2.消えた聖女2

 その頃、教会はいつものもように大忙しだった。懺悔室を訪れるものが後を絶たない。

 本来、人とは違った能力があったルシフだ。獣の刻印だとはいえ、そこに神聖性を見いだし、なにより真面目に働くと彼に許しを求める者は以前よりも遥かに多くなった。

 

「神父様、私の懺悔を聞いて下さい……実は私は、故郷に待っている人々がいるのに面倒くさくて、故郷に帰らずにこの街に留まっているのです。こんな私を赦してくれるでしょうか?」

 さみしげな少女の声がルシフの耳に入る。どこかで聞いたことのある声だ。

 ルシフは大きなため息をつくと、すぐさま大きな息を吸った。

「神はお赦しくださるでしょう。って、そんなわけあるか! お前いつまでここにいるつもりだ?」

 

 懺悔していたのは、今まさに噂の人である渦巻きの聖女レヴィアだった。神は働かざる者を赦しはしない。この街にずっと留まって働きもしない彼女を赦しはしないだろう。

 レヴィアはすでに騎士団の制服すら来ていない、今では軽く化粧をし、ワンピースを着てその美しくも長き金髪をたなびかせている。そうして涙を溜めた青い瞳でこちらを見つめている。

 ルシフは昔から彼女の涙に弱い。というより、誰かが泣いている姿が嫌いだ。

 

「帰る気がないなら、取りあえずここで働いとけ」

 仕方なくそう提案する。

 すると涙で潤んでいた瞳が一瞬にして輝きだす。

「いいんですか? ルシフさま!」

「気持ち悪い敬語なんかつうな」

 

 ルシフは溜息をついた。真面目に働き始めて1週間ほどたったが、毎日毎日、懺悔室に入ってきては邪魔をされている。これ以上邪魔されるといい加減怒鳴りつけてしまいそうだと思った。

 レヴィアも暇そうにしているし、仕事でも与えておけば邪魔もしないだろう。

 しかし、彼女に何の仕事を与えたものだろうとルシフは悩む。教会の掃除ぐらいならできるだろうが、教会が人でにぎわっている今やることでもないだろうし、偏った人生観しか持たない彼女に説法などできるはずもない。聖典の読み聞かせという手もあるのだが、レヴィアが聖典を読んでいるとは思えない。

 ルシフは今非常に困っている。彼にとって目の前で瞳を輝かせているレヴィアこそが悪魔のようにも感じた。ルシフもそれほど教会の仕事に慣れているわけでもないし、何より今は自分自身も仕事中だ。何かを教えてやれるほどの時間があるわけでもない。

「うーん」と唸りながら、そういえばあの材料が切れていたか、と思いだし、それの買い付けを彼女に頼むことにした。

 

「おい、レヴィア。お前にもお使いぐらい出来るだろう?」

「私も舐められたものね。一応これでも騎士団の聖女なのだけど?」

 ルシフは騎士団で聖女が買い物などするのか? なんてことを思いながら必要な金銭を渡し、手で彼女を追い払うようにジェスチャーした。

 

「わかったから、さっさと行け」

 

 その言葉に負けたように彼女は黙ってお使いへと向かった。

 これでようやく自分の仕事が出来ると思うルシフだが、結局やることはさっきまでと大差ない。いつものように懺悔の言葉にタイミングよく、あった言葉を投げかけるだけだ。何も難しいことなどない。

 懺悔しに訪れるもの達をいとも容易く捌いていくルシフだった。

 

――やっとの思いで全ての懺悔を聴き終えた。さすがのルシフも100人もの懺悔を聴くのは疲れたようだ。大きな欠伸をしながら両手を天井に向けて伸ばしている。

 

「ていうか、なんでこう毎日毎日懺悔する奴が100人近くいるんだ? 絶対おかしいだろ……この街は悪いことする奴ばっかりかよ!」

 この街は王都よりも治安が良いことで王国中でももっぱら噂されているほどの街だ。ほんの少しの悪いことでも懺悔できる場所があるからこそ、本当に悪いことが理解できるからだろう。つまりはルシフも治安の維持に少なからず貢献しているのだが、本人はそんなことはつゆ知らず愚痴をこぼす。

 

「1人で何騒いでいるのよ? ちょっと、そんなことより掃除を手伝ってよ!」

 

 それに対して懺悔室の外で掃除をしていたレヴィアが怒鳴り返す。買い物から帰ってきて懺悔する人たちがまばらになり始めてから始めた掃除であったが、教会はもうすでにいつもよりきれいになっている。まだ、働き始めてだというのに彼女はよく働いていた。なにより、天職を見つけたかのように活き活きとしたその顔は、ルシフから見てもどこかいつもより輝いて見えた。

 そんな様子を見たルシフは刻印の表す意味について考え、再び悪い感情がよみがえる。しかし、今度は自分のことではなく、レヴィアの気持ちについてだった。彼女は本当のところ聖者として生まれたくはなかったのではないか……もっと普通の人間として生きていきたいのではないか……しかし、彼女のことは彼女にしかわからないし、自分意見を無理に押し付けることは出来ない。

 そこで、ルシフは彼女に直接聞いてみることにした。

 

「お前は、騎士団をやめたいのか?」

 

 突然の言葉に可愛らしくキョトンとした表情がルシフはとても好きだった。そうして、不意に思い出したかのように不機嫌になるその様子も。

 

「突然何をいいだすの? 私は聖女よ? やりたいかやりたくないじゃないの……。やらなくちゃいけないのよ」

 少しだけためらったかと思うと、それが当たり前のことだと言い放つ。

 ルシフはそんな彼女を見て、まるで昔の自分を見ているかのような気味の悪い気持ちだ。

「運命っていうのは変えるのは難しい。だけど、絶対に変えられないなんてそういう風には思いたくないな」

 ルシフの言葉の意味をレヴィアは理解していた。彼がどれほど運命に苦しめられたか、それを理解していたからこそ、彼女は自分の吐いた言葉に後悔もした。だがそれと同時に、逃れられない運命についても理解しており、運命から逃れる努力をどれほどしても、逃れることが出来なかった自分がいる。しかし、それをルシフに強要することも出来ない。

 だからこそレヴィアは心苦しいのだ。

「そんなこと分かっているわ。あなたが永劫回帰という運命と戦っていたことも、これからも戦い続けるということもね」

「違うな。俺が言いたいことはそうじゃない」

「だったら、どうだというの? 私にも昔のあなたの様に無駄な努力をしろというの!?」

 レヴィアが吼える。それを諭す様にルシフが話す。

「俺は無駄だと思っていない。ただ、俺の様に時間を無駄にして欲しくない。だから言わせてもらう」

「……ええ」

「努力が無駄になることなんてない。それは、あいつを近くで見続けた俺とお前だからわかることだろう? 違うか?」

 

 すべての人間がレールの上を歩けるというわけではない。レヴィアにはレールの上をいともたやすく歩けるほどの才能があったが、彼女の兄、ジゼルにはそれほどの才能はなかった。聖者として生まれながら、魔力はそれほど高くなく、戦闘面に関しても他人の何十倍もの努力をしてようやくルシフと並ぶことが出来た程度だ。

 おそらくジゼルはルシフの倍以上の努力をし続けてきたはずだ。もちろんルシフだって、自分の夢をかなえるために普通の人間の何倍も努力を重ねてきた。だからこそ、親友ジゼルの努力が自分自身の努力を上回るものだと容易に理解できた。

 妹であるレヴィアは、小さいころから兄の努力を近くで見続けてきた。

「確かにそう……ね。でも才能があるのと無いのでは大きな違いがあるわ。兄にはあなたが喉から手が出るほど欲しい才能があった。聖者という才能がね」

「いいや、違いなんかない。お前にいくら聖者としての才能があるとしても、たとえお前の腕に世界平和がかかっていたとしても、お前の人生は他の誰でもないお前が決めるべきなんだよ。俺にどれだけ才能がなかろうと、俺の道は俺が決める。それと同じことだ。一度諦めた俺が言うのもなんだが、もう一度だけ言う――俺に言われたからとか、国に決められたからだとかじゃなく、自分自身で決めろ!」

 

 その言葉を聞いたレヴィアは泣き崩れた。今まで、自分の道を自分で決めていいなんて言われたことはなかった。

 彼女に認められた選択肢は、王国騎士団に入るか、王国魔術師団に入るかの2つだけだった。選択肢があるようでまるでない。王国魔術師団の評判はすこぶる悪く、彼女にとっては、王国騎士団に入る以外の道が最初からなかった。

 ルシフよりも遥かに差別・区別され続けてきた人生だ。彼女に対して向けられた大人たちの言葉はいずれも選択肢があるように見えてないものばかりだ。

 だからこそ、ルシフの『自分自身で決めろ!』という言葉が胸にささる。

 初めての選択できる選択肢を与えられたことにより、レヴィアは涙が枯れるまで大声で泣き続けた。その間、ルシフはレヴィアに肩を寄せ続けた。

 

「俺はお前のこと、嫌いじゃないしいつまでもここにいていいぞ……」

 ルシフはどこか照れ臭そうに言う。

 差別のベクトルはまるで正反対であったとしても、ルシフにはレヴィアの気持ちがよく理解できる。彼女は悩むことすら許されない人生を送ってきたのだろう。

 

 彼女が泣き止んだのは、それから1時間ほど経ってからだった。

 

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