第336話 皮はシャッキリシコシコ

「んー」


 オーリスは唸った。

 彼女の首にはピジョンブラッドの赤いルビーのネックレスがかけられている。

 鏡でその姿を眺めているのだが、どうにも気に入らないようだ。

 今日は屋敷に宝石商が来ており、ルビーの前にも色々な宝石を着けてみたが、オーリスはどれもいまいちな反応であった。


「いかがでしょうか?」


 宝石商がニコニコしながらオーリスに訊ねた。


「どれもいまいちしっくりこないのですわ」


 オーリスが鏡に映った自分の姿を見ながらそう答えた。


「しっくりですか……」


 宝石商は困惑の表情を浮かべた。

 そして俺も同じくだ。

 別に宝石を買わないから困惑したわけではない。

 オーリスのしっくりという言葉に反応したのだ。

 このしっくりという言葉は、製造業においてもよく使われる。

 殆どが嵌めあいの状態を指す言葉だ。

 「しっくり嵌るように」っていう指示が出るのだが、このしっくりというのは感覚であって、実際にどれくらいの数値なのかというのは不明だ。

 そのくせ、どの職人もしっくりで納得してしまうし、実際にそれで完璧なものを仕上げてしまうのだ。

 しかも、いつもの職人が忙しくて、手伝ってもらっている別の職人に、既に完成している片側の製品を渡して、これとしっくりいくように仕上げてくださいってお願いすると、やはり完璧なものが仕上がってくる。

 いつもの職人に出来映えを確認してもらっても、「これで問題ない」って言われた。

 しっくりは共通認識であるようだな。


 しかし、量産を管理する品管からすると、非常に困るのだ。

 しっくりってどうやって管理したらいいのか全く分からない。

 試作時に設計と打ち合わせをして、公差の表記を敢えてせずに、試作図面にしっくりって書かれた時は、それでいいのかと思ったものだ。

 量産時の公差範囲を決めることが出来ないだろ。

 まあ、それが量産品の出来のばらつきになるんだけどな。

 良品であってもしっくりではないものが市場に流れていっている。

 数値管理の限界だな。


 こういう言葉は結構ある。

 とある料理漫画のメインヒロインの台詞で

 「皮はシャッキリシコシコ……かむと美味しいおツユがピュッ……」

 というのがある。

 シャッキリシコシコってどんなものなのか何度読み返してもわからない。

 シャッキリって単語がなかったら、まず間違いなくR18指定が入っていると勘違いするだろう。

 それはそれで見てみたい気もする。

 具合はどうですか、山岡さん。


「――!!」


 俺がついついそんなことを考えていたら、顔の横を二本のナイフがかすめていった。

 そして後ろの壁にささる。


「昔は三匹いっぺんに仕留められたんだけど、今じゃ二匹が限界ですわね」


 ナイフを投擲したのはオーリスだった。

 彼女は投擲した姿勢のまま、ナイフによって刺殺されたゴキブリを見つめてそう言った。

 荒野の七人に出てきたブリットか!


「危ないじゃないか」


 俺は抗議した。

 が、オーリスはハイライトの消えた目でこちらを見た。


「アルトが良からぬことを考えていた気がしたので、意識をこちらに引き戻しただけですわ」


 バレテーラ。


「それはそうと、しっくりいく宝石ってどんなのがあるの?」


 俺は話題を変えた。

 俺の質問にオーリスは少し悩む。


「インスピレーションですわね」


「インスピレーションか」


「そうですわ。宝石が身に着けて欲しいと語り掛けてくるようなあの感覚、それが伝わってきたものがしっくりですの」


「なるほどねえ」


 相槌をうってはみたものの、いまいちよくわからない。

 多分、自分の中で積み上げた経験からくる感覚なんだろうな。

 この辺はベテラン作業者が発見する異常と近いのかもしれない。

 いつもと違うけど、何が違うのかはうまく言えないからこれを見てっていうのは稀にあることだ。

 そして、そういったものを計測すると不良が発見される。

 作業者は単に外観検査しかしておらず、寸法不良かどうかなんてわからないのに、それを発見してくれる。

 しっくりこないとはそういうものなのかもしれないな。

 そういうことにしておこう。


「で、しっくりこないから今回の宝石は買わないって事でいいのかな?」


 俺の言葉に宝石商ががっかりするのが見えた。

 商売人が表情に出しちゃまずいんじゃないかな?


「いいえ、全部買いますわ」


 オーリスはそういうと、執事に金を持ってくるように指示をした。

 先程までこの世の終わりみたいな顔をしていた宝石商が、ぱっと明るくなった。

 不良の連絡を客からもらって落ち込んでいた品管が、「選別だけで対策書は不要だから」って言われた時みたいな表情の変わりようだ。


「全部買うの?」


 驚いた俺はオーリスに聞き直した。


「ええ。宝石としては良いものですので、他のご婦人の手に渡るのは惜しいので。他人に使われるくらいなら手元に置いておきますわよ」


 どこかのプロ野球チームみたいな理論だなと思ったが、ここで口を出してもろくなことにならないのでやめておいた。

 オーリスなら予告状を出したうえで、盗んでくることも可能だからな。

 それならお金を払って手元に置いておくのを承知したほうがマシだ。


「よかったですね」


 俺は宝石商にそう声をかけると、コーヒーを飲むという理由で退室した。

 こういったものは、男は金額を聞かないに限るね。




※作者の独り言

しっくりと適当が理解できると一人前。

他にもあるかもしれないけど。

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