。それを抱き上げて食事を与えた記憶がある。


「ダメよ」


 慌てる侍女は、黙っているオレが怒ったと考えたようだ。無理やり手を引っ張り、幼女は泣き出してしまった。


「構わぬ、好きにさせよ」


 侍女が後で咎められぬよう理由を与え、幼子を抱き上げる。嬉しそうに笑う彼女は、ぺたりと首筋に手を当てた。何をするのか見ていると、頬に触れたかったらしい。少し屈んでやれば、小さな手で頬に触れた。


 子供の手は温かいものだと思ってきたが、この子はひどく冷たい。髪や肌の状態を見ても栄養失調の名残はあるが、かなり改善されている。


「フランというのか」


 彼女自身から理由を聞こうと声をかければ、幼女は大きく頷いた。それから手で必死に指を動かす。右手の小指と薬指を折りたたみ、残りの3本を立てて目の前に突きつけた。なんとも器用な数字の示し方だ。


「しゃんしゃいになった!」


 言葉が不鮮明な理由は、歯並びの悪さが原因だった。今までの環境が悪かったため、乳歯がきちんと生えていない。がたがたの歯は隙間だらけで、あちこちから空気が漏れてしまう。抜けたのではなく、栄養が足りずに折れたのだ。今後の食生活が改善されれば、永久歯に生え変わる。


 無邪気に笑う幼子に尋ねた。


「今は幸せか?」


「しやわせ? わかんない」


 表現が幼く、こちらの言葉を理解できないのは、彼女に愛情を持って話しかける人間が少なかった弊害だ。捨てられた子供を回収して死なせないだけで、必死だった孤児院の状況が手に取るように伝わった。


 この国の貧しさも、文盲の多さも、すべては前国王のが原因だ。この子供や孤児が飢えたのも、アガレスやマルファスの才能を殺したのも、すべて前国王と側近の愚かさだった。あのまま放置したら、他国に攻め滅ぼされる前に自壊しただろう。


「何か欲しいものはあるか?」


 まだ物も満足することも知らない哀れな民に、執政者として尋ねる。


「ご飯たくさん! 寝るとこある、あたかいお湯も」


 一通り足りていると告げる彼女は、綿のワンピースを着ていた。ロゼマリアが身につける絹ではないが、きちんと洗濯された清潔な衣服を纏い、歯の抜けた口を開けて笑う。その姿は言葉以上に幸せそうだった。


「あ、あの……陛下。泥が」


 侍女は恐る恐る進言する。言われて気づいたが、幼女は泥遊びをした後だったらしい。手足は泥がついていた。その手でぺたぺたと触れたため、頬や服に泥が付着している。侍女にしてみたら失態だと頭を抱えたくなる状況だった。


「構わぬ。オレが民と触れ合うのに、汚れを気にしてどうする」


 腕の中の子ごと魔法で浄化する。泥の汚れも、身体の汚れもすべて落としてから、幼女を侍女に直接抱かせた。滅多に抱いてもらえないのか、幼女は嬉しそうに首筋に顔を埋めて甘える。


「子供は国の宝だ。ある程度の年齢までは甘やかして育てろ」


 後で通達をリシュヤに出しておく。それだけ伝えると、今度は料理人たちに向き直った。戻ってきた彼らは、大急ぎで仕込みを始める。肉を叩いて柔らかくし、一口大に切ってスープに放り込んだ。野菜を入れて味を調整する姿に、ひとつ溜め息をついた。


 野戦料理と変わらぬレベルだ。これでは子供が好んで食べる味にはなるまい。この国の食生活は全体に貧しいが、改善にオレが手を出す余裕がない。こういった場面ではククルが役立つのだが……。


 いない者を欲しがっても仕方ないと首を横に振り、料理人たちに指示を出した。

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