第253話 シールドを突き破って
オーリスから大切な話があると呼ばれて、今はオーリスの屋敷にいる。
「アルト、この指輪を左手の薬指にはめますわよ」
オーリスはやおら俺の左手を取ると、持っていた金の指輪を薬指にはめようとする。
「ちょっときついかな」
俺は第一関節に当たって止まった指輪の感覚をオーリスに伝えた。
「残念ですわ。我が家に代々伝わるエンゲージリングをアルトに着けていただこうと思いましたのに」
エンゲージリングって、まだ両親にもご挨拶してないのに。
異世界ファンタジーなのだから、合宿先の別荘に相手の親を呼びつけるあれなイベントやらないと。
オーリスは手順を間違っている!
結婚までのQC工程表が間違っている!!
「指輪のサイズって変えられないのかしら?」
俺の内心を無視するかのように、オーリスは指輪を親指と人差し指で摘まみながら眺めている。
「金の指輪なら、ホーマーに頼めばサイズ調整できると思うよ」
「そうなの?」
指輪のサイズ調整は溶接だ。
指輪を切って同種の金属を溶接して仕上げて孔を大きくするのだ。
二種の金属を混合した指輪だとそれが出来ないので、サイズ調整は無理だけど。
「じゃあ、ホーマーのところに今すぐ行きますわよ」
そんなわけでホーマーの仕事場に来たが、床には製品が沢山転がっている。
なんだろうと拾い上げてみると、鉄を溶接したものだった。
「良かった。アルトに相談したいことがあったんだ」
ホーマーは俺の顔をみるなりそう言ってきた。
「どんなに溶接しても不良になっちゃうんだよ。これ全部不良なんだ」
手に持っていた製品の溶接部をみると、大きなピンホールがある。
確かに不良だな。
「相談に乗る前にひとつ言っておきたいことがある。かなり厳しい話をするが、俺の本音を聞いてくれ。不良を床に置いてはいけない。赤箱に入れておけ」
不良を床に置くとは何事だ。
「赤箱から溢れたんだ」
ホーマーが指差す方向にある赤箱には同じ製品が山と積まれていた。
「こんなに……」
絶句だな。
「どうしてこうなったんだ?」
「それがわからないんだよ。ある日突然こうなったんだ」
製品は以前から溶接していた。
それがある日突然となれば、そこには何か変化点があったはずだ。
「不良が出始めたときに、何か変わったことはなかったか?」
俺の質問に、ホーマーは少し考える。
「あ、最近暑くなってきたから、風魔法を付与したマジックアイテムを購入しました」
「それを見せてくれ」
ホーマーが見せてくれたのは、異世界の送風機だった。
付与された風魔法をコマンドワードで発動し、任意の方向に風を送るマジックアイテムだ。
どうやらこいつが原因だな。
「ホーマー、わかったよ。溶接するときに、こいつを使っていたんだろ」
「ああ、とても暑いからね」
「アーク溶接にはシールドガスっていうのがあって、空気が金属に触れるのを防いでいるんだ。それをこのマジックアイテムで吹き飛ばしたから、溶接部が空気に触れてピンホールが出来たんだな」
「そんなことが」
前世でもこういうのあったな。
溶接職場はとにかく気温が高い。
保護具がまた分厚くて、それを着込むと夏は熱中症になるくらいだ。
暑いからって、作業者が扇風機やスポットクーラーを持ってくるのだが、その風がシールドガスを飛ばして溶接不良になる。
他には材料に付着した油が、溶接の熱で蒸発するときにシールドガスを突き破るってのもあるが。
兎に角、シールドガスが無くなるのは不良の原因になる。
「そういうわけで、このマジックアイテムはしよう禁止だな」
「そんな。暑くて死んじゃうよ」
泣きそうな声で訴えてくるホーマー。
「気持ちはわかるが、そういうジョブだからなあ」
だから溶接職場には、若い人が定着しないんだよな。
泣きながら扉に走るホーマー。
俺は追いかけて、ホーマーの腕を掴んだ。
「はっはっはっは、何処へ行こうというのかね?」
俺はホーマーに訊いた。
「辛いんで、気温が下がる夜になるまでお酒を飲んできます」
いや、それは駄目だろ。
「3分待ってやる。考え直せ」
「アルトは溶接の辛さがわかってないんだ!【アーク溶接】」
ホーマーは俺の目の前でアーク溶接のスキルを使った。
あまりの眩しさに、俺は掴んでいた腕を放し、両手で目を押さえる。
「ああ、ああ、目が、あああぁぁぁぁあーー!!」
アーク溶接を直視すると白内障になるんだぞ。
なんて事してくれるんだ。
ヒールで目を治療して、ホーマーを落ち着かせる。
「ごめん」
落ち着いたホーマーは俺に頭を下げた。
「溶接の仕事が大変なのはわかっている。オーリスの指輪のサイズを調整する仕事をしてくれている間は、俺がここの温度を20℃にしておくよ」
そんなわけで、室温を下げてホーマーに指輪の溶接をしてもらった。
今度は俺の指にしっくりとなじむ。
「困ったわ。指輪のコマンドワードを忘れてしまいましたわ」
オーリスがそう言った。
「コマンドワード?」
「ええ。エンゲージリングはマジックアイテムですから。バルスだったかしら、スバルだったかしら?」
多分どちらも違うと思うな。
どちらも俺の証券口座に滅びをもたらした呪文だ。
「あ、思い出しましたわ」
オーリスがやっとコマンドワードを思い出し、指輪が効力を発揮する。
だが、なんの変化もない。
そこにシルビアとスターレットがやって来た。
エッセの作品を買いに来たのだとか。
「あらアルト」
シルビアが俺に気付いた。
「私もいますわよ」
オーリスがシルビアに言うと、シルビアは邪悪な笑みを浮かべる。
そして、両腕で俺の頭を抱え込むと、自分の胸に引き寄せた。
俺の顔がシルビアの双丘の谷間に埋まる。
「アルト、オーリスに飽きたらいつでもあたしのところに来なさい」
耳からそんな言葉が入ってきた。
想像だけどオーリスとシルビアの間には、視線がぶつかってスパッタが飛んでいるに違いない。
「痛たたたたたっっっ!!」
俺の左手の薬指に激痛が走る。
「早速エンゲージリングの効果が発揮されましたわね。私以外の女性と仲良くすると激痛が走りますのよ。着けた相手が自分だけを愛してくれるようにする『エンゲージ』。無理に外そうとすれば、更なる激痛が襲いますわ」
孫悟空の緊箍児か!
俺が苦しんで叫び続けたのでシルビアが放してくれた。
床に膝を着いて苦しんでいると、スターレットがやって来た。
そして俺の左手を両手で優しく包む。
「痛いの痛いの飛んでけー」
スターレットそういうと、再び激痛が走る。
「痛たたたたたっっっ!!」
その後、この指輪はオーリスしか外せないとわかると、シルビアが俺の左手の薬指を切断しようとしたりして大変だった。
※作者の独り言
溶接職場が大変なのはわかりますが、品質は命より重い!
熱中症は気合いでのりきれ!
全部ロボットで溶接にならないかね?
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