004:クルト・フーベルトゥス その1

「ほら、あれよ、あれ。なんだっけ。あのー、えーっと」


 ……言葉が出てこない。

 もしかしたら、おばあちゃんのままの脳でわたしを転生させたわけじゃないわよね、天使さま?


「あの、本がある、いっぱい」

「図書館ですか?」

「それっ!!」


 ビシッ!

 よく当ててくれました。ありがとう! うれしいわ。


 ここは、前回もお世話になった街の警備隊の詰め所なの。ちょうど日本の交番のような役割も担っているらしくて、道案内や忘れ物の受け付けもやってくれるんですって。


 なんでそんなところでわたしが衛兵さんを指さしているかと言えば、なんのひねりもない話で、道案内を求めてのこと。


 宿の女将さんが朝食の配膳のときに教えてくれたの。「この街には大きな図書館がある」って。それを聞いたわたしは、矢も盾もたまらずに宿を飛び出したわけなのよ。

 あ、朝食はちゃんと食べました。スープもおかわりしました。

 だって、育ち盛りだもの。


 ほら、わたしはほとんど説明なしにこの世界に送り込まれたようなものじゃない? 一日でも早くここに馴染むためには、少しでも知識を集めなきゃ。そのためには図書館。孫も夏休みにはよく図書館に勉強をしに行っていたものよ。


「そうですね、ここからだと――」


 この衛兵さんには昨日もお世話になったのよ。わたしが怪我をしているのを見て、奥で休んでいた冒険者の魔術師を呼んで治療をお願いしてくれたのがこの人。おかげで、怪我はすぐによくなったの。


「この通りをまっすぐ行くと教会があるんです」


 おっとっと、ちゃんと道を聞かなきゃ。

 はい、教会ですね。


「教会の脇に小路があります。そこを道なりに進んで3つめの曲がり角で右に。そこから少し歩くと見える防具屋の」

「まって。まって、ちょっと、ごめんなさい」

「はい?」


 不思議そうな顔をしながら腰を曲げてわたしの顔を覗き込んでくる。身長差が30センチ以上はあるものね。いや、まあ、そうじゃなくて。


「もう一度最初から言いましょうか。教会の――」

「地図!」

「?」

「地図を書いてもらえませんか」

「……そう、ですね。土地勘の無い方にはその方がいいですね。少しお待ちください」


 ほっ。よかった。防具屋さんとか、外からじゃわからないもの。

 見ると、衛兵さんは奥の机で定規とか使って地図を書いているみたい。マジメな人なのね。そこまできっちりしたものじゃなくてもいいのに。


 そのまましばらく待つ。


「お待たせしました、どうぞ」

「ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げて両手で受け取った。真剣に描いてくれた地図だもの。受け取る方も疎かにはできないわよね。


「ん……ふむ? ああ、これ、こっちか?な?」


 くるくるくる。地図を回しながら進行方向を把握しようとがんばる。


「ここ、ここが詰め所よね。わかるわよ。ということは、こっちだ」


 方向を指さし確認する。声と指で確認って大事なのよ。


「いえ、それだと宿に戻ってしまいますよ」

「え。じゃあ、あっち」

「えっと、そこは街の門です」


 ……生来の、ううん、生まれ変わる前からの性質? それがいろいろ受け継がれているようなのがよくわかったわ。


 はい。わたしは方向音痴のままでした。


 あ、だけど、前世の世界では、スマホの地図でお出かけできたはずなのよ。あ、そうか。あれって進行方向を勝手に上にしてくれるんだったわ。それでわたしでも数回しか迷わずに目的地につけたわけね。文明すごい。


「ということは、残りはこっちですね。こっちに行けば教会があるんですね。ありがとうございますっ!」

「お嬢さんちょっと待って!」


 なんかもう恥ずかしくなって逃げる気まんまんのわたしを、衛兵さんが呼び止める。


「なにか」

「そっちに道は無いです」

「…………」



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 面倒をかけたくなかったから固辞したのだけど、結局は図書館まで彼に案内を頼むことになっちゃった。お仕事中に申し訳ないわね。


「お気になさらず。これも仕事の一環です」

「えっと、こう? あ、こっちが上ね」

「そうです、よくできました」


 地図を回しながら方角を確定することに成功したわたしを、最高にいい笑顔で褒めて頭を撫でてくれた。ちょっとうれしいかもしれないよ。

 ……いや、これ完全に子供扱い。


 そういえば気になることが一つ。一緒に詰め所を出る前に、彼の同僚がこう言っていた。


「そんな小さな女の子を一人で行かせるのは危ないからな」


 ……いや、違う。気になったのはここじゃないの。

 これもなんかちょっとだけ腹が立ったけど、そうじゃなくて。


「おまえにはその程度の仕事しかできないんだからがんばれよ」


 こっちだった。

 なんなのかしら。職場で上手くやれてないのかな。

 昨日会ったばかりのわたしが、おいそれと首を突っ込んでいい問題じゃないんでしょうけど。


 わたしの歩幅に合わせて並んで歩いてくれている衛兵さんの顔を横目で、というより、横ナナメ上目でこっそり見上げたら、ちょっと元気のなさそうな曇った表情があった。


「どうしました? 疲れましたか? よければおんぶしましょうか」

「いえいえいえいえ、けっこうですわよ」


 わたしの視線を感じて話しかけてきた彼は、ついさっき見せた曇りの表情がまるでうそだったかのように、晴れ渡った青空のような気持ちのいい笑顔をたたえていた。


 それにしても、この人にはわたしがいったい何歳に見えてるのかしら。

 魔法の杖ジズリスはウエストポーチにしまってあるし、そんな子供っぽくもない……と思っているんだけど。



 それから5分ほど。


「ここです」

「うっわぁ」


 彼の案内で無事にたどり着いた図書館は、大きい。そして古い。

 古いって言ってもボロいんじゃなくてね、歴史のある文化財みたいな建物に見えるのよ。うん、こっちの建築物はよくわかんないし、ただの印象みたいな部分がほとんどだけど。


「すごいわ。立派な建物ね」

「そうでしょう。大昔の貴族の屋敷を改築して使っているんですよ」


 よかった。やっぱり値打ちものだったわ。


「それでは小官はここで詰め所に戻りますが、よろしいですか?」

「あ、はい。お手数かけましたわ。ありがとうございます。あの」

「なんでしょう」

「お名前を教えていただけないかしら。わたしはブリジットです」

「ええ、ブリジットさん。存じています。小官はクルト・フーベルトゥスです」

「ありがとう、クルトさん。あ、クルトさんでいいかしら?」

「もちろん。ではブリジットさん。また何かありましたらいつでも詰め所にどうぞ」


 さわやかに去りゆく背中を見送ってから、わたしは図書館の扉をくぐった。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「わたしの知っている図書館と違う」


 本は多い。わたしが知る図書館っぽいのはそこだけだった。


 まず人が少ない。少ない人の中には子供の姿が一つも見えない。

 いるのは、頭の良さそうなローブや帽子を纏った、いかにもな研究者風の人たちばっかりだわ。知ってるわよ。これが「アウェイ」ってやつね?


 一通り歩いてみても、新聞も雑誌もない。絵本コーナーもない。

 CDやビデオ視聴コーナーがないのはもちろん仕方ないけど、それ以外にも娯楽やライトな勉強のための蔵書がぜんぜんない。


 研究ガチ勢専用。


 そんな感じね。わたしが求めているような資料はあるのかしら……。


「迷子かな? お父さんかお母さんは一緒じゃないの?」


 たぶん、司書さんか事務の人だと思うけど、若い女性に声をかけられた。


 ……わたし、自分はどれだけ低くても十二~三歳以上には見えると思っているんだけど、この世界だともっと下っぽいのかしら。それじゃどこも雇ってくれないはずよね。


「違うのよ。わたしは調べ物がしたくて、それで――」

「ああ、初等学校の宿題かなぁ? ここのご本はあなたにはまだ早いかもしれないよ」

「こ、この世界の成り立ちとか、あと、社会体制とか」

「社会の勉強なのね。えらいね。でも、学級文庫の方がわかりやすく書いてあると思う」


 うん、追い出す気満々ね、これ。

 周囲を見ると、学者っぽい人たちが、こちらにチラチラと迷惑そうな視線を送ってきているもの。


 でも、わたしだって伊達に何十年も生きてきた上に魔法少女にまでなったわけじゃないのよ。簡単に追い出されてたまりますか。


「経済や税制についても」

「うん、先生に聞くといいと思うよぉ」


 ぽいっ。

 ……ホントに、そんな感じに追い出されて、投げ捨てられたような心境になった。


「なんなのよ、子供の向学心を無下にするなんてヒドいわよ」


 いや、子供じゃないんだけどね。


 まったくの無駄足よ。図書館がダメなら、あとは本屋さんかしら。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「ここは子供の来るところじゃないぞ」


 わかってたわよ。門構えからしてもう、ガチ勢以外お断りだったもの。

 本屋では中に入ることすら許されずに門前払いだったわ。


 うーん、ここは、情報や教育格差がヒドい世界なのかしら。一般大衆向けの出版物が存在しないみたいよね。


「ここは中世?ぽい世界なのよね。だとすると当然なのかしら」


 義務教育だの大学全入だのって、歴史のスケールで考えればごく“最近”の話だったはず。それでいえばここがそうでないのはなんの不思議も無いわよね。


 屋台のオレンジジュースを買って、公園のベンチで一休みしているわたしの目の前を同僚らしい人と並んで歩いて行くのは、午前中に別れたばかりのクルトさんだ。そういえばここって、詰め所から目と鼻の先よね。お昼休みかしらね。


 じゃまをするのも悪いし、そのまま見送ろうとしたけれど、見つかっちゃったみたい。あっちから声をかけてきたわ。やっぱりわたし、目立つ?


「ブリジットさん、もうお帰りなんですか?」

「もう、っていうか、入ってすぐ追い出されましたわ」

「「ああー……」」


 同僚らしい人もそろって「やっぱりな」的な声を漏らす。


「なんです? もしかしてわかってましたの?」

「いえ、ブリジットさんはいずこかの紹介状を持っているのだと思っていたんですよ。そうでないとすれば、あそこの閉鎖性から考えて、むりもないなと」

「貴族か大店の娘さんだろうと想像していたが違うのかい」

「みなさん同じようなことをおっしゃるんですけど、ただの庶民ですのよ」


 同僚さんも話しに混ざってきてそんなことを言う。

 このドレスがいけないのかしらね。それとも話し方?


 元の世界では、それなりに歳を重ねた後にこんな話し方になったわけだけど。この見た目と声でこんな話し方だと、いいとこのお嬢様に見えなくもないわね。

 

「わたし、この街で暮らすために、必要な情報がほしいだけだったのに」


 あ、クルトさんが考え込んでる。

 悩ませるつもりはなかったのよ。わたしの問題だし。


「あの――」

「もしよかったら、私の家にきませんか。図書館とはいきませんが、それなりの蔵書はあります」


 え。あら。意外な申し出が。

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