知恵は知識に勝る。

「えっと、白瀬陽翼しらせよはねさん」


 声をかけた瞬間、視線がすっと横に逸らされる。

 配慮したつもりが欠けていたかもしれない。

 

「あ、あの……」


 今度は視線を上に向けられた。

 

「聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ黒澤蓮理くろさわれんり、急に改まって。フルネームで呼ばなくとも、陽翼でよいといったではないか」


 横目でちらっと目を合わせてきた彼女は、涼し気な顔をしていた。

 蓮理は、頬を人差し指でかきながら笑みを返す。

 

「そうだったね。じゃあ陽翼さん」

「呼び捨てでよい」


 そちらがよくても、と口に出すかわりに息を吐いた。


「じゃあ……陽翼」

「なんだ」

「異世界転生は実在するんだよね。だったら根拠を、お聞かせいただけますか。憧憬じょうけいの念を抱いてるので」

「憧憬、か」彼女はつぶやくとうなずき、「明確な証拠を見せることはできないが説明はできる。努努ゆめゆめ疑わないと約束するなら聞かせてやろう。少々長くなるやもしれぬがよいか」と聞き返してきた。

「構わないけど、できるだけ端的にお願いします」

「善処する」


 蓮理は姿勢を正し、彼女に耳を傾けた。


「まずはこの宇宙の成り立ちから説明せねばならないのだが、蓮理は宇宙の始まりを知っているのか」


 いきなり話が壮大になったと感じながら、知っている知識を絞り出す。


「たしか……宇宙は、いまからおよそ百三十八億年前にできたんだよね。最初、物理的に可能な限りエネルギーを抜いた振動だけが残る『ゆらぎ』という真空状態だったらしい。この真空は『真空のエネルギー』を持っていたんだけど、急膨張する性質があったため、瞬時に膨張すると同時に密度は低下。すると、温度が急激に冷えるとともに真空の相転移が起き、これによって対称性がやぶれることで『密度のゆらぎ』が起きて宇宙の種が生まれたんだって。この真空の相転移のことを『インフレーション』といい、宇宙誕生直後、とてつもない大量のエネルギーによって加熱され、超高温超高密度の火の玉となった。この状態から膨張とともに冷却する中で恒星や銀河などが作られていき、現在に至った……って読んだ気がする」


 彼女は目を大きく開いて、感嘆の声を漏らした。


「ビッグバン理論か。蓮理は詳しいんだな」

「興味があって調べたことがあっただけだよ」

「そうか。だが宇宙が誕生する以前になにがあったのか、なぜインフレーションが引き起こされたのか、実はよくわかっていないのが正直なところだ。物理的に説明できないということは、非物理的に説明できるということだ」

「まさか聖書にある『初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった』なんてことを言い出しはしないよね」


 彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「ほんとに蓮理は博識だな。見直した。その『言』というのは言葉と訳されるが、正しくは意志だ」

「神の……意志?」

「違う。意志そのものを神と呼ぶのだが、少しややこしいな」


 ふふ、と彼女は小さく笑う。


「区別するために意志のことを便宜上、精神ブラフマンと呼ぶことにしよう。精神ブラフマンが自身の穢れを祓って清浄とした際、穢れを外部へ排出した。この瞬間に宇宙が生まれたのだ」

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