39. このオレが許すと思うのか?

 出会ったときに、この女はいきなり失敗した。名乗った直後に、オレを「異世界の魔王陛下」と呼称したのだ。これはおかしい。普通なら「異世界の魔王様」だろう。


 陛下という呼称で感じた違和感は、彼女がこの世界の魔王に仕えると発言したなら、納得して消してしまえる程度だった。しかし尋ねた返答を「なぜそう思うのですか?」と濁した。だからオレも別の話にすり替えたのだ。


 リリアーナは黒竜の娘で、もし本気で暴れたらグリフォンが勝てる相手ではない。それが監視役だと理由付けされたら、彼女は微笑んで同意した。扇情的な姿で寄ってくる雌に用心しろ――色仕掛けの怖さは知っている。かつて部下達がしつこく言い聞かせた言葉が、ようやく身に染みた。


 尋ねても誤魔化すオリヴィエラを狙う刺客の存在は、とっくに感知している。わずかに気付いてリリアーナが立ち位置を変えたのに、グリフォンは動かなかった。これが確信に変わった瞬間だ。


 ――これは罠だ、と。


 捨て駒にガルーダを寄越したとしたら、罠の先にいる策士も大した奴ではない。隣のリリアーナに毒が効かないから、毒矢を使ったとしたら……黒幕の正体は明らかだった。魔王の側近という地位にありながら、娘の身を案ずる。わかりやすい図式に口元が緩んだ。


 そこまで可愛い娘なら、外へ出さねば良いものを……オレの手駒にして歯向かわせたら、黒竜はどんな反応をするのであろうな。くつりと喉の奥を揺らして笑う。手懐けたと揶揄するオリヴィエラに見せつけるため、リリアーナを「愛玩物」だと言い切った。


 命を狙われたからこちらにつく。彼女の言い分は筋が通っているようだが、逆だった。魔族ならば、命を狙う相手は仕留めにいくのが正常な行動だ。オレはこの世界に無知だと勘違いさせ、オリヴィエラの作戦に乗ってやる。風呂で迫るグリフォンから、色気より先にピリピリとした殺気を感じた。


 適度にあしらい、リリアーナを使ってミスリードを仕掛ける。ドラゴンは独占欲が強い種族だ。それを煽ってオレとオリヴィエラの間に、常にリリアーナを挟んだ。自主的に邪魔をするリリアーナの嫉妬は本物だ。オリヴィエラを上手に誘い出した。


 わかりやすくリリアーナを優先する。お前とは違うと口にして可愛がれば、必ず尻尾を出すだろう。そう読んだオレの作戦は成功した。


「もうすぐ魔王が攻めてきますわ」


「いろいろツテがあるのです」


 どちらもお前の情報だ。こちらの考えをひとつの方向へ誘導しようとする、わかりやすい動きだった。知識の番人たるグリフォンが、この程度のレベルだとしたら……この世界の魔族に大した期待は出来ない。無言で反応を窺うオレに、居心地が悪いオリヴィエラは勝手に自白した。


「情報源は魔王の側近ですもの」


 そう、つまり情報源はお前自身だ。ミスしたことに気づかない彼女を煽って、一度この場を離れるよう仕向けた。


 魔王が攻めてくるなら、わざわざ彼女が口にする必要はない。ならばこれは牽制と考えるべきだった。まだ攻め込めるほど足元が固まっていないのか、魔族を掌握できていない可能性もある。時間稼ぎという線もあった。


 実力が整っていない魔王を側近が助ける現状で、異世界の魔王の実力を確かめにきた。勝てないと判断したオリヴィエラが敵の懐に飛び込み、オレの手元で撹乱する。なるほど、よく考えたものだ。愚かな男ならば引っ掛かったかもしれないが……相手が悪かった。


 この程度の妨害工作、何度も切り抜けてきた。もっと心をえぐる作戦も、仲間を切り捨てなければならない罠も潜りぬけたオレに、温い考えが通用すると思われたのは心外だ。


 本気でオレを殺そうと思うなら、リリアーナを排除するべきだった。父親である黒竜を怒らせるとしても、己の命を懸けて魔王のためにドラゴンの娘を生贄にすべきなのだ。


「……殺せばいいわ」


 震えながらそう告げるグリフォンの顎に手をかけ、無理やり目を覗き込む。怯える彼女はわかっているはずだ。ゆっくり笑みを作った。部下には「悪そう」「黒い」と評された表情だが、笑みには違いない。


「死んで楽になろうなど、このオレが許すと思うのか?」

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