003:アーヴィン・フランクル その2
すでに他の悪党の人たちはいなかったし“日本”の警察ほど手続きにもうるさくはないみたいで、アーヴィンくんはその場で解放されることになった。
彼の昔の仲間だという冒険者さんたちは、最後まで「本当か」と繰り返し尋ねてきたけど、わたしの返事が同じなので諦めたみたい。
家出娘でもないことを説明したのち、安全な宿を紹介してもらったわたしは、ベッドに倒れ込むようにして泥のように眠った。ちょっと早い時間だったと思うんだけどね。明朝まで目を覚まさなかったわ。
「この宿にしばらくお世話になって、今度こそちゃんと仕事を見つけようかしら」
朝食をおいしくいただいてから、宿の人に仕事の募集をしているようなところ聞いてみた。いくつか教わったところにこれから出かけてみようと思うのよ。あ、ちなみに残念ながら、宿屋では人手は足りているみたいね。
「いやぁ、うちはちょっと」
大通りのレストランで断られた。
「う~ん、他を当たってくれないかな」
すぐ近くの花屋さんに断られた。
「すまないが」
雑貨屋さんに断られた。
「どこに行ってもムリだと思うよ?」
薬師さんに悲しいことを言われた。
「つまり、わたしが若すぎるせいなのね」
理解したわ。
この世界では十五、六歳くらいから働くのが普通らしいんだけど、わたしはその年齢に見えないのが原因みたい。
「『
言って、ちょっとだけ恨めしげな視線を魔法の杖に向ける。
もちろん、なんにも言ってくれない。
「家族で一年暮らせるお金があるのよね。一人なら三~四年は大丈夫そうよね」
いま現在が十二、三歳の外見だったとしても、三年経てば働ける年齢よ。
「……ちゃんと、成長するのよね?」
昔のアニメの魔女っ子って、たしか永遠の命だったりすることもあったような? 二、三年で目に見える成長をするのかしら。
「まあ、いまは考えないようにしましょう」
昼下がりの喫茶店で、紅茶を楽しむおばあちゃんなのでした。
緑茶があるとありがたいんだけどね。
それからはちょっと開き直って、街をのんびり見て歩いたわ。
キョロキョロしてみてもチェーン店はないし、ケータイショップもないし、ときどき耳が長い人とか、肌が緑の人とか、極端に毛深い……ううん、もう、動物の人よね? そういう人もいる。なるほど、異世界って感じ。
「あら? わたしどっちからきたのかしら」
そろそろ夕方。宿に戻りたいのだけど。
こっちかな。
「こっちは裏路地、みたいね」
ひょこひょこ。
さっさと通り抜けて明るいところに出ましょう。
そう考えた矢先だった。
「お嬢ちゃんは、ひょこひょこと暗いところに足を踏み入れるクセを何とかした方がいいな」
「え? お頭さん? どうしてここに」
昨日、わたしを売ろうとしていたお頭さんに背後から声をかけられた。
「あの後すぐに逃げた。マヌケなことに捕り物が終わったら冒険者連中は消えたからな。役人風情の数人で俺は抑えられねえよ」
「せっかく逃げられたのに、どうしてこんなところにいるの?」
「暗くなるまで隠れてそれからそうするつもりだったんだけどなぁ?」
たまたまわたしを見かけて、逆恨みを果たそうと姿を現したってところかしら。
「あのね、あなたね――」
え、うそ。油断した。
この人、こんなに素早い動きができたの。
「この棒っきれだよな?」
あっという間に腕をひねりあげられて、
「うぐっ……ああっ!」
「やっぱりなぁ、こうなればもうただの小娘ってわけだ」
魔法が使えない。ジズリスを握っていないとダメだったのね。
そういえば『魔法使いテリー』でもそんな設定になってたっけ。
天使さま、こだわりすぎです。
「おらぁ」
「い、いたっ。やめっ……」
こわい。魔法が使えないわたしに、なにができるの。
力いっぱいに髪の毛を引っ張られてつま先立ちになる。苦しい。
「なに、殺しはしないさ。ただ、逃げる前にお嬢ちゃんと
ぞわっ。体中の毛穴が開いて産毛が逆立つのを感じる。
男の意識が自分に向けられるのは、もう何十年振りだろう。もちろん知識としては忘れるはずもないし、娘や孫にも常々から注意するように言い聞かせてきた。
でも、実感としては、他人事になっていたんだ。
「いやっ! やだっ! 離して! 離せ!!」
「よしよしよし、そうでなくっちゃな。やっと年相応の顔を見せてくれたじゃねえかよ。ふへへへ」
「やぁだああ~~~!!」
ゴッ。
とつぜんに鈍い音がして、男の動きが止まった。
ゆっくり見上げると、わたしを組み敷いている男の額から血が流れている。
男はわたしから手を離してゆっくりと立ち上がる。
その視線の先にいたのは――アーヴィンくん?
「おまえさ、なにを勘違いしてるんだ?」
「お、お頭、もうやめてくださ――」
「石で頭をぶん殴ってきたヤツが言うかそれ!!??」
やっぱり速い。そして、強い。
複数人いたはずの警備の人から逃げてこられたのも頷ける強さだ。
「おらおらおらぁ!」
「ごぶぶはっおかし……ぐあ、ごべんな゛ざいやめて」
「ラクに死ねると思うなよてめええ!!」
ヒドい。どうやったら人はここまで残酷になれるんだ。
それを体現しているかのような、惨たらしい光景だった。
「逃……げろぶりじっ」
「うるっせえしゃべんな! おい小娘、そこにいろよ、逃げたら殺す」
!!
こわい。いまなら逃げられる……はずなのに、それを無理だと思わせる圧倒的な恐怖。
何十年も生きてきたはずの自分の人生を振り返ってみても、一度だっていまこの場で起きているような
「い゛け゛ろ゛ぉ……」
「ええええええい!!」
ゴッ。
「やった?」
さっきの大石で男の頭をぶん殴ってやったわ。
無駄になんて生きてない! おばあちゃんが、助けに来てくれた子を見捨てて逃げられますかっていうの!
「やってくれたな。痛いわ」
パーン!
……あれ、なんでわたし寝てるの。
あ、そうか。平手打ちされた勢いで吹っ飛ばされたんだ。
なんなのかしらこの男の膂力ときたら。
ふと、わたしは、門限を破ってお父さんに叩かれたことがあったのを思い出していた。ああ、あのビンタには愛があったのね。
男がゆっくりと近づいてくる。いやらしい笑いだわ。
だけどね――――ここから逆転劇よ!
「ブリジッ……ト!」
ふわっ。
頼りなく、力無く、飛んでくる。
死にそうな限界の体力を振り絞って、アーヴィンくんが放った
力がみなぎってくる。負ける気がしない。
「ごめんなさい、反則よね。あなたもきっと努力してその強さを身につけたんでしょうけど」
「お、あ、それ――」
「だけど、これは仕方ないわよね。痛かったし、怖かったし、それから」
おばあちゃんを助けに来た
「ソルシエ――」
なぜかくるくる廻りながら、きらきらを紡いでいく。
紡いだ魔法は、正義の力になるのよ。
「――エーデ・ペネトーレ!」
「どわああぁあぁぁぁ!!
魔法の光が悪を包み込み、瞬時に無力化する。
光が収まったとき、そこには、黒焦げの大男が転がっているだけだった。
問答無用のパワーだわ。うん、反則よぜったい。
「生きてるわよね?」
つんつん。あ、ピクピクしてる。さすがに人殺しはわたし、いやよ。
「アーヴィンくん、いまのうちに縛り上げよう」
「お、おう……」
☆★☆★☆★☆★☆★
「いだっいだだだ」
「ほらほら、まだそっちもおクスリ塗るから」
通報で駆けつけた警備隊の人たちに男を引き渡したのち、わたしはそこにいた冒険者さんの治療魔法でキズを治してもらった。ひっかき傷やアザだらけだったのがあっという間に治って、かわいい顔に戻ったわ。
アーヴィンくんは、冒険者さんたちがいるのを知って、姿を隠しちゃったけど、わたしが詰め所から出て帰途につくと、いつの間にか近づいてきて宿まで同道してきた。
そんなわけで、いまは宿屋で、アーヴィンくんの治療中なの。
魔法でなんとかなるかなって思ったんだけど、一発放ってみたら、階下のフロントにまで届くような悲鳴をアーヴィンくんが上げるからやめた。
男の子のくせにだらしない。
「あだだだっ、なんで……俺を助けた」
「助けられたのはわたしよ?」
「そうじゃなくて、昨日の話だ」
ああ。
「それが聞きたくて、わたしをつけてたの?」
「つけてねえよ! たまたま見かけたから」
よく見かけられるなぁ。わたし、そんなに目立つのかな。
……目立つよね、うん。
「なんでだよ」
真剣な目で、でもちょっとふてくされたような様子で、繰り返し尋ねてくる。ふぅ。
「助けてないわよ。事実を告げただけ」
「事実だって? そもそも俺がおまえを誘拐したんだぞ」
「そうね、それは、いけないことね」
ぺんっ。ひたいにでこぴん
「痛でえええええ」
「ちょっと大袈裟じゃない?」
「大けがしてるんだぞ俺」
ああ、そういえばそうだった。顔中包帯と絆創膏だらけ。
こういうのも、わんぱく坊主みたいで、嫌いじゃないなぁ。
「わすれてた。ごめんね。でも、おしおきはしないと」
「おしおきって」
「だけど、あのおっかないお頭に刃向かってまで、わたしを助けようとしてくれたでしょ」
「人買いなんて重罪を犯したくなかっただけだ」
「うん、知ってた」
「な」
わたしの一言に、アーヴィンくんは一気に鼻白む。
はぁ、もう、この子は手間が掛かるなぁ。
「弱虫。へたれ。ハンパ者」
「う……て、てめえ」
「よかったね、不甲斐無くて。やり直せるよ」
「はぁ?」
「わたしはね、大それた事のできる度胸のある子より、悪いことのできない腰抜けの方が好き」
「だからわたし、アーヴィンくんが好きだよ」
にこ。
「っ……う」
手間がかかってこの子、とってもかわいいよ。
悪ぶってみせるのがおかしくって、ついつい笑いが漏れちゃう。
だけどね、ホントはダメなんだよ、こういうときに笑っちゃ。
身体の若さが、箸が転んでもおかしい年頃だからかなぁ。
「ああ、もう腰抜けは治ってるか。カッコよかったよホント。騎士さまに助けられるお姫さま気分だったもん」
「あ、うぅ」
すっごくこわかったけど、これはホント。ちょっとホント。
何回も経験したいとは思わないけどね。
「よっし、治療終わり」
「痛でえっての!」
ああ、最後にぺしんって叩いちゃうの、昔からのクセなのよね。
笑って許して男の子!
「……で、おまえはこれからどうするんだ?」
「え? ああ。なんかね、まだ若すぎるみたいでお仕事できないのよ。だから、二~三年はのんびりしようかなって」
「やっぱ、金持ちの家出娘なんだろ?」
「まさか。それはぜったいにないわよ」
あ、でもそういう設定で通すのも説明が面倒じゃなくていいかもね。
「えっと、じゃあ、しばらくはこの街にいるんだな?」
「あ、うん。この宿で長期割引してくれるっていうし」
「そうか」
「うん、そうよ」
そして、会話が途切れる。
なんかずっと話してたり叫んでたりしたから、新鮮な気分よね。
「じゃ、じゃあ、俺がその間の面倒みてやるよ」
「ええ~? いいよ、そんなの」
「い、いいって……」
あれ。ものすごく凹んでる?
だってさ、アーヴィンくんだってお仕事しないといけないし。
「じゃあ、仕事のない日にいろいろ案内してやるから。それならいいだろ?」
「まあ、それなら、いいかな?」
「よし、約束だからな。絶対だぞ」
アーヴィンくん、なんか幼児化してない?
「じゃあ、俺帰るから。仕事探すし」
「ああ、うん。がんばって」
「おう」
凹んだかと思うと、急に機嫌が良くなって帰っていった。やっぱり年頃の男の子は難しいね。
ところで、あんな風船みたいに膨らんだ顔でお仕事見つかるのかなぁ。
「そういえば、この世界にきてまだ二日目なのよね」
それにしてはいろいろあった。ここって、こんな事件が毎日起きる世界なのかしら。
「まさか、ね」
独りごちたタイミングで、夕食の時間になった。
昨晩は食べ損ねたのよね。どんな料理が出るのかしら。
わたしは、弾んだ気持ちで食堂に向かった。
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