壁の向こうのあなた

「休憩入りまーす…うわ店長」

「んだあ佐野ぉ、俺がいちゃ悪いか?」


 ピーク帯も終わり、ちょうど自分のシフトもそこで終了なので、帰る前に賄いを頂こうと厨房に入ったら思わぬ先客がいた。てっきり事務所にでもいると思ったのに。こんな、化粧もヨレて髪もボサボサな姿で会いたくなかったのに。厨房に入る前に御手洗で身だしなみを確認するんだった。

 

「別に、悪くないですけど…夜勤明けの店長って、むさ苦しいんだもん。おじさんだし」

 

照れ隠しに罵倒しつつ、ちゃっかりと隣に椅子を置く佐野。苦し紛れに前髪を整えてみるけれど、あまり見栄えが良くなった気はしない。というか、この人にとってはそんなこと知ったこっちゃない。

 

「俺はまだ三十八だっつの、相変わらずかわいくねぇなぁお前…」

「ひどい、仮にも女子大学生なんですけど。JDですよJD」

「そうっすよ。三十八っつったら、もうおじさんで間違いないすよ、掛川オジサン」

「うるせーお前ら!!んだよ、どいつもこいつも俺が育ててやった恩を忘れやがって…ともあれ、シフトご苦労さん。悪いな、今日も出てもらって。賄い作っといたから、冷めないうちに食え」

「え、賄い、店長が作ってくれたんですか?」 

「ん?そうだよ、キッチン、葉山一人だったし。賄いにまで手ぇ回らなそうだったからな。あ、お前ピーマン嫌いなタイプ?」


そう言いながら掛川は電子レンジの扉を開け、ラップがかかった焼きそばを持ってきてくれる。

 

「俺が食いたくなって作った余りだから、味濃いかもしれん。今から葉山が賄い作るらしいがどうする?お前そっちにするか?」

「あ、いえ!私焼きそば好きなんで!!て、店長の作る賄い美味しいし…」

 

嬉しさのあまり思わず大きな声が出てしまうが、変に思われないだろうか。

 

「んだよ佐野ぉ、おだてたって給料は上がらねぇぞぉ?」

 

どうやら杞憂だったようだ。充分におだてられた掛川は、いつもなら各自で用意するはずの割り箸や飲み物も、ニコニコ顔で用意してくれたのだから。

 こういう時の、子供みたいな態度や表情が好きだ。目元のしわがギュッと寄って、人懐っこさと柔らかさを感じさせる笑み。おじさんなんて馬鹿にしてしまうけど、こういう若々しさが、バイトやお客さんに人気な理由だと思う。いつだったか、どうやら掛川店長はバツイチらしいと風の噂に聞いたことがあるが、そんな店長がどうして離婚なんてしちゃったんだろうと佐野は思う。きっと大人の事情という、よく分からないものが絡んでいるのだろう。まだ二十歳になったばかりの、お子ちゃまの佐野には分からない事情が。

 

「いただきます」

「どうだ、美味いか?」

「美味いかって…まだ食べてないのに、店長子供みたい。ふふっ」

「…む、悪かったな子供で」

 

(…あ)

 

ひと回りも下の自分に子供みたいだと揶揄られ、きまりが悪くなったのか、ポケットから煙草とライターを取り出して火を点ける掛川。フーッと投げやりに吐き出された煙が、佐野と掛川の間に壁を作る。

 

「…美味しいですよ、店長。味濃いけど」

「だから言ったろ、変えるかって」

「私若いんで。おじさんとは違って不健康な味も全然いけますから」 

「…あ、そ。かわいくねーの、モテねぇぞそんなんじゃ」

「…別に、不特定多数の男子にモテたってしょうがないし」

「お、なんだよ、好きな奴いんの?もっと早く言えよ佐野ぉ。で、誰?」

「ちょ、うっざい!店長鈍感そうだから絶対分かんないし!教えてあげないーだ!」 

「どんかっ…おーおー、言ってろガキ」

「私もう子供じゃないから!二十歳だから!大人だし!!」

「背伸びしちゃってかわいーの」

「〜〜〜!!」

 

そう言ってまた煙草を吹かす掛川。この人はひどい。私を大人の女性として扱ってくれないから。こうやって子供と大人の壁を作って、私を守った気になって。私はこんなに貴方のことが好きなのに、どうして気づいてくれないの。

 

「ごちそうさまでした。それじゃ私帰ります。」

「お粗末さまでした。おう、ありがとな。んじゃまた来週の火曜日よろしく」

「はい、お疲れ様です」


 厨房の葉山さんにも挨拶をし、バックヤードを抜けると、なんだか泣けてきた。なんで勝手に恋して、勝手に傷ついているんだろう。馬鹿らしい。あの壁の向こうで、疲れた顔をした貴方が憎い。どうしたら私のことを大人として認めてくれるの。もう十年早く生まれて貴方に出会っていたら、何かが違っていたの?

 

「おい佐野ぉ、お前携帯忘れて…おい、どうした」

「なん、でも…ありません、から…っ」

「なんでもなくないだろ、お腹痛いのか、さっきの焼きそばか?」

「…ちがっ、いますうぅっ…!ばかてんちょうのばかああぁ…」 

「バカ店長のバカって、おい…参ったな、悪かったよ、子供扱いして。お前ももう二十歳だもんな?ほら、そんなに泣いてちゃ可愛い顔が台無しだろ」

 

 どうして、貴方はそうやって。

 どうして、私はこんなにも。

 

「…あー、徹夜明けのシャワーも浴びてない臭いおっさんだけどな、我慢してくれ。ハンカチ持ってねぇから、肩くらいしか貸してやれねぇんだわ」

 

ガシガシと頭をかきながら、私をそっと抱き寄せる。小さい子をあやす様にポンポンと頭を撫でられ、少しずつ気持ちが落ち着いていく。お店の匂いと店長の体臭と、それに混じって薫る煙草の匂い。近いはずなのにこの人を果てしなく遠く感じるのはどうしてだろう。

 

 

 

 私が壁の向こう側に辿り着いてこの人に愛を告げられる日は、果たして来るのだろうか。

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