第367話 皿屋敷 後編
殴り殺したい気持ちを抑えつつ、キックスとなんとか話が出来るところまで落ち着いたので、いよいよ再発防止策の話になる。
本人たちが死んでいるのに対策を考えてどうなると思うだろうが、やはり大人として再発防止策を持ったうえで謝りに行かないとね。
行った先で「対策も無しに来たのか?」って嫌味を言われちゃうぞ。
「まず確認なんだけど、皿を持つ時の標準作業って決まっていたのかな?」
俺の問いにキックスが首をかしげる。
「標準作業とは何でしょうか?」
「決まったやり方のことだね。例えばだけど、お皿は必ず両手で持つとか」
俺の例えを聞いて、キックスは少し考え込む。
「特には無かったですね」
「そうか」
まあ、標準作業なんて考え方がそもそも広まっていないだろうから、これはある程度予想していた。
所謂、ルールがなくて個人任せになっていた状態だな。
ここに対策をする必要がある。
それともう一つ確認しなければならないことがある。
「何度が手を滑らせたことはあったかな?キックスだけじゃなくて、他の使用人とかも」
「あ、結構頻繁にありました。お皿って滑るじゃないですか」
ゴーストの割には元気な返答が来た。
これでわかったのだが、やはり日常的に危険な状態だったわけだな。
何度も危険な状態にあったが、対策をしてこなかったというのは、前世の自分の会社みたいだな。
工場でいうところのヒヤリハットって奴だ。
ハインリッヒの法則とも言う場合もある。
ハインリッヒの法則とは、1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというものだ。
実際にはそんなに綺麗な比例にはならないらしいが、日常的に危険があって、それがいつかは重大事故になるのは間違いない。
ヒヤリとしたり、ハッとした時はその原因を調査して対策をしなければならないという事だな。
ほとんどの場合は喉元過ぎれば熱さを忘れるで、結局根本的な対策などはしないのだが。
例を挙げるなら、視力の低下で自動車の運転中にヒヤリとしたことがあっても、中々眼鏡を作らずにそのまま運転して、遂には事故を起こしてしまうとかだな。
誰とは言わないが。
工場でも指を機械に挟みそうになっても、実際に挟まなければ作業者も危ないと打ち上げなかったりするので、中々表には出てこないのだが、労災になった時の調査で、「実は前から何度か挟みそうになっていました」とか出てくるのだ。
早く言え。
この屋敷でもキックス以外の誰かが、皿を落として割ってしまう可能性は常にあったのだと思う。
たまたま、それがキックスだっただけで。
その偶然でキックスに殺された、この屋敷の主人は運がなかったな。
怒っていたのがどれくらいの勢いなのかはわからないので、キックスが全て悪いとも判断できないが。
ほら、コンプライアンスの垣根を越えて、怒り過ぎちゃう人っているじゃないですか。
その垣根を越えちゃいけないのに。
日本語の使い方を間違っている気もするけど、とりあえずは気にしない。
「皿を落とした時は、片手で持っていた?それとも両手で?」
「片手でです。お皿を閉まってある棚の場所が高くて、自分の身長だと背伸びして、片手を伸ばしてやっと取れるくらいでした」
キックスの答えを聞くと、そりゃあいつかは落とすよねという状況だった。
せめて皿が低い位置で、両手でしっかりと握ることが出来ていたなら、こんな悲劇にはならなかったかもしれない。
「まずは両手でしっかりと皿を掴む事を標準作業にしよう。それで、皿を両手で掴めないときは、絶対に皿を片手で掴まない。『止める・呼ぶ・待つ』って知ってる?」
それに首を振って知らないとアピールするキックス。
「標準作業が出来ないときは、作業を止めて、責任者を呼んで、指示があるまで待つんだよ。今回の事でいえば、無理せずに手が届くような身長の人を呼ぶようにするべきだね」
「でも、都合よく背の高い人がいなかったら?」
プリオラに質問される。
その心配も尤もだ。
「そうだね。じゃあ、治具を作ろうか」
「「「治具???」」」
全員の視線が集まる。
治具って呼び方が良くなかったか。
「ようは、高所にあるものを取るのに使う踏み台だね。使用する基準は目の高さ以上の物を取るときかな。皿の上に別の小さい皿とか乗ってても危ないから」
「それは確かにありますわね。死角に泥棒の指を挟むような罠が仕掛けられている事もありましたから」
と、何かを思い出すオーリス。
「オーリス、まさか今でも?」
「まさか、そんな証拠も記憶もどこにもありはしませんわ」
未だに盗みを働いているのかと心配になった俺に、そうオーリスは答えた。
本当にやってないなら、やっていないと言えばいいのに、証拠も記憶も無いって言うのは、やってるって事ですよね?
「ご心配には及びませんわ」
そう妖艶な笑みを作るオーリス。
夫婦間での隠し事は無しですよ。
「そこ、夫婦の会話は後にして」
「あら、シルビアさんは妬いているのかしら?」
「違うわよ!話が進まないからよ!!」
オーリスの勝ち誇ったような表情に、シルビアが顔を真っ赤にして怒鳴る。
それをプリオラがニヤニヤしながら見ているので、シルビアは余計にカッカしてしまう。
話が進まないよ。
「後は、水や油で濡れた手で持たないことだね。兎に角滑りやすいから、滑る要因を減らしていこう。これでも絶対に落とさない訳じゃないけど、落とす危険は減るはずだから」
後ろで姦しくなっているのを無視して、キックスに再発防止策を説明する。
キックスも頷いてくれている。
こんなもんかな。
落下をなくすのなんて無理だろうけど、作業を標準化して、なるべく異常作業を減らせば、軽微な事故は減る。
そうなれば重大な事故も減るだろう。
後はそのルールを守るための教育だな。
ルールは作ったら終わりではなく、いかにして遵守させるかだ。
それに、ルールに不備ややりづらさが在るのも常なので、定期的な見直しも必要になる。
不良を出して数ヵ月はみんな緊張しているけど、一年もすれば風化しちゃうよね。
忘れんなや!
おっと、ついつい心の声が。
「これをご主人様に報告して謝れば、きっと許してくれると思います」
出会ったときよりも薄くなっていくキックス。
「最低でも三ヶ月はルールが定着したか観察するんだぞ」
「はい、わかりました。天国のご主人様も納得してくれると思います」
それが彼女の最期の言葉だった。
「逝ったかな?」
「そうですわね」
俺が誰に言うでもなく、ポツリと呟いた言葉にオーリスが反応してくれた。
「でも、あいつが天国に行けるわけないと思うんだけど」
プリオラが当然な意見を言う。
「プリオラの意見に同意だわ」
シルビアも腕を組んで頷いている。
「ミスを咎められたら逆ギレして、相手を殺すような奴が天国に行けるのなら、どうやったら地獄に堕ちるのかしりたいよなー」
一度死んだ経験から、天国ではなく極楽だと思うのだが、それを説明するのが面倒なので黙っておいた。
三途の川の向こうに天国があるなら、それはそれで今までの教義が変わるから大変ですねと要らぬ心配もする。
「それに、仮に会えたとしても、私が主人ならそんな女ぶったぎるわ」
「プリオラの言うとおりね。あたしもよ」
プリオラとシルビアでなくとも、自分を殺した相手が目の前に現れたら斬るよなあ。
あのゴーストはどこまでポンコツなんだろうか。
「なんにしても、これでこの屋敷の売却を邪魔していた要因が無くなりましたわね」
オーリスはウキウキである。
貴族地区の一等地なので、買いたい人は多いだろうな。
俺たちはゴーストのいなくなった屋敷に施錠をして帰る事になった。
その夜、夫婦の寝室で夜の営みを終えた後に、オーリスは並んで寝ている俺の方を見て
「アルト、今日はありがとう」
と、感謝の言葉を口にした。
「どういたしまして。オーリスが困っているなら俺が解決してあげるよ」
「疲れてない?」
「大丈夫だよ。心配してくれているの?」
「そうじゃなくて、疲れていないなら今夜はもう一回出来るかなと思って」
「勿論喜んで、でもどうして」
「こう毎晩じゃあかなわないですわ。明日はお休みしようと思うので、その分まで」
新婚なので毎晩のように仲睦まじくしていたが、オーリスの負担になっていたとはな。
「無理しなくていいよ」
そう言うと、オーリスは小さく頷いた。
その日はそのまま寝た。
そして翌日の夜、俺は夜中に目が覚めてしまった。
ふと隣を見るとベッドにオーリスがいない。
トイレかなと思ったがなかなか帰ってこない。
「大丈夫、オーリスに限って不貞を働くようなことはしていない。きっとコンビニまでアイスを買いにいったに違いない」
そう自分に言い聞かせて寝た。
朝になると、オーリスは隣で寝ていた。
夜中の事を聞きたいが、そこはグッと我慢する。
そして仕事に向かった。
「衛兵だけじゃ心許ないから、こちらにも依頼を出したいんだ!」
冒険者ギルドでは太ったおっさんがカウンターで依頼を出しているところだ。
「オーリス、あれなに?」
俺のところに来ていたオーリスに訊ねる。
「なんでも、夜中に家宝の皿を盗まれたから、それを探して欲しいって依頼みたいね。あいつは悪い噂ばかりが目立つ商人だから、冒険者ギルドでも本当に盗まれたのか裏を取ってからじゃないと依頼を貼り出したくないみたい」
そう教えてくれる。
夜中に皿が盗まれる。
昨日は夜の営みがお休みで、オーリスが夜中に居なかった。
盗みに対して明確な否定の無かったオーリス。
「きっとコンビニにアイスを買いに行ってただけだよね」
再びそうやって自分を納得させる俺を見て、シルビアが不思議そうな顔をした。
※作者の独り言
最後のオーリスの台詞は、古典落語『お菊の皿』のサゲから。
前にも書きましたが、落下は無くせないんですよね。
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