014:へし折れる正義

 場面を、男と出会う前。夜を待って壁の近くにわたしが出向いたころに戻すね。


 ☆★☆★☆★☆★☆★


「この間は慌ててたから気がつかなかったけど、ホントにまっくらね」


 灯りと言えば、所々にぽつりぽつりと街灯が見えるくらい。

 お店はみんな閉まっているし、この近辺には民家はほとんどないから、光源がほぼないのよね。


「この街灯も魔法らしいのよ」


 そうでなければ電気もガスもないこの世界時代に、灯りを持たずに外を歩けるはずもない。いや、ちょっとちがうな、発電方法の問題か。これ、魔法の電力みたいなものらしいからね。


 わたし、文系魔法少女だから詳しくないけど。


「こんばんは、お嬢さん」

「うわ、ビックリした!!」


 この街灯ははっきり言って、わたしの知っている現代日本の街灯とは明るさが比べものにならない。日本のそれが一〇〇W電球だとしたら、これは二〇Wくらい? 昔のトイレの電灯くらい。だから、街灯から数メートルも離れると、もうなにがあっても見えやしないのよ。


「これは失礼。驚かせてしまいましたか」

「なんの音もしなかったのに、いきなりいるから」

「気をつけましょう。ところで、ずいぶんとお若く見えますが、こんな時間にこんな場所でなにを?」


 なんだろう、この人。警備隊の人には見えないよね。

 年の頃なら二十代後半? 所作からはもっと落ち着いた後の世代にも感じる。女のわたしでも一目でわかるくらいにいい仕立てのスーツを着てるよね。ぜったいに二着で二万八千円だったりはしないやつ。


「あの、おじさんは、だれ?」

「ふふ、おじさんか。君から見るとそうなるのかな」

「もしかして、悪い人? 人さらい?」

「そう見えるかね?」


 思いっきり子供子供して上目遣いで尋ねてみる。しかし、返答はさっぱり要領を得ない。


「私はね、まだ固いつぼみを手折らぬように優しく包み込み、美しく花開く手助けをするものさ。そして、たおやかで儚く咲き誇ったそれを、慈しむようにこのかいなに抱くために、今夜もここにいる」


 ……なんなの、この中二病は。


 そうそう、うちの息子はそれほどじゃなかったんだけど、孫の一人がスゴかったのよ。ことあるごとに、ご先祖様におかしな設定を求めてきて困ったっけ。

 結局、なんとかいう大名の腹心で、有名な合戦に参加して手柄を立てたけど、江戸時代になるまえに徳川家の陰謀で家を潰された一族の末裔、ということになったわ。


 だれがって、わたしや孫が。


 うちのご先祖様が江戸時代になにをやってたかなんて、さっぱりなんだけどね。武士なのか町人なのか農民なのかもわからないわよ。そういう名も無い小市民の家系です。


 きっと、目の前にいるこの人も、そういう年頃なのね。


「……君はどうして、優しい目で見つめてくるのかな」

「いいんですよ、おじさん」

「そうか、いいのか」


 ふえ? なにを勘違いしたのか、その男はわたしの腰に手を回して――


 ばちーん。


 わたしたち以外は人っ子一人いない夜の街に、乾いた音が響き渡る。

 わたしが放った平手打ちの音だ。


「な、なにを」

「なにをじゃない! あなたロリコンね!?」

「ろ、ろり?」

「こんないたいけな少女にいきなりキスしようとした!」


 いま気がついたけど、すっかり自分を「いたいけな少女」呼ばわりすることに抵抗がなくなってきてるわね。


「キス? ちがう。私は――」

「いい? 確かにあなたはカッコいいわよ。顔もスタイルもいいし、お金も持ってそう。だけどね、どれだけカッコよくたって、一面識もない男にとつぜんにキスされて喜ぶ女の子は、世界中を探しても一人もいないんだからね」


 こういうところを勘違いしている男は少なくないのよ。

 おばあちゃん、知ってるわよ。


「話を聞きたまえ、だから私は……え? 君は『魅了』されてはいないのか?」

「ほら、そこ。そういう勘違い!」

「そうじゃない。私の視線には『魅了チャーム』の魔力が備わっているんだ。それが効いていないのかと言っている」

「は?」


 この男、問題外!!!

 催眠術で女の子をどうこうしようとしてた。最低!!!!!


「変態! 変態!! 変態!!!」

「待つんだ、だから変態ではない」

「それが変態じゃなくてなにが変態なの。言ってみなさいよ、ほら、はやく、いますぐ、具体的に、黙ってないで、どうしたのよ!」

「こ、この小娘が……」

「その小娘にいたずらしようとした変態は誰でしょうね~~? ロリコン、変質者、女の敵!」


 あ、なんかぷるぷる震えてる。怒ったの?

 そういうのを盗人猛猛しいって言うんだからね。


「私は夜の支配者だ」

「ほらやっぱり中二病」

「ちゅ、ちゅうに? 君はさっきからわけのわからないことばかり言うな」

「あなたみたいに自分に特別な能力があるって勘違いしてるイタい人を言うのよ」


 厳密には違うらしいけど、まあいまは攻めるターンだから。


「ええいっ!」


 え。逃げた? 空に?



《――空から人知れず入り込んで、また空へと誰にも見咎められずに帰っていくやつがいるとしたら、どんなやつだと思う?》



 アレックス。とんでもない変態だったわよ。



「どうだね。勘違いなどしていない。特別な能力があるだろう?」

「ふんっだ!」


 ふわ。わたしも負けずに空に浮き上がる。

 男と同じ目の高さまで上昇して、言ってやったのよ。


「そんなのわたしだってできるし」

「おまえ、ウワサのサキュバスか」


「誰がサキュバスか~~~~!!!」


 居合いの速度で魔法の杖ジズリスを腰のポーチから抜き払い、そのモーションから連続して魔法をぶちかました。


 はっ。また興奮して考えなしに。

 ていうか、あの新聞記事ってどこまで有名なのよ。


 だけど、後悔する必要はなかったみたい。どてっぱらに直撃したはずなのに、よろけることすらなく平然と目の前に浮かんでいる。いや、浮かんでいた筈なんだけど、いない? と、キョロキョロ探していると。


「どびゅっし~~~~~」


 我ながら、愉快な悲鳴を上げて吹っ飛ばされたわ。

 え? あいつにやられたの? どこから?

 やばいやばい、見失った。ま、魔法防御を――


 そのとき。


「ブリジット!!」


 背後から聞き覚えのある声が。アレックス?


 彼の放った矢は、わたしに追撃を喰らわそうとしていた男の背中に、あやまたずに突き刺さっていた。後ろにいたのね。

 あ、訂正。刺さった、と思ったんだけど、跳ね返された?


「なんだなんだなんだ? どうなってんのこれ」

「あら、アレックスじゃない。今夜は夜勤なのね」

「来るなって言ったはずだけどねぇ」


 いつものサボりの散歩パトロール途中で、わたしたちがやり合っている音に気がついてやってきたらしい。


「アレックス、あれ。あそこ」

「……飛んでるな」

「空飛ぶタフな変態よ。最悪」

「だから、変態ではない。おまえは誤解しているんだ。私はいたずらなどしない。血を吸おうとしただけなのだ」

「血って、吸血鬼?」

「いかにも」


 吸血鬼が変態。

 恋人がサンタクロースより衝撃的な事実だわ。


「嘘だろ? 吸血鬼がこんなところに?」

「アレックス、吸血鬼ってそんなに珍しいの?」

「珍しいも珍しい。この十年くらいに遭遇した記録はなかったはずだぞ。あれば新聞で大騒ぎするだろうしな」


「ふん。私たち夜の支配者に拝謁の栄を賜るなど、そうそう機会があるはずがなかろう」


 吸血鬼?は、魔法を放った後に地面に降りたわたしを、まるで空から睥睨するように続けて言う。


「そちらの娘は、まだ疑っているような目だな」

「最近頻発している女の子が襲われる事件。あれはあなたなんでしょ?」

「そうだな」

「やっぱり変態!!」

「またそこに戻るのか!」


 戻るもなにも、他に至れる結論がないでしょ。


「アレックス、吸血鬼って強いのよね?」


 アンデッドの王だとか聞いたことがあるわ。


「個人差はあるだろうが、強いなんてもんじゃない。二十年前に王都に現れた吸血鬼の一人を倒すのに、精鋭の王宮騎士団が百人以上の被害を出した」

「ふん。それは私の弟だな」

「なんだって??」


 それじゃあ、コイツもずいぶんと強いのかもしれないわね。


「一つ聞かせて。なんで若い女の子だけ襲うわけ? あなたがホントに吸血鬼なら、人間の男も女もまったく同じに制圧できるわよね」


 そう。彼がホントに吸血鬼なら、女の子だけを選ぶ理由が無いのよ。

 わたしの疑問はあっさりと氷解した。彼は事も無げに答えてくれたから。



「夜の支配者たる私が、処女の生き血以外を口にするとでも?」


「き」

「き?」

「きっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっも!!!!」


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


 むり、こいつ。生理的にむり。


「ソルシエ・エーデ・ペネトーレ!」


 もう遠慮しない。このばけもんぶっ殺す。

 なんかもうとにかく許せないんだから。


 しかし、わたしの攻撃はまったく効いていないように見える。吸血鬼って言っても、いくらなんでもタフすぎるでしょ。

 よく熊に拳銃弾は豆鉄砲と聞くけれど、あれだって当たれば痛いよね。コイツの場合はまったく意に介してないのが納得いかない。


「アレックス、なにしてんの。あんたも弓矢!」

「お、おう……?」


 ・

 ・

 ・

 ・

 ・


「それが、彼が病院送りになった顛末ですか」

「……はい」


 あのあと、さすがに騒ぎに気付いた誰かの通報で、街の警備隊ばかりか城郭警備隊までが完全武装で駆けつけてきた。彼らは敵が魔物だとわかっていたから、そのための準備は万全だったらしい。

 さすがに不利を悟ったのか……いや『狩り場』をこれ以上荒らしたくなかったためか、吸血鬼はわたしやアレックスにトドメを刺すことなく立ち去ってくれた。


「あなたにはがっかりしましたよ、ブリジット」


 ……っ。

 クルトがわたしにここまで言うなんて。だけど、ぜんぜん一つも一ミリすら反論の余地はないわ。


「ブリジット、これからしばらく、事件が解決するまでですね。我が家に滞在してください」

「え?」

「あなたには監視が必要です。生活に不自由はさせません、すべてメイドが面倒をみます。だから、きてください」

「そ、そんな。そんなの必要ないわ」

「だめです。いまのあなたは放置できない」

「クルト、いくらなんでも、なんの権利があって!」


「黙りなさい!!」


 ビクッとした。思い出した、父がときおり本気で怒ったときのことを。

 あのときと同じ。正しい。クルトの言っていることは正しい。

 わたしを心配するあまり、愛するが故に、叱られているのがわかる。


 誰が子供よ。クルト? ううん、わたしじゃない。


「アレクサンドルは、いまも意識不明の重体です。あなたが巻き込んで、吸血鬼にやられた」


 いや、わたしが吹っ飛ばしたんだけどね。

 なお悪いか。


 って、え? アレックスが意識不明? なんだろ。なんかおかしい。

 いまごろなにを言ってるの、わたし。

 自分のことを自分だと見れなくなってる? なんでこんなことに。


「あれ。あれ? あれ~……」

「……ブリジット」


 涙が止まらない。ボロボロこぼれ落ちてくる。

 鼻をすすり上げる音、こみ上げる嗚咽。言葉を発しようとしても、引っかかって意味のある音にならない。


 あ、わたし、こわかったんだ。そうか。

 自分が殺されかけて。アレックス友達も巻き込んで。


「ボクが、守りますから」


 情けない。いい歳のおばあちゃんが、の男の子の胸で泣き叫んでるなんて。


 さらに情けないことに、わたしの意識は、そのまま闇へと沈み込んでいったのだった。

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