77.一度に手札を切らぬのが上級者だろう

 ライオネスは言葉の意味を捉えかねた様子で、わずかに首をかしげる。怪訝そうな表情に、分かりやすい言葉でもう一度繰り返した。


「理解できぬか? 弓引いた者達は


「全員、ですか?」


 あれほどの数を殲滅したのか。問う響きはかすれ、声は震えていた。だからこそ、この状況を効果的に利用しなくてはならない。足に縋るオリヴィエラの髪を一房指先で弄びながら、そのまま彼女の頬を撫でてやる。視線を向けなくても、ロゼマリアが頬を染めるのがわかった。


「一方的に攻め込んだ兵をどう処分しようと、我々の自由でしょう。そもそも宣戦布告もない戦闘行為を仕掛けられたのです。国旗を揚げようと、賊に過ぎません」


 兵士として捕虜にする義務も、階級持ちを厚遇する理由もない。略奪を目的とした賊扱いで切り捨てたアガレスは、怖ろしいほど冷めた声で事実を並べた。


「陛下がお留守であったため、国民に多少の犠牲が出ておりますが……幸いにしてのオリヴィエラ様が身を挺して守ってくださいました。ああ、貴国の旗のモチーフはグリフォンでしたね」


 己の国の象徴に弓引いたと匂わせ、アガレスは一度口を噤んだ。すべてのカードを一度に切る必要はない。グリュポスはもう手のひらの上だった。彼らに単独で生き残る道は残さない。


 見回した大広間の中、ライオネスを睨みつけるマルファスの素直さに、今後の課題を見つけた。他国との外交で、演技以外の表情は不要だ。礼儀作法だけでなく、そちらの教育も施すようアガレスに指示することを決めた。


「っ……そ、そうですな」


 さすがにここで反論するほど愚か者ではないか。王弟として受けた教育が、驚愕と恐怖に震えるライオネスをかろうじて支えた。


 息を飲んだ男に視線を戻し、駆け寄る魔力に気づいたオレは口元を緩める。意外だが、本気で走るとクリスティーヌは足音を立てない。普段はぺたぺたと歩く癖に、サンダルを手に持ってドレス姿で飛び込んできた。その勢いのまま場の空気を読まずに階段を駆け上る。


「サタン様、命令、終わった」


「ご苦労。リリアーナはどうした?」


「リリ姉さま、今来る」


 にっこり笑うクリスティーヌの語尾に、ばさりと羽音が重なった。続いて彼女が巻き起こした風が、庭の木々を揺らした。思わず振り返った使者達の目に飛び込んだのは、天災級と謳われる黒いドラゴンだった。


「ひっ! ドラゴンだ」


「気にせずともよい、この程度は日常だ」


 説明する声が聞こえない外交官の一人が頭を抱えて蹲る。ライオネスは咄嗟に腰に手を当て、入り口で剣を手放した現状を思い出して青ざめた。


 魔族の中でも最強種のドラゴンは、羽ばたきひとつで城を揺らす威力があった。大きく揺れた枝が壁を叩き、窓枠が風の強さに悲鳴をあげる。がたがたと乱れた気流に翻弄される音がやみ、庭へ続く硝子戸が開いた。


「サタン様っ! オリヴィエラ、邪魔」


 背に翼を生やしたまま、高い天井の下を飛んでくる。白いドレス姿のリリアーナを手招くと、真っすぐに玉座の足元へ降り立った。背が大きく開いたノースリーブのドレスは、羽の動きを可能にする。


 ばさりと音を立てて下りたリリアーナは、足元にぺたんと座り、オレの膝に頭を乗せた。長い金髪に手を置くと、尻尾が左右に振られた。玉座へ上がる階段に長く垂れる尻尾も、背の羽も、肌に残した鱗すら魔族の象徴だ。もう少し力をつければ、角も生えてくるはずだった。


「言われた仕事、した。死体は、


「よくやった」


 驚いたマルファスと違い、彼女らに人間の教育は必要ない。魔族である以上、逆に邪魔になるだろう。力がすべて、揮う力が強ければ正義――彼女らはそれでいい。素直に真っすぐに振る舞う少女は、今のままで十分に使えた。演技を教え込むより、素で演技以上の効果を狙うのが飼い主の腕の見せ所だ。


 ぐりぐりと頭を膝の上で揺らして甘えるリリアーナの隣で、クリスティーヌが羨ましそうに指を咥えた。手招きすれば、隣からそっと頭を乗せて微笑む。愛玩動物の飼い方がようやく分かってきた。互いに嫉妬するゆえ、ある程度公平に相手をしてやらねばならぬ。


 非常識なバシレイアの玉座事情に、グリュポスの王弟も外交官達も言葉を失った。女性を玉座の足元に上げることはもちろんだが、王女ロゼマリアを除き、全員が人外だ。ドラゴンを従える王など、人間が想像する範疇を越えていた。

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