008:アレクサンドル・クラーセク その2

「よっし、まずはついてきてくれ」

「は~い」


 わたしはまだ、この世界のことをぜんぜん知らないと思うのよ。知っているのはこの街のことだけ。もっと見聞を広めることでこれからの生き方を考えないといけないと思うわ。


 うん、建て前だけどね。ホントはただ外が見たいだけ。


「よし、ここだ」

「服屋さん?」


 てっきり外への門へ向かっていると思っていたのに、案内されたのは、洋服を扱っているこじんまりした商店だったわ。


「旅に出るんだ。この子に一式見繕ってくれ」

「あいよ。そんなキレイなおべべじゃ外には出られないものね」


 そういえば、アレックスは見るからに旅支度な格好してる。たしかにわたしもこのドレスのままじゃまずいわよね。


 店主らしいおばさんに――だけど――旅装束を着せてもらう。

 あれこれと合わせてもらっている中で感じることは、なんていうか地味だ。

 いや、いままでのわたしが派手すぎたのかもしれないわね。


 結局、腰丈のトレンチコートにキュロットパンツ、なのかな? そこにタイツとブーツでだいたい完成。全体的に汚れが目立たない暗めの色に、引っかけてやぶけるような余分なパーツもなくて、実用一辺倒といった感じに落ち着いた。


 そうね。思ったより元の世界の服に近いものが多いから、あんまり抵抗感はないわね。時代(?)的に、こう、布を巻いただけみたいのとか、コルセットでガチガチに締め付けるのとか、そんなイメージあるじゃない?


「よし、これもかぶっていきな」


 ぽすん。最後に帽子をかぶせられる。

 手に取って見てみると、あ。小さいリボンがついてるキャスケットだ。


「女の子だもんね、かわいくしていかないと」

「ありがとう、おばさん」


 と、おばあさんがにっこりとお礼を言っているのよね。


「さて、着せ替えごっこは終わったか? そろそろ行こうぜ」

「毎度あり。帽子はおまけするけど、残りでこのくらいだね」

「げっ。そんなするのかよ。子供服ってすぐ着られなくなるくせに高いんだよな」


 ふぅん。そういうのも同じなのね。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「俺のことはパパと呼ぶんだ」


 …………なるほどね。


「……ああ、うん。知ってるわよ。そういうの、あるのよね」

「え?」

「そうね、わたし、理解あるわよ。誰かに迷惑を掛けなければ、そういう趣味もいいと思うのよ。でもね……プレイ? っていうの? わたしよくわかんないから、むずかしいな。うまくできないと思うのね」

「おおおいいぃぃぃ。なに誤解してんのかな。違うって、そう言うんじゃないんですってば」

「そうなんだ」

「なに優しい目で見てるのかな?? 話を聞け」


 そういう趣味の人の話を無理やり聞かされるのって、セクハラじゃないかしらね。


「外に出るには通行手形がいる。で、子供のあんたがそれを取るのに手っ取り早いのは親と一緒ってことだ」


「それで、わたしがアレックスの娘?」

「そういうこと。これがその手形だ」


 手形にある名前は、アリーサ・ジェリャンスカヤ?


「街を出るまでは、あんたはアリーサだ。忘れるなよ」



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「アルチョム・ジェリャンスカヤ、商人です」

「そっちが娘の?」

「ア、アリーサ・ジェラ、ジェリャンスカ、です」

「ははは、そんなに緊張しなくてもいいよお嬢ちゃん。おじさんはやさしいぞ」

「は、はい、ごめんなさい」

「謝るなって。よし、行っていいぞ」


 こうして、わたしたちは、無事に北門を抜けることができた。


「いやぁ、うまいねお嬢ちゃん。見事に気の弱い少女を演じてたぞ」

「演じてたんじゃなくて言いにくいのよ、、って」

「もう忘れてんのかよ。通ったんだからいいけどな」

「わたしよりパパの方よ。なにその変装」

「もうパパはいいって……」


 まるで別人。二十は老けて見える。

 わたしくらいの歳の娘がいるならば、そこまでやらなくてもいいはずなのよね。


「ねえ、ホントはその手形、なんなの?」

「……やっぱ、ただの子供じゃないねぇ、あんた」


 ううん、ただの子供かもしれないよ。まあ、おばあちゃんだけども。

 だって、外に出られることがうれしくって、最初からおかしいってことに気がつかなかったんだもん。


「通行手形の偽造は犯罪でしょ? そんなことをあなたがやる理由がない」

「その通りだ」

「そして、これは手形のわね?」

「その通りだ」


 あぁ、やっちゃったわね。

 この国の法律はわからないけど、たぶん偽造より罪が重いんじゃないかしら。


「誰の通行手形なの?」

「禁制品の持ち込みの疑いで取調中の男のものだ。娘連れだったんでね、使わせてもらった」


 コンピューターとかない世界だものね。捕まった人の手形を無効にする情報をオンラインで共有したりできないから、こういうことが可能なわけね。


「理由はなに?」

故郷くにに帰らなければならなくなった」

「普通に帰ればいいじゃない。大人なら出られるんでしょ」

「俺の兵役はさ、刑罰なんだよ」


 ――すべてに納得。それじゃあ脱走以外に手はないわね。

 だけど、そんな人がいなくなったのがわかったら、すぐに追っ手がかかるわよね。


「街の外に出る自由はないが、有給くらいはあるからね」


 あら、意外とホワイトね。この世界。


「何日分取ってあるの?」

「限界まで。5日だ。その間は追っ手はかからない」


 用意周到なんだ。だけどね、わたしは――

 

オフェリアが倒れたって連絡があった」

「え? 病気?」

「たぶんな。昔から身体が弱くて、下手するとこれで最後だ」


 取り出しかけた魔法の杖ジズリスをそっとポーチに戻す。

 困ったなぁ、こういうの。どうすれば正義なのかしら。


「そんなわけだ。すまないが、あんたをいますぐ解放して街に知らされるわけにはいかない。そうだな、5日は付き合ってもらう。そのあとは、街に戻って俺のことを知らせるなり好きにしてくれ」

「いやだと言ったら?」

「そりゃ、あんた……」


 返答次第では、ここでアレックスをぶっちらばすしかない、と思う。

 脱走の罪を犯した上に、娘さんに会えずじまいはかわいそうだけど。


「腕ずくだ」

「わかったわ、つきあう」


 正解。それで、わたしも腹をくくった。一緒に行きましょう。


 ここで善人ぶって「無理強いはできない」なんてヘタレたことを言ったら、わたしの正義がソッコーで爆発していたところよ。

 娘のためでしょ。やるなら徹底しなさい。もう賽は投げられたんだから。


 アーヴィンくんの時と違うこと言ってるって?

 わかってないわね、たとえば、息子と娘で正反対のことを教え諭すなんて当たり前のことよ。

 子育てに必要なのは、どうすればいいのかをまず考えること。矛盾も棚上げもいくらでもやるわよ。今回だってそう。


 アレックス大きな子供にはまだまだしつけが必要みたいだからね。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「アレックス! よく戻ってきたね」

「おばさん、オフェリアは?」

「ああ、こっちで休んでるよ、おいで」


 彼の故郷は、街から約二日の距離にある小さな村だった。娘と暮らせなくなったアレックスは、そこに住む親類のおばさんにオフェリアを托して、自分は城壁の警備兵として、マジメに務めを果たしていたのだという。

 これまでは。


「おねえちゃん、だれ?」

「お姉ちゃんはブリジットって言うの。オフェリアちゃんだよね。はじめまして」

「はじめまして~」


 流行病はやりやまいではない、とのことなので、わたしもお見舞いをさせてもらった。

 てっきり三歳くらいの子に見えたのに、あとで聞いたら五歳だった。


「だいじょうぶ? 気分は? 熱はない?」


 わたしも子供の体調不良には幾度となく立ち会ってきた。だけど、これは違う。わたしの経験にない症状だ。身体に力が入らなくなって、意識がもうろうとして、心臓が苦しくなる。元の世界では一目でお医者様案件なのよね。

 だけど、この世界には貧しい子供を診てくれる医師がいない。どこかにはいるのかもしれないけれど、少なくとも、この子に手を差し伸べてくれる範囲にはいない。


 治療魔法は怪我には有効でも、病気にはあまり効果がないのよね。体力を戻すくらいはできるみたいだけど。

 あ、わたしの魔法はだめ。これってば、ほぼ攻撃方面特化型なのよ。


「うん、お姉ちゃんはパパのお友達よ。街に住んでるの」

「いいなぁ、あたし、ここから出たことないよ」

「元気になったら遊びにいらっしゃいよ。案内するわよ」


 まだ街になれていない上に、極度の方向音痴なのは言わなくていいわよね。


「元気になるのかなぁ」

「なるよ、ぜったい」

「うん……」

「ブリジット、そろそろ」

「あ、はい。そうね」


 誰かと話すことは、気分が上向きになる反面、体力は確実に消耗していく。病気の子供にそれは命取りになりかねないから、そろそろおいとましましょう。


「え、お姉ちゃん帰っちゃうの。もっと話そうよ」

「まだもうちょっといるから。またあとで顔を出すわね」

「ゆっくり寝てろよ、オフェリア」


 アレックスと二人で寝室から出る。


 かわいいなぁ。すっかりなついてくれた。

 わたしにできること……。


 そうだ、はなくてもはあった。


 オフェリアにはあまり聞かれたくなかったから、外の食堂で昼食がてら話すことにした。


「症状を聞くとね、脚気かっけじゃないかと思うんだけど」

「かっけ……とはなんだ。病気の名前か?」


 ピッタリ一致する単語があれば、自動的にこの世界の言葉に翻訳されてるはずなのよね。それがされないってことは、つまり、この症状の原因が特定されていないってことなのかしらね。


「栄養不足の一種ね。こう言ったらなんだけど? あまり栄養のあるいいものを食べさせてないでしょ?」

「……くそ。結局、俺のせいか。俺がこんなだからあいつまで!」


 別にアレックスを責めるつもりで言ったんじゃないのよ。こういうのは国というか社会というか、そういうレベルの問題だもの。

 でも、それはそれとして。


「別に高い食べ物が必要になるわけじゃないのよね。ここではなにを食べてるの?」

「なにって、まあ、主に年貢を払ったあとの穀物類だが――」


 やっぱり、白米か。

 江戸時代での日本では白いお米は都市部の人間しか食べていなかったそうだけど、この世界ではどこに行っても白いお米が当たり前らしいわ。

 うん、こんな世界といえば、パンよりライスが中心なのが、またイメージが狂うわよね。


「コメがいけないのか?」

「お米というより、それだけ食べてるのが問題ね。あとなんだったかしら、豚肉は?」

「そんなもの街じゃなきゃ食えないさ」

「そっか……えっとビタミンB1、だったわよね。それが入ってるもの……あ、大豆」

ってのはわからないが、大豆ならそんなに高くないな。あんまり食べるものじゃないが」


 庶民は大豆をあまり食べないの? なんだか不思議ね。

 お米があるのにお味噌汁も納豆も無しなの? あ、そういえばまだこの世界では食べてなかったわ。


 まあ、それひとまず置いておきましょう。とにかく、いまできることをやろう。


「お米は玄米のまま食べて、あとは大豆も食べて。脚気であるならばそれでよくなるはずよ」

「ホントなのか? たったそれだけで?」

「ごめんなさい、ぜったいとは言えない。わたしはお医者様じゃないしね。でも、うちの故郷では昔こんな症状が大流行したのよ。そのときに発見されたのが、脚気なの」

「わかった。玄米でいいならかえって安上がりなくらいだ。やってみるよ」


 でも、いま食べて明日に効果が現れるものでもないのよね。

 時間がかかっても快癒するならいいんだけど、あの子の体力がそこまで持ってくれるか。心臓にまで症状がきているみたいだものね。


 ……体力? ああ、そうよ。


「ねえ、アレックス。この村にも教会はあるわよね。神父さまの治癒術は? 病気は治せなくてもいいの。いま必要なのは体力の回復なのよ」

「ああ、誰にでも分け隔てなく魔法をかけて下さいますよ」

「よかった。じゃあ――」

敬虔な信者高額の寄進をするなら、人種も性別も年齢も関係なく、ね」


 アレックスは、片方の唇だけを持ち上げて、自嘲するように笑った。

 ふぅん。やっぱりつきあってみないと人はわからないものね。外見とは裏腹に、わりと内罰的なタイプよね。


 まあいいわ。お金でカタがつくんだとわかったもの。

 おばあちゃんは、こんな時のためにへそくりしてるんだから。ごめんうそでした。天使さまにもらったお金です。


 さて、教会は……アレックスを帰してから食堂で教わった道を、三十分迷ってたどり着いたわ。街より道がややこしくないのはいいわね。


 たどり着いた小さな教会の扉を開くと、この辺りではあんまり見かけないタイプのでっぷりとした体格の神父さまが、人の良さそうな笑顔で出迎えてくれた。これで目が笑っていれば、カンペキだったと思う笑顔だわ。


「神父さまお願いします。主の癒やしの奇跡を

「顔を上げなさい、迷える子羊よ。主はあなたの崇敬をお試しになろうとしています」

「これでいかがでしょうか」


 手っ取り早くいきましょう。スエイセル金貨を一枚渡す。

 アーヴィンくんによれば、これ一枚で家族が一ヶ月暮らせるらしい。


「光栄に思いなさい。あなたの信心は神に届きました」


 わたしが出会ったあの天使さまは、こういうのもご覧になっているのかしら。

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