005:クルト・フーベルトゥス その2
「みんなしてわたしを貴族だとかお金持ちだとか言ってたけど」
あくる日の朝。わたしはクルトさんの家の前に立っていた。
「クルトさんこそ、貴族さまじゃない!」
件の図書館のような、歴史的建造物感漂うお屋敷だった。
「いえ、これは別邸なので」
「いえ」じゃなくないかしら?
余計にお大尽じゃないですか。旗本の別邸みたいなものよね。
「あはは……ともあれ、どうぞお入りください」
促されて大きな扉をくぐると。
「「「おかえりなさいませ」」」
おぉう、メイドさんだ。メイドさんがいる。
しかも、下着が見えそうなくらいの短いスカートも、汚れたり崩れたりして家事の邪魔になりそうなフリフリの装飾もない、実用一辺倒のメイド服を着た、壮年の女性たち。
「孫のソシャゲで見たメイドさんとは正反対ね」
「はい? なにか」
「ううん、なんでもないです。あ、ところでおうちの方は? ご挨拶しておかないと。あ、いけない手ぶらだわ。えっと、こっちの世界ではどうするのかしら。ショートケーキとか、水ようかんとか買ってきた方がいいのかしら」
客間に通されてから、
「ブリジットさんはまだ子ど……お若いのですから、そんな気遣いは無用ですよ」
言った。言ったよね? 子供って。
やっぱりそうなのね。そういう風に見えてたのね。
どうするべきなのかしらね。わたしの事情を説明しても信じてもらえそうにないし、なによりそのまま思っていてもらっても困る事情はないのよ。ないんだけど、もやもやするわね。
「では、書庫の方にご案内します」
メイドさんの持ってきてくれた紅茶はおいしかった。
さて、いよいよ目的の情報収集に入るわよ。
☆★☆★☆★☆★☆★
「ふわぁ」
でっかい。そりゃね、図書館よりは狭いわよ? 狭いけど。
「わたしの家がまるまる入っちゃいそうな部屋だわ」
夫ががんばってくれた、うん十年ローンの建て売り住宅を思い出した。
狭いながらも楽しい我が家とはよく言ったものよね。
今となってはいい思い出しか浮かばないわ。
「ブリジットさんの家ですか。そういえば、この街の生まれではないんですよね? どちらからいらしたんですか? 差し支えなければ」
なるほど、やっぱりここは王様ばっかりの世界なのね。わたしがいるのは大陸の真ん中あたりの国? 海を見たいと思ったら大旅行が必要ね。なるべく易しそうな本を選んでもらって少しずつ情報を集めながら、彼との世間話もこなすわよ。大人の女ですからね、簡単よ。
「わたしの故郷……遠いところですね。もう帰ることはできないくらいに遠く。たぶん名前を言ってもわからないところかしら」
「す、すみません。立ち入ったことを聞いてしまいましたか」
「ううん、そんなことないです。そうだ、クルトさんは貴族さまなのよね?」
「ええ、まあ。その末席を汚す身ではあります」
割と温暖な気候に恵まれている中で、冬には雪も少し降るのね。灌漑が進んでいて農業は安定しているけど、税制は農家の負担が大きくなってる。
「衛兵さんの詰め所にいるのは、みんな貴族さまなのかしら」
教育制度は……ああ、やっぱりね。ほとんどの子が中学校相当の学校を出てから働く形なのね。それでわたしには働き口がないと。そもそも戸籍が、って、そういうのあるのかしら。
「いいえ。あそこは小官だけですね。他はみんな平民で……あ、すみません、失礼しました」
「?」
慌てて謝られた。なにかしら。
うつむいたまま、クルトさんは言葉を続ける。
「こういう、配慮に欠けて無意識に他人を見下すような発言のせいで、嫌われるんでしょうね。そんなつもりはぜんぜんないのに」
わたしは首をかしげて考える。クルトさんに配慮がない?
仕事の上ではそういうこともあるのかしら。わたしが知らないだけかもしれないし、安易に否定はできないわよね。
「もともと小官は警備隊になど入りたくはなかったんです。兄が多いので
はっ、と目を見開いてから、再びうなだれる。
「すみません。子供相手にこんな」
またぁ。いいかげんに頭きちゃうわよ。
椅子の背もたれに身体を預けて、力無く右手で目を覆っている彼に近づいて、言ってやったわ。
「そういうとこですよ、クルトさん」
「え? なんです?」
「昨日からずっと子供扱い。わたしこれでもいろんな修羅場をくぐってきたんですからね」
こう見えても、あなたの何倍も長く生きてるんですからね。言わないけど。
「男は敷居を跨げば七人の敵あり」と言うけれど、女だって変わらないんだから。特に、いまのクルトさんが遭遇しているような
それをどう受け取っているのか。彼は、憔悴しきった表情でなにも言わずにわたしを見上げている。
もう。そういう雨に濡れた野良犬みたいな目で見ないで。
「自分のいる場所を『警備隊になど』と言われたら、同僚さんたちはどう思うかしらね。ホントに
「そんなことはない! 彼らだって――」
「ほら、そこよ」
「っ……」
うん、自分で気付けたみたいね。アーヴィンくんと違って手間がかからない子かも。
「ボクは、その……」
いまにも消えてしまいそうに頼りなく落とした震える肩。
うっ。もうガマンできない!
「ああ、ごめんごめん、ごめんなさい。かわいい子を見るとついつい意地悪したくなっちゃう。ホントに悪いクセよね。わたしこそ反省しなきゃいけないわ」
背中からクルトくんの肩ごしに抱きしめる。
頼りないと感じてたけど、肩幅の広さはさすがに男の子だよね。
さらに頭を包み込むように抱えて、そのまま撫でてあげる。うちの子が小さい頃にむずかったときには、これが効いたのよ。母親の心音が耳に直接届いて安心したのかな。
「……あ、あの。ブリジットさん、手を」
「おっと。ごめんごめん。苦しかったかしら?」
いけないいけない。わたしこそ彼を子供扱いしちゃってる。
ぱっと離れる。
「あのね、あなたが貴族さまで周りが平民なのは、どうしようもない事実なんでしょ? だったら、違うことと違うと受け止めた上で一緒に働くしかないんじゃないかしら」
「違うと受け止める?」
なんか顔が真っ赤ね。そんなに苦しかったのかしら。
「『貴族
クルトさんは、床の一点をじっと見つめながらなにも言わない。
きっと、わたしの言ったことを咀嚼しているんだと思う。
「……ブリジットさん」
「なに?」
「これは、宿題にさせてください。もう少し熟考してみたい」
顔色がよくなった。目に生気も戻ってる。
この子は、深く考えてから自分を作ることに向いてるみたいね。
「そうね。そうするといいわ」
「それからっ!」
「うわっ!」
突然に身を乗り出して顔を近づけないで欲しい。ビックリしたわよ。
「子供扱いしてすみません。ボクのことクルトと呼んでください」
「え、ああ、はい。じゃあ、わたしのことはブリジットと」
「はい!」
仲良し仲良し。友達友達。
せっかくだから、クルトさん……クルトの右手を両手で掴んでぶんぶん握手。
いろいろと鬱屈してたのね。
わたしと話すことで発散できるならそれでなによりよ。
それはそれとして、わたしの用件もこんなもので終わりね。
「よし。クルトありがとう。だいたい必要なことは調べ終わったわ。これで街の暮らしもラクになりそう」
「そんな。まだそれだけじゃ不十分ですよ」
ノーウェイトで否定された。
そうかしら? たしかに市役所の広報みたいなものがあるわけでもないし、身近な手続きなどについては不安が残るけど。
「だから、詰め所にきてください。なんでも教えます。いえ、詰め所はむさくるしい。家に来て下さい。あ、宿屋住まいでしたね? いっそ我が家に逗留してはいかがですか。部屋は開いていますし、生活の一切はメイドが世話をしますから――」
「落ち着いて、近い近い。ちょっとクルトってば」
両手で彼の顔を押し返さなければならないほどにぐいぐいこられた。
そんなに友達に飢えてたのかなぁ。昨日は、仲の良さそうな衛兵さんもいたのに。
「すみません……ちょっと興奮しました」
「気持ちはありがとう。でも、わたしは宿屋でいいのよ」
「そうですか。はぁ」
なんでこんなに残念そうなのかな。
「ああ、そろそろ戻らないと。宿でごはんを用意してくれてる」
「夕飯は我が家で!」
「だから、近いってばぁ!」
わたしも小さい頃に転校が多かったから、彼の気持ちがわからないでもないのよね。
誰も知り合いがいなくて心細い中で、新しいクラスメートに話しかけてもらうと、もう一瞬で懐いちゃう。あるわよね。
「慣れれば距離感は正常に戻っていくものよね」
そんなこんなで、わたしは宿への帰路を急ぐのだった。
だって、今夜はカレーなんだもん。うん、こっちの世界にもあったのよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます