5.地角の聖者

 なんとか教会の中へと2人を連れ込んだルシフは、どうにかして沈黙を破りたかった。2人を椅子へと招き散らかった部屋を片付けながら話し始めた。

「まあとにかく、お前達は反省するべきだな……」

 それに一番に反応したのはレヴィアだ。暗い表情は拍車を掛けて暗くなる。

「確かに、私は大人気なかったわ……。アリサには聖者の力が宿っているとはいえ、アリサ自身は普通の女の子だからね」

 一応は反省しているみたいだ。そういう彼女だってアリサくらいの年ごろには聖者としてすでに活動していたのだから、痛いほどにアリサの気持ちが理解できるのだろう。だからこそ、自分と同じようになってほしくないからこそきついことを言ったのだ。

そんな彼女に対して、やっと口を挟めるようになったハムートが神妙な声で反論する。

「いえ、悪いのは私です。レヴィア様もアリサも何も悪くありません……騎士団から逃げる算段を立てたのも、王都から逃げ出したのも私です。責められるべきなのは私だけなのです。どうしてこんなことをしてしまったのか……」

 意外にも、ハムートは丁寧な言葉使いで自分を責めた。ハムートにとっては大切な妹と尊敬する人だから、どのような罪を被るのもやぶさかではない。

(こいつ、俺の時とはまるで対応が違いやがる……)

 ルシフは少しだけ苛立ちを覚えた。だからこそ皮肉めいた話し方で愚痴を吐くことにした。

「お前、俺を殺そうとした癖にその謝罪はないんだな……まさか女たらしなのか?」

「貴様は黙っていろ! 私はレヴィア様と話しているのだ……貴様みたい悪魔に謝ることなんかあるわけ無いだろ! ボケが……っ!」

 さっきまでの丁寧な言葉遣いなどなかったかのような暴言、恐らくよっぽど悪魔を憎んでいるのだろう。その凶悪なハムートの態度にルシフは少しだけあとずさる。若干の恐怖すら感じてしまったようだ。

 その態度が気に食わなかったようで、レヴィアが少しきつい顔をしてハムートに言う。

「ルシフは私の古い友人よ。次、彼に暴言を吐いたら、ハムート、貴方とは2度と口を利かないわよ?」

 レヴィアが強い口調でハムートに念を押す。レヴィアにとってルシフは家族と言っても差し障りがないほどの仲だ。たとえ獣の刻印を持つものとはいえ、その暴言を許すことができない。

 その言葉に圧倒され、ハムートは何か言いたげだったが黙り込んだ。

「……くそっ……!」

 

 ようやくハムートが収まったかと思うと、今度はアリサが暗い表情になっている。おそらく、先程のレヴィアから言われた言葉が効いているのだろう。苦しそうに笑った。

「結局、悪いのは僕なんだ……兄さんは僕の気持ちを実行しただけで、悪魔を恐れたのも僕だし、ルシフさんを恨めしく思ったのも僕。どちらも実行しなかっただけなんだ……」

 申し訳なさそうに言うアリサが言う。しかしそれに対してもルシフは納得がいかないようだ。ルシフにとっては考えるだけなら何を考えたとしても、神様は許してくれるのだ。辛いことを辛いと思うことは悪くないし、誰かを殺したいと思ってしまう事だって人間ならば当たり前のことだ。――実行しなければ何の問題もない。それこそがルシフの考え方なのだ。

「お前はやらなかったんだろう? なら間違いなく悪いのはハムートだ。何より俺はハムートが気にくわない!」

 実のところハムートの気持ちだってルシフには容易に理解できる。だからこそ、自分自身とハムートを貶すことでアリサの心にある鎖を少しでも解放したかった。

「でも、僕はルシフさんのことを殺したいと思って試合をしたんだよ!?」

「それも、結果として何も起きなかったんだ。お前の心がどうであれ俺を殺すことはしなかったんだ。そうだろう?」

 アリサにとっては過程が重要だったが、ルシフにとっては過程などどうでもいい。ルシフは結果だけを常に見続けて来たし、これからも過程がどうであれ結果を大切にして行きたいと考えている。

 だが、それではアリサにとっての免罪符は無くなってしまう。

「でも……僕は……」

 言葉にならないアリサ。そんなアリサにルシフは優しく囁く。

「そんなに気にしているなら、お前の事を教えてくれ。それで俺を殺そうとしていたことはチャラにしてやる。レヴィアもそれでいいだろう?」

 大人しく話を聞いていたレヴィアは、突然振られ戸惑っている。

「え? 私は元から大して気にしてないけど?」

「それなら、お前はこれからどうするんだ? こいつのこと?」

 ルシフはレヴィアの頭に手を置く。2人の身長はそれほど変わらない故に何とも不恰好だが、格好をつけたかったのだろう。

 その問いかけに対する答えは帰って来ない。アリサはそれほど頭の回転が速くない。何かを考えてから行動するのではなく、行動してから考えるタイプの人間だ。それはレヴィアの件に関しても同じで、レヴィアに会うためだけにこの街を訪れた。だからこそその結果どうしたいかなどは考えておらず、家庭としてレヴィアに会うことが出来ればそれで満足なのだ。

 だからこそ、アリサはルシフの質問に対する答えを持ち合わせておらず、返答することも出来なかった。

 ルシフは時間が惜しいと感じたので、話題を次に移す。

「まあいい。でだ……一番気になっていたのはその角だ」

 アリサが右手に握りしめたねじれた黒い角、よほど大切なものなのか強く握りしめている。

「これは、言ってしまえば兄さんの魂そのものだよ……そう、魂……」

 アリサは少し下の方を見つめ苦しみの表情を見せる。よっぽど強い思いがあるのか更に角を強く握る。その途端にやはり角の方から声が聞こえた。

「イテテて! こらアリサ、私を殺す気か!」

 角が悲痛な叫びをあげる。

「ごめん! 兄さん!」

 アリサはあわてて力を緩める。

「気をつけろよ! 暗い話は嫌いだし疲れたから、ちょっと休むけど……余計なことまで話すなよ、こいつは信用できない!」

 再びただの角へと戻り、声を発することもなくなった。それを確認してからアリサは大きく息を吐いた。色々なことがあったのだから、緊張で体が凝り固まったのだ。

「ごめんなさい……僕は緊張しいですぐ息が苦しくなっちゃうから、少しだけ待って欲しい」

 アリサは勢いよくルシフに頭を下げる。

「いちいち謝るなよ……お前は、お前なんだ。どんな一面があろうと俺が怒る事はない。つーかそんな気力ないし、な……もともと、やる気もないし」

 アリサはやっと心から笑った。クスクスと笑い、それにつられルシフも笑う。

「神父さんなのにやる気がないなんて……ダメ、笑いが止まらない」

「俺の異名言っただろう? 俺は『働かざる男』だ! 真面目に仕事はしないし、やる気なんてあるわけがない!」

 物凄く真剣な顔でそう言い切る様子は、とてつもなく滑稽だと言わざるをえない。

 

 いつまでも笑っていたいアリサだが、ルシフにもらった免罪符だ。彼の質問にちゃんと答えようと言葉を紡ぐ。

「とにかく、この黒い角は生前の兄さんに生えていたもので、理由はよくわからないけど兄さんの魂が宿っている。そしてこっち……」

 アリサが左手に持っていた白く真っ直ぐな角をルシフの方へと差し出す。

「こっちが僕の魂。僕が生まれた時から持っていた角だ。角は頭から生えていたわけじゃなくて、持っていたんだよ」

 あまりに荒唐無稽すぎる話に対して、半分ぐらいは疑念を抱いているルシフだが、それは口に出さず頭を掻きながら聞き返す。

「魂? お前の魂は体に宿っているはずだろ?」

「うん……半分はね。だけどもう半分はこの角に宿ってしまったんだ」

「だけど、魂が半分の状態じゃあ……」

「うん、長くは生きられないだろうね……」

 アリサは悲しむ様子もなくそう言った。彼女にとっての悲劇はそこにはない。彼女にとっての悲劇は、この世に生まれてしまったことだった。

 ただ唯一の救いは、彼女の手の中にあるねじれた角だ。

 

「だけど兄さんはそうじゃなかったんだ……兄さんの魂はすべてツノにあったんだ」

 

 

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