第73話 お値段異常

「独立したい?」


 俺は今エッセの工房で売上金を確認していた。

 そこでエッセに独立したいと言われたのである。


「はい」

「まあ、待て。うちは会員制で会員以外は価値がわからないとか言ってないし、この世界でハンバーガーが売れるとも限らないんだぞ」

「ハンバーガー?」


 あれ?

 美食倶楽部を辞めて、ハンバーガーショップを作りたいっていう訳じゃないのか。

 そもそもうちは美食倶楽部じゃないが。


「ごめんごめん。訳を聞こうじゃないか」

「はい。アルトにへら絞りを教えてもらって、工房まで用意してもらった恩は忘れたわけではありません。ただ、自分の責任でもっと新しいものを作りたいのです。それが売れるかどうかはわかりませんので、ここで試すとご迷惑かと思いまして」

「そういうことか」


 エッセは元々新しいことに挑戦したくて、今までの師匠と衝突してきたからこそここにいるのだ。

 それを知って雇ったのだから、ここで出ていくなというのも無いよな。


「工房の場所や、機械の宛はあるのか?」

「いや、それらは全てこれからです。独立の許可も無しに、先にそれを準備するわけにはいきません」


 意外としっかりしてるね。

 俺なら後先考えずに飛び出しているぞ。


「じゃあ、ここを買い取ってほしい」

「いいんですか?」


 俺の提案が以外だったようで、エッセは驚いた。

 しかし、当然といえば当然である。

 なにせ、俺には加工するスキルが無い。

 作業標準書を作らせてもらえば、それでも可能だろうけど、そもそも冒険者ギルドの職員としての仕事もある。

 いつも遊んでばかりいるけど、それでも少しは仕事をしているぞ。

 山岡さんの1.3倍くらい(当社比)。


「いいも悪いも、俺には加工が出来ないからね。それともう一つ条件がある」

「条件ですか?」


 エッセの顔が緊張する。

 そんな無理難題は言わんよ。


「俺がスキルで作り出している、ステンレスとアルミの材料は、今後は金を払ってもらうよ。鉄や銅は他所から仕入れてもいいけど、他所では作れない材料は、今までみたいに無料で提供という訳にはいかない」

「それなら、勿論お金を払います」


 今までは自分の店だったから、材料費は気にしていなかったが、これからは経営者ではないので、自分のスキルで作った金属は買ってもらうことで合意した。


「そういえば、エッセは見積もりできるのか?」

「見積もりですか?」

「値段の決定といえばいいかな」

「やったことないですね」


 そうだよな、ここの商品は全て俺が値段を付けていた。

 いい機会だから、餞別代わりに値段の決め方を教えておこう。


「まずわかりやすいのは材料費だ。これは製品をつくるのに使う材料の仕入れ価格だからわかりやすいだろ」

「そうですね」


 材料の値段は重量で決まる。

 体積に比重をかければ重量が出てくるので、それにキロ単価を掛け算すれば、おおよその値段がわかる。

 比重は少し変化するので、実際の重量とは誤差が出るが、小さい製品なら気にならない。

 後は、材料全てが製品になるわけではなく、端材がでるので、その分のスクラップ買取価格を計算したりもするのだが、この世界ではそこまでは必要ないな。


「次に、家賃と機械の代金だな」

「家賃と機械の代金ですか」


 現代では機械はリースだったりすることが多いので、家賃とともに、一ヶ月にいくら支払いが出るのかという計算が必要になる。

 それを製品に乗せるのだ。


「この工房を機械ごと売ってあげるから、何年でそれを回収するか考えれば、1日いくら稼げばいいかわかるだろう」

「計算は苦手なんですよね」

「ああ、そうか」


 義務教育が制度化されていないので、ここでは全員が計算を出来るわけではない。

 ちとハードルが高かったか。

 まあいい、計算の出来る奴を雇うのも手だ。


「あとは一日に何個作れるかだぞ」

「それなら大丈夫です」

「加工時間だけじゃない。検査したり、販売する人が何人いればっていうのも考えるんだ」

「ええ、そんなに」


 エッセは情けない声を上げる。

 1日1万個加工できても、仕上げや検査で時間がかかれば、当然販売できる個数は減る。

 また、運搬するのにも人手が必要な場合はそれも考慮しないとだよな。

 そう云うのを含めて、一日の加工可能数を弾かなければならない。


「それと加工油の使用量に応じた値段か」

「それなら大丈夫です」


 グラスのような比較的小さな製品については加工可能数も多いが、中華鍋くらいになると多くは作ることができない。

 また、機械を動かす人員と、検査や販売をする人員を考えると、それなりの人数が必要になる。

 今は俺がその辺をやりくりしているが、独立するなら自分でやらねばならないのだ。

 値段設定を間違えると、どんなに売れても赤字にしかならない。

 まあ、そんな製品が結構あったりするんですけどね、どこの会社とは言いませんが。

 ●長や専◎の頭の中には、検査や運搬という言葉がないのです。

 「検査費なんか貰ってないんだから検査なんかするな」っていうのはあなたの脳内だけですよ。

 頭にきたので一度不良が出た時に、「検査費をいただいてませんので、対策書は提出できません」と客に回答して、経営者を追い込んだこともあったな。

 勿論、客とは事前に打ち合わせした上でやってますが。

 すまん、前世の記憶が……


「今までは作っていればいいだけだったが、独立するなら今後はこういった事も考えていかなきゃならないんだぞ。一人でできるのか?」

「ひとりじゃないと言ったら?」

「は?」


 何その急展開。

 俺がピクルスを持ち込んで大団円じゃないの?


「ナディア」


 エッセが工房で働いているナディアを呼んだ。

 ナディアは若いドワーフの女性である。

 肉は食うぞ。

 雇う時の面接で、念の為確認したから間違いない。

 因みに、古代アトランティス人でも無かった。


「私達結婚することになりました」


 そうナディアから伝えられた。


「ああ、そうですか……」

「エッセが稼げなくなっても私が支えるって言ったら、独立を決心してくれたんですよ」

「はい……」


 そんなわけで新製品については、暫くの間俺も値段の設定を確認するとなった。

 そして、工房の経営権を譲って、材料だけは注文を受ける事で俺はへら絞り事業から撤退となった。

 まあ、面白そうなものを考えついたら、ここで試作してもらえばいいわけだしな。


 後日、エッセとナディアの結婚式に呼ばれた。

 その帰り路、ティーノの店にシルビアと一緒に寄って、お酒と料理を楽しんだ。

 そして、酒の入ったグラスを掲げて


「ジャック・ルピック氏に……」


 と捧げる。


「何やっているの?」


 シルビアが不思議そうな顔をした。


「いや、本当はナディアと結婚するはずだった男に献杯さ」

「それならジャン・ロック・ラルティーグでしょ。同じフランス人だけど、ジャック・ルピックはミシュランの三ツ星シェフで、毎日月島の大衆酒場に通っていた人よ」

「そうだったな」


 俺はシルビアに指摘されて、間違いに気がついた。

 あれ、何かおかしいぞ。



※作者の独り言

見積もりを間違ったつけを、製造に押し付けるのはどうかと思います。

その結果品質を無視して作るしかなくなりますからね。

牛肉偽装でもそうでしたが、販売価格ありきでは破綻します。

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