2.漁師の頭

 仕事を終え休んでいたルシフの所にその男はやってきた。

 男が勢いよく部屋のドアを開ける。ドアを開ける振動で、壁に飾ってあった謎の絵が地面に叩きつけられた。その様子を見ていたルシフは、呆れたように気の無い声で愚痴をこぼした。

「あーあ、その絵高いんですよ?」

 しかし、大男の方はそんなことは気にも留めず、ただ自分の怒りだけを表していた。

 

「またサボったんだって!? マリアさんから聞いたぞ!」

 

 そう叫ぶ声は、礼拝堂にまで木霊していた。ルシフは耳を劈くような音に耐えきれず、両耳を手で塞いだ。それでも、耳が痛いようぐらいに大きな声だ。

 大男は漁師のかしらだから、声が大きいのは仕方のないことだ。だが、ルシフにとってはそんなことは関係ない。

「大声の自慢なら他所でやってくださいよ…………」

 ルシフは皮肉を吐いた。怒られてもなお皮肉を垂れる彼に漁師はガッカリする。

「お前がいくら皮肉ばかり垂れようが俺は怒りはせんが、このままじゃオメェの親父さんに申し訳ねぇ……それにお前は帰って来てからずっとその調子だから、マリアさん、お前のお母さんも心配している」

 かしらは真剣な眼差しで、声のトーンをかなり落としてそう言った。彼なりに気を使っているのだろう。

 ルシフの心にもその気遣いは僅かばかりではあったが刺さるものがあった。

 

(確かに、母さんに心配はかけたくない。だけど父さんはどうでもいい)

 

「父さんのことは話さないでください。俺に刻印があるからって逃げた男だ……」

 ルシフは父の話をされるのを嫌った。行方不明なったのは、自分に獣の刻印があるからだと思っていたからだ。かしらはその言葉を否定した。

「あの人はそんな人じゃない! 最後にあった俺が言うんだから間違いない、あの人は逃げる人の目をしていなかった」

 かしらにとって、神父……ルシフの父は恩人だった。だからこそ、その息子が悪口を言うことが許せなかった。なにより、父のことを信じない息子が腹立たしかった。

 それと同時にかしらは理解してもいた。ルシフにとっては、父はあったこともない存在だということを。だからこそ、怒鳴ることはしたくなかったし、今回もするべきではなかったと反省した。

 ルシフも自分の言葉がかしらに対してどれほど配慮のない言葉だったかを理解している。

 だからこそ、2人とも黙りこんだ。

 

 静まり返った部屋の空気に耐えられずルシフは手の甲にある刻印を見つめた。彼はこの街で唯一獣の刻印を持つ者だった。それを横目で見たかしらは先ほどまでよりもずっといたたまれなくなる。

 

「俺は、この生を何度繰り返しても構いません。でも、父だけは別の人と変えて欲しい。俺の願いはそれだけです。俺は力を求めた覚えなんてありませんが、それぐらい神も許してくれるでしょう?」

 昔から、ルシフの苦難を見続けたかしらは、なにも返答することが出来ない。ただ、そんな自分を情けないとばかり感じていた。

 そんな、かしらを気遣ってルシフが頭を大きく下げた。

 

「俺はあなたにも感謝しています。母が倒れなかったのだってあなたのおかげなのだから……。これからも母さんをよろしくお願いします」

 

 その言葉を聞いて、かしらは救われたという風に微笑んだ。

「今日はこんな暗い話のために来たわけじゃない。漁に出る日だから、お前に祈ってもらいたくて訪ねてきたんだ。お前も成人したわけだし、今日はサボらずに祈ってくれよ……?」

 かしらは悲しそうな顔で頭を下げて部屋を出て行く。ルシフはそんな彼の後姿を見ながら返答もすることなくベッドに座り込む。ルシフにとってかしらは育ての親とも言える存在だ。彼の願いを無碍にすることはでない。

大きなため息をつき、仕方ないといった風にルシフは祭服に着替え始めた。

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