3.祈り
礼拝堂へと向かうルシフは、まるで断頭台へと向かう気分だった。何もしたくないという気持ちと、かしらに恩返しをしたいという気持ちに板挟みになる。
(確かに俺はあの人に恩義もあるし、ここまで育ててくれたことにも感謝している。だが、そもそもミサなんかしたことがないし、どうすればいいんだ?)
ルシフは気が付かれないように横目でかしらの方を見た。頭はルシフの気持ちなんて気にも止めていないようだ。
「親父さん。俺はやるとは言ったもののミサなんてやったことないよ?」
「でも、マリアさんがやっている様子をずっと見てきたんだろう? なら大丈夫だ!」
かしらはそう簡単に言うが、ミサとはそんな単純なものではないことをルシフは知っていた。だがルシフはサボり魔で楽観視する傾向が非常につよい。それだけになんでも出来るような気がしていた。
ルシフは育ての親であった漁師のかしらに性格が似ている。だが、その勤勉さまでは似ても似つかなかった。それでも、初めてのミサにまるで緊張していないわけではない。
ミサが始まるまでまだ時間がある。かしらに頼み込んで1人にしてもらうことにした。ルシフは家の玄関を出ていつものように地面にしゃがみ込んだ。彼は緊張した時や嫌なことがあった時は必ずそうした。
そこに座って、中央通りを眺めるだけで落ち着くことができた。花壇に植えられた花の香りで、嫌なことは全て忘れられた。
子供のころからどんな苦境に立たされようと、こうすることだけが彼の救いだった。
緊張が解れたルシフはゆっくりと立ち上がり、礼拝堂へと向かう。ドアを開けると、屈強な漁師達が並んで迎えてくれた。少し暑苦しいなかでルシフは主祭壇へと向かう。
並んでいる漁師はみな馴染みの顔だ。中にはルシフの同世代もいる。ルシフは時の流れの残酷さを感じ、自分と同じ歳なのにしっかりと働いている彼をみて情けなくも思った。
(お前はそれでいいのか? ただ、漫然と働くということは負けたということなんだぞ!?)
心のなかでくだらないことを叫びつつも、顔には出さず軽く会釈した。彼もそれに気がついたのか、会釈し返してくれた。
主祭壇の近くまでくると、そこに母がいることに気がつく。まさか、この歳で母に見守られながら仕事をするなんて思ってもみない。なんとなく恥ずかしい。そうルシフは思った。
ルシフは主祭壇の後ろ側へと廻り挨拶を始める。しかし、ルシフは次に何をすればいいのかわからず焦っていた。
堪らず母の方を見るもこちらに気付いていない。しかたなく思い出す努力をする。
(……いつもどんなことをしていた? ダメだ。思い出せない……。そういえばお祈り的な何かをしていたはずだ! セリフはなんだったっけ……思い出せ)
そんなことを考えているとはつゆ知らず、皆は黙り込んでしまったルシフを心配した。まさか、神父がミサの流れを忘れて焦っているなんて思いもしない。何より、マリアがいつも主祭壇にミサの流れが書いてある紙を置いてあるのを知っているため、そもそも、その考えすら浮かばない。
だが、もう1分くらい黙り込んでいるわけだから黙って見ているだけともいかなかった。見かねたかしらが問いかける。
「ルシフ? 一体どうしたんだ?」
そんな風に声をかけられたわけだから、ルシフが誤魔化そうとするのも無理ないことだ。
(やばい! 一体どうすれば……仕方ない、ここは適当に誤魔化すしかない!)
「クッソ……なんだよ……言葉が何も出てこない。俺は覚悟してここに立っているっているのに……やっぱツレーなぁ」
ルシフは自分の誤魔化しの完璧さに驚愕した。まさか、アドリブで涙を流しながらここまでちゃんと言えるなんて思いもよらなかった。なら帰ってくる言葉は1つ、『そりゃ、ツレーでしょ!』一択だろう。あとは演技がバレないように目を瞑って下を向いているだけだ。
しかし、彼の予想は大幅に裏切られることとなる。少しの間のあと、泣き叫ぶ声こえがハミングした。それも、ものすごい数だ。
漁師も母マリアもみな大号泣だった。それもほぼニート状態をまる1年以上も続けた男が、初めてきちんと仕事する場で感動的なことを言うとそうなるのも仕方がない。
ルシフの放った言葉と涙が、ルシフのやる気の象徴だと勘違いしてしまったのだ。中でも、1番感動したのはルシフの母マリアだろう。
マリアは彼が出稼ぎから帰ってきたばかりの頃から、精神的に不安定だった彼をずっと心配し、陰ながら支え続けたのだから。すぐにでも行方不明の神父に報告した。
「あなた、私たちの息子が遂に立派な神父になったわ……。あなたにもこの姿を見せてあげたかった」
ルシフはそう呟く母の声を聞き、自分が取り返しのつかない間違いを犯してしまったと気がついたが、それも後の祭り。
(母さん! 待って、俺働きたくない!)
焦りと共に目を開く、ルシフは衝撃的なものを見てしまった。
(って、ミサのメモがあるがあるじゃないか!?)
目の前には、母が作ってくれたであろうメモが広がっていた。それからは、滞りなくミサが執り行われたことはいうまでもない。
ルシフはミサを終えると思うのであった。
『なんでもノリでやるのはいけない事だ』と。
ミサを終えたルシフは、始める前と同じように中央通りを眺めていた。なぜなら、自分の職が1番嫌いな父と同じ神父に決まろうとしていたからである。と言っても、すでに神父として働いていたのだが。
あの後、母はとても喜んでいたし、かしらも安心していたようだった。基本働きたくないルシフだが、他のどんな職業で働くのが良くても神父だけは嫌だった。
彼の中にはどうしても、神父が偽善で金を巻き上げる者だというイメージがあるからだ。なにより、神父は自分のような刻印持ちを嫌っているものが多い。それは王都へ出稼ぎに行っていた時に嫌という程思い知らされた。
きっと、父もそうだったから自分を置いて消えたのだ。もし違ったとしても、王都の神父達のような汚い奴にだけはなりたくない。
彼らの行う悪魔払い、あれこそ悪魔の所業だろう。普通の人間なら、あんな意味のないことをして、刻印持ちからお金を巻き上げるなんて出来るはずもない。
(あーあ、嫌なことを思い出してしまった……。あんな奴らがいるから刻印持ち達が罪を犯すんじゃないか……)
今回はいつもと違い、中央通りを眺めていても気持ちが落ち着くことはなかった。日が沈んでからも彼はその場から動かなかった。漁師達が漁に出てからずっとここにいるから、もう半日はそこに座り続けている。
やっていることはいつもと大差はないが、ルシフはいつも以上に神妙な顔つきをしている。それを陰から見つめているマリアは心配でたまらなかった。
結局、彼は朝まで自分のこれからについて考えることにした。自分のこれからの身の振り方を考えなければ、まさか一生ニートとして生きていけるわけでもない。
それに、何かを待っているだけでは前に進めないということを嫌という程知っていた。自分は刻印持ちだからこそ、人よりもチャンスが訪れにくい。
今回のミサだってそうだ。働きたくないなんて口ではいいながら、結局働いている。適当なことばかり言っているはずだが、それでも確信をついてしまう。
それは、自分が刻印持ちに他ならない証拠だ。それこそ、悪魔に与えられたルシフの能力なのだから。
人よりもチャンスが少ない。その代わりに一発逆転のために大きな力が与えられている。しかも、その能力は神父向けのものだ。だとすれば、これは神が彼に与えたチャンスなのではないだろうか?
「違う。俺はこんな力を望んでいない! だから俺に普通の生活を返してくれ!!」
ルシフは虚空に向かって叫んだ。自問自答に耐えきれなくなってしまったのだ。彼は神に向かって人のために祈ることはあれ、自分のことを願うのは初めてだった。
どれだけ耐えきれないことがあっても、ここにいるだけで解消出来たはずだ。それが、たった数年間の間に溜まったものは遂に限界を超えてしまった。
「どうして、刻印を持つというだけで好きな職業にもつけないんだ。俺はどんな嫌なことで耐え続けたんだ!! それなのに、この仕打ちはないだろう……!?」
彼は街での生活における愚痴を全て吐き出した。今まで吐き出すことが出来なかったことだが、初めてミサを行なった今日だったからこそ吐き出せた。
それから数分の間、中央通りに向かい愚痴を叫び続けた。いくら近所の人から苦情がこようがお構い無しに叫んだ。
もともと、働かざる者の異名をもつルシフだ。これ以上どんな不名誉なあだ名がつけられたところで気にすることなど何もなかった。
星が綺麗な夜に彼は祈るように叫び続けた。そして、スッキリしたところ考え直した。
(自分のもつ神父へのイメージは自分で一新すればいい。嫌いな親父が選んだ職業だ。だが、俺は親父のことを何も知らない。だったら、俺が親父のことを知るためには神父になるのが1番なのかもしれない……だったら、なってやろう。仮とはいえ俺の嫌いな神父とやらに……!)
そうして、夢を諦めることもなく、神父になることを深く決意するルシフであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます