38.どうした? 何を怯える

「なぜ……いえ、気づいてらしたのね」


 疑問は途中で消え、諦めた響きが闇を震わせた。手足を拘束された状態で眉尻を下げて泣き笑いの顔を作った美女が、無防備に横たわる。拘束する闇をそのままに、部屋を閉ざしていた結界を解く。光が入って影を作ろうと、もう逃げる余地はなかった。


 目を閉じていたリリアーナが、ひらひらと羽を揺らして身を起こす。軽い身のこなしで飛び降り、素足でぺたぺたと近づいたドラゴンは、ワンピースの袖が破けるのも気にせず腕を竜化した。びりびりと音を立てて裂けた布を纏いつかせた腕が、鋭い爪を覗かせる。


「オリヴィエラ、裏切った」


 むっとした口調で唇を尖らせるドラゴンの爪を突きつけても、オリヴィエラの口元の苦笑は消えない。諦めに似た感情が彼女を包んでいた。


「あなたには権利があるわ」


 だから殺しなさい、と目を閉じたグリフォン。ドラゴンに毒は効かないが、薬は多少効果がある。戦うことを避けるためにリリアーナを飴で眠らせ、その間にオレの息の根を止める。圧倒的強者である男に通じる筈がないのを承知で仕掛けた、オリヴィエラの事情に興味がわいた。


 敗者は勝者に運命を委ねる――魔族の弱肉強食の掟に従い、グリフォンは抵抗しない。動かず待つ彼女に、鋭い爪が突き立てられることはなかった。怪訝に思ったオリヴィエラが目を開けば、リリアーナは不満そうに睨みつけながら文句をいう。


「サタン様の、命令。我慢する」


「いい子だ、リリアーナ」


 不満だと訴える少女の髪を撫で、オレは組んでいた足を解いて立ち上がった。僅か数歩の距離を縮めると、闇に押さえられて床に伏せるオリヴィエラの前で屈む。さらりと肩を滑った長い黒髪が女の視界を遮った。


「これはお前の独断か。この世界の魔王とやらの指図か」


「どちらも違うわ」


 失敗は死に繋がる――これはどの世界でも共通のようだ。覚悟を決めたオリヴィエラの感情は揺れない。助けてくれと哀願する醜さもなかった。これほど潔い存在が、なぜ暗殺のような手を使ったのか。黒幕の存在が浮き彫りになった。これは彼女の作戦ではない。


 せめてもの詫びに、すべて暴露するつもりだろう。オリヴィエラの強い眼差しに、口元を緩めて指摘する。


「この世界で、魔王は配下に操られる存在とは嘆かわしい」


「なっ……」


 オリヴィエラの声が喉に詰まる。知られていると考えなかったらしい。ここまでヒントを散りばめておいて、なぜ気づかれないと思えたのか。こちらが首をかしげるほどだ。整った顔に浮かんだ笑みを心底恐れるオリヴィエラの指先が、小刻みに揺れた。


 怯える彼女の髪を指先で掬い、軽く引っ張って視線を合わせる。


「お前の事情など関係ない。あるのは、オレの命を狙った事実だけだ」


 リリアーナの尻尾が床を叩く。振動で揺れた床の上で、逃げる場所も方法もなく震えるオリヴィエラに顔を近づけた。


「どうした? 何を怯える」


 彼女の暴露など不要だ。今までの状況がすべてを物語っていた。


 グリフォンは空で強者に分類されるが、ドラゴンより格下だ。幼くともドラゴン種の中で最強と謳われる黒竜であるリリアーナが本気で抗ったら、オリヴィエラは敗北する。見張りであり連れ戻す役目を与えられるなら、逆なのだ。グリフォンを嗾けて、黒竜を監視役とするのが正しい。


 ましてやグリフォンを殺そうとするガルーダは愚の極み。毒の入った武器であろうと、下位のガルーダがグリフォンやドラゴンに勝つ図式は成り立たなかった。口封じに寄こすなら、ドラゴン種と対等に戦える種族でなくてはならない。


 違和感しかない状況で、敵味方の見極めを行うオレは様々な仕掛けを施していた。

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