46.命令に従わない配下は不要だ

 剣先は銀色に光を弾く。後ろでリリアーナが唸るのが聞こえた。


「リリアーナ、動くな」


 命じておかねば相手の用件を聞き出す前に、ドラゴンになぎ倒される。すでに竜化した腕で姿勢を低くしていたリリアーナが、困惑した様子で後ろに下がった。同様にクリスティーヌも一歩下がる。互いに手を繋いでいる姿は、怯える少女そのものだった。


 彼女達の幼い仕草に、男がふっと緊張した面持ちを和らげる。どうやら彼女達に危害を加える気はなさそうだ。男が一歩踏み出せば、鋭い剣先がオレの首か顔に突き刺さる位置で様子を窺う。


「お前は魔王なのだろう? ならば大人しく死んでくれ」


「断る」


 用件が分かった上、交渉の余地はないと踏んだオレが一歩足を踏み出した。驚いた男が思わず下がる。空いた距離の分、さらに足を進めた。戦いの場で一歩でも下がれば、あとは前に出られなくなる。こんな基本的で初歩の教えすら受けていない男へ、一気に距離を縮めた。


 左手を剣の先に沿わせて受け流し、近づいた男の腹部に右の拳を食い込ませる。ぐっと息をつめた音とともに、男が崩れ落ちた。おそらく魔王を倒せば平和になると吹き込まれたのだろう。問題は誰が後ろで手を引いたか。操る者の存在だった。


 この世界でも魔王と戦い勝利すれば『勇者』や『英雄』として扱われると聞いた。ならばオレの命を狙う者は己の意志か、操られたかにかかわらず多発するはずだ。今後の対策として、早めに使を揃える必要があった。


 手足が足りなくては、頭の指令が末端に行き届かなくなる。手にした薄緑の封筒に目を落とし、彼女がこの場にいればと……下らぬ思いに自嘲した。


 視線を向けた先で男は幸せにも気を失っていた。他人の命を奪おうと武器を向けたくせに、覚悟がなさすぎる。命を奪うなら奪われる覚悟も必要だ。相手取る者の実力も把握しないままケンカを売る行為の愚かさを、この男は理解していなかった。


 首を落としてもいいが、魔族ではなく人間らしい。アガレスに預けた上で人の法で裁くのが、統治者として正しい行いだろう。


「リリアーナ、アガレスを呼んでこの男を捕縛しろ」


「やだ。そば離れない」


 我が侭を口にできるほど自我が発達したのはいいが、勘違いされては困る。足元の男を魔力で捕縛してから、振り返った。むっとした顔のリリアーナの頬をぱちんと叩く。


「命令に従わない配下は不要だ」


 躾のつもりで叩いたが、よく考えたら初めてだった。驚いたように目を見開いたリリアーナの金瞳が、ぶわっと溢れた涙で濡れ……一気に決壊した。ぽろぽろと大粒の涙が零れ、ドラゴン最強種と呼ばれる黒竜とは思えない哀れな声が漏れる。


「ぅ、ひ……っ、あ。やだぁ……うわぁ……ああ」


 しゃくり上げながら泣き出した少女がしがみ付き、腹の上で大泣きする。背中まで回した手が竜化しているため、強く抱き締める力に骨が軋む気がした。背骨を折られる前に慰めた方がいいか。しかしこれは躾の一環で、きちんと命令に従うよう教え込む必要がある。


 どうしたものかと悩むオレの背中に、もらい泣きしたクリスティーヌまでしがみ付いた。両側から少女に挟まれ、オレは重い溜め息を吐く。これは今の状況で言い聞かせても理解しないし、話が通じないだろう。


「リリアーナ、クリスティーヌ」


 名を呼べば、しゃくり上げながらも顔を上げるリリアーナが鼻をすする。取り出した布で顔を拭いてやり、長い金髪に手を添わせた。叩かれると肩を揺らした彼女の頭に手を置いて、数回撫でる。


「落ち着け。捨てないから仕事をしろ」


「すて、ない? っ……ほ、んと?」


 面倒くさいと思いながらも頷けば、慌てて手を離した。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を自分で拭いて、なんとか笑おうとする。後ろのクリスティーヌに至っては、勝手にオレの服で鼻を拭いているが……見なかったことにした。これ以上泣かれるよりマシだ。


「仕事、する」


 アガレスを呼びに行かせるつもりだったが、魔力で拘束した男は気を失っていた。人間に魔力の拘束具を外せるはずがない。執務をしている男を呼び出す必要もないか。衛兵に牢へ放り込ませ、後で処理しよう。収納空間の中身を出した倉庫へ、結界で施錠を行うと歩き出した。


 途中で呼び止めた衛兵に、襲撃犯の回収とアガレスへの報告を命じる。数時間後に訪れたアガレスにオレは予想外の報告を受けた。


「魔王陛下、襲撃犯を含めた牢内の全員が死んでいます」

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