第68話 亜美と希望
☆亜美視点☆
──亜美の部屋──
緑風で奈々ちゃん達と話し終えて、帰って来たのは夕方になっていた。
私と希望ちゃんは慌てて夕ちゃんの家に行き、ササッと夕飯の用意を済ませて、サササッと後片付けをして、帰ってきたのは20時。
「お風呂入るにはまだ早いな」
そう思いながら、ふと机の上の写真立てに目が向いた。
「うーん、この写真の私は幸せそうだなぁ」
夕ちゃんとの結婚式体験の写真。
この日は間違いなく、今までの人生で一番幸せな一日だった。
「もし私が、夕ちゃんを選んだとして、夕ちゃんとの未来を歩いていくには、心の中の希望ちゃんと、本気で向き合わなきゃいけないのか……」
もし、私が夕ちゃんを奪ってしまったら、希望ちゃんはまた、あの時みたいに塞ぎ込んだりしないだろうか? また、あの暗い顔に戻ったりしないだろうか? 私はもう、あんな希望ちゃんは見たくない。
◆◇◆◇◆◇
──4年前──
その日、私と奈々ちゃんと希望ちゃんの3人は、当時ハマっていたドラマの話をしていた。
「あそこで2人が別れるとは思わなかったよ」
「そー?」
「奈々美ちゃんはわかってたの?」
「なんとなくだけど」
「奈々ちゃんすごい!」
その後の午前中の授業はいつも通り何事も無く、何も変わらない日常だった。
それは、給食を食べている真っ最中だった。
突然先生がやって来て、希望ちゃんを呼び出して連れて行った。
私と奈々ちゃんは「どうしたんだろ?」と言い、給食を食べながら希望ちゃんが戻ってくるのを待った。
でも、午後からの授業に、希望ちゃんの姿は無かった。
先生が言うには、急な用事で帰ったということだった。
「希望ちゃん、どしたのかな?」
「先生が急用って言ってたじゃない」
「うん、でも希望ちゃんを呼びに来た時の先生、凄く慌ててたよ?」
「きっと、よっぽど急ぎだったのよ」
「うーん、そうかなぁ」
その時はそれで納得することにした。
そして放課後、家に帰った私は、いつものように世間の時事を知る為にニュースを見ていた。
当時、小学6年生にしては変わった日課だとは思う。
「今日、昼11時過ぎ、千葉県○○市で、乗用車と大型トラックの衝突事故が発生しました」
と、キャスターさんが読み上げた後、現場の映像が映し出された。
「うわ、近所だっ」
それは見覚えのある景色だった。
事故の原因はトラックのドライバーの居眠り運転だったと記憶している。
乗用車は大破、運転手は助からなかった。
そして、その事故に巻き込まれた歩行者が2人いた。
「歩道を歩行中に被害に遭ったのは雪村○○さん、○○さん、ともに、病院へ搬送されましたが間もなく息を引き取ったという事です」
それを聞いた私は耳を疑った。 聞き覚えのある名前だったからだ。
「……希望ちゃんのおじさんと、おばさん?」
給食中に先生に呼ばれて帰った希望ちゃん、この交通事故の被害者の名前……。
「希望ちゃんっ……」
その翌日、私と奈々ちゃんは学校を休み、希望ちゃんのご両親の葬儀に参列した。
お焼香を上げる時に見た希望ちゃんは、虚ろな目をして何処を見ているのかもわからないような無表情で、参列者に頭を下げていた。
辛いとか、悲しいとかいう感情すら消えてしまったような表情だった。
「かける言葉が見つからないよ……」
とてもじゃないけど、「元気出して!」とか言えるような感じではなかったので、その場を離れた。
「あの子をどこの家が引き取るか……」
「うちは無理ですよ、娘が3人いてこれ以上は……」
おそらくは、希望ちゃんの親戚の人達だったのだろう。
希望ちゃんをどこが引き取るのかを話し合っていた。
「そっか……希望ちゃん、遠くに行っちゃうんだ……」
「深刻そうな顔して、本当は引き取る気もない癖に……大人って嫌いよ」
奈々ちゃんはそんな大人の会話を見て嫌悪していた。
「ワシらが引き取ろう……」
年老いたお爺さんがそう言った。 その人は希望ちゃんのお爺さんだった。
母方の親で、4年前から今に至るまで、秋田県に住んでいる。
その一言で話がまとまって、お爺さんが希望ちゃんの元へ向かい、希望ちゃんに話しかけた。
私も希望ちゃんに、最後の挨拶をしようと思い近付いたその時だった。
「嫌っ!」
「の、のんちゃん?」
のんちゃんとは、お爺さんが希望ちゃんを呼ぶ時の呼び名だ。
「私は行かない……」
「行かないと言っても1人では何も出来ないじゃろ?」
「……嫌、行かない」
希望ちゃんはお爺さん達とは行かないと言った。
「そう言わないでおくれ? のんちゃんを一人にしておくわけにはいかないんじゃ」
「私……ここにいたい」
「希望ちゃん……」
その後、希望ちゃんは、はっきりと言った。
「私は……友達と離れたくないっ」
「希望……」
奈々ちゃんはびっくりしたような顔でその光景を見ていた。
私も、希望ちゃんの言葉を聞いて驚いものだ。
希望ちゃんは「私達と一緒にいたい」そう言った。
そして、それは私も同じだった。
せっかく仲良くなれた希望ちゃんと、もっと一緒にいたいと強く思った。
誰が見ても、子供の我儘にしか聞こえないその一言。
お爺さんもお婆さんも困り果てていた。
他の親戚さんは知らん顔で「もう私達は関係ありません」という感じだった。
「のんちゃん──」
「私に任せて!」
「あ、亜美?」
次の瞬間、私はそう口走っていた。
奈々ちゃんは更にびっくりしていた。
子供の我儘が何だというの? 希望ちゃんは残りたいって言ってるじゃない!
希望ちゃんの想いを尊重したい! 私が何とかする! 子供ながらにそう思った。
「あ……み……ちゃん?」
私は希望ちゃんの目を見てコクッと頷く。
相変わらず目は虚ろで、無表情ではあるが私の事をちゃんと見ていた。
「お爺さん、いつ帰るんですか?」
「お嬢ちゃんは一体?」
「あ、すいません。 希望ちゃんの友人の清水亜美ですっ」
ペコッと頭を下げて挨拶した。
「のんちゃんの……」
「それで、いつ帰るんですか?」
「そ、そうじゃの……色々と片付けたりせにゃならんじゃろうし、しばらくはこっちにおるつもりじゃが……」
「すぐには帰らないと……よし、ありがとうございました」
私は希望ちゃんに「待っててね!」と、一言だけ残してその場を後にした。
私は、すぐさま養子縁組について詳しく調べ始めた。
当時小学生だった私はかなり苦労したのを覚えている。
「んんー? 難しいなぁ……ふむふむ、何はともあれ、まずはお父さんとお母さんを説得しなきゃダメか」
時間がどれぐらいあるかはわからない。
2日間かけて、ありったけの知識を頭に叩き込んだ。
そして、私は希望ちゃんを家に連れてきて、私の両親と話をした。
希望ちゃんは完全に塞ぎ込んでおり、まともに口も聞けなくなっていたが、「ここに残りたい?」という質問には辛うじて頷いていた。
「亜美、お前はどんな無茶な事を言っているか、わかっているのかい?」
お父さんにもお母さんにも随分と諭された。 それでも私は折れなかった。
私が調べに調べた知識を持ち出した事で、両親も私が本気なのだという事を理解したらしく、一度、お爺さんとお婆さんに会って、話し合いの場を設けようという事になった。
週末、私達清水家が、希望ちゃんの家に赴き、お爺さん達との話し合いを始めた。
「ワシらとしては、可愛い孫娘を赤の他人の家にやる、というのは抵抗があります」
「ごもっともですね。 私達が同じ立場でも同じ事を、言うでしょう」
話し合いはあまり良い方向に進みそうになかった。
希望ちゃんはお爺さんの隣で、ずっと下を向いて座っていた。
やはり養子にはやれないと言うお爺さんとお婆さんの言葉に、お父さんとお母さんはすぐに納得してしまった。
「亜美、残念だけどやはり無理なものは無理だ」
「……でも、希望ちゃんは残りたいって言ってる」
「亜美」
私は立ち上がり、中央へ移動して横を向き、皆の前で土下座した。
「亜美何をしてる! やめなさい!」
「お願いしますっ! 希望ちゃんの気持ちを第一に考えてあげて下さい!」
必死に懇願した。
「やめなさい!」
「希望ちゃんがここに残れるなら、私何でもします! 欲しいものも我慢します!」
私は、恥も何もかも捨てた。
「……お嬢ちゃん、亜美ちゃんと言うたかの? どうしてそこまでしてこの子を?」
お爺さんが訊いてきた。
「希望ちゃんが『私達と離れたくない』って……そう言ったからですっ! 私も同じですっ! それ以上の理由は必要ありませんっ!」
正直な気持ちをぶつけるしかないと思った。
しばらく、無言の時間が続いた。
「お嬢ちゃん、とりあえず頭を上げてくれんかの? 子供がそんな事しちゃいかん」
そう言われて、私は頭を上げた。
チラッと希望ちゃんの方を確認してみたが、相変わらず俯いたままだ。
「清水さん、でしかたの?」
「は、はい……」
「しっかりした娘さんじゃのぉ。 ただの子供の我儘と思ったが、色々頭も回るみたいじゃ。 この歳の子が養子縁組について調べて、こうやって我々に話し合いの場を設けるにまで至る……」
お爺さんは、私をまじまじと見つめて「うんうん」と頷いた。
「ふぅむ……」
お爺さんは、大きく息をつくと話し始めた。
「仮に、この子1人増えたとして、清水さんの方は何も問題はないのかね?」
お金の事も含めて色々あったのだろう。 赤ちゃんが産まれるとかじゃなく、いきなり小学生6年生の子供が増えるのだ。 色々あって然るべきだ。
「色々と問題は出てくるでしょうね」
「そうでしょうな」
「何より、希望さんを幸せにしてあげられるかもわかりません」
お父さんがそう言った瞬間、私は口を開いてた。
「私が! 私が、希望ちゃんを幸せにしてあげる!」
当時の私は子供ながら、無茶苦茶な事を言ったと思う。
「私、希望ちゃんが欲しいって言うものは全部あげる! 希望ちゃんが笑顔でいられるなら何でもする!」
「亜美……」
「……はっはっはっ!」
お爺さんが急に大きな笑い声を上げた。
「お嬢ちゃん、どうしてそこまで?」
「希望ちゃんは、私の大切な友達だから!」
ビシッと言ってやった。
ややこしくてもっともらしい理由なんていらない。
それで十分であり、それが全てだった。
「ふうむ……のんちゃん、この子と一緒にいたいかい?」
希望ちゃんは小さく頷いた。
「……そうかそうか」
お爺さんはそう言って、お婆さんと目配せした後に頷き合い、姿勢を正した。
「清水さん。 大変申し訳ないですが、可愛い孫娘をお願いしてもよろしいでしょうか?」
お父さんとお母さんは、目を丸くして驚いたような表情になった。
「そのお嬢ちゃんになら、のんちゃんを任せても良い。 そう思いました」
お爺さんは私の方を見てニコリと微笑んだ。
「亜美ちゃん、のんちゃんの事を幸せにしてやってくれるかい?」
私は迷わずに頷いた。
「約束します! どんな事があっても希望ちゃんを幸せにするって!」
私は、お爺さんとお婆さん、そして希望ちゃんにそう誓ったのだった。
まるで、お嫁さんを貰うお婿さんみたいだなと、今になって思う。
そしてその時から、私は自分の事より希望ちゃんの幸せを第一に考えるようになった。
その後は代理人やら何やらを立てて、手続きを済ませ、希望ちゃんは清水家の養子となり、私の妹になった。
清水家へ来た当初は、実親を失ったショックからか塞ぎ込んでしまい、必要時以外は部屋から出てくる事はなかった。
「おはよー希望ちゃん。 私、学校行ってくるね」
朝は毎日、ドアの前で挨拶を欠かさなかった。
「ただいま希望ちゃん。 今日ね、○○君がさ──」
学校から帰ったら、その日何があったかをドアの前で報告するの欠かさなかった。
「希望ちゃん、お夕飯置いておくね? えへへ、今日の肉じゃが私が作ったんだよ! 感想聞かせてね?」
毎日のお夕飯も、必ず何が一品は私が作った物を入れた。
「希望ちゃん、おやすみ。 また明日ね」
寝る前には、おやすみを欠かさなかった。
そんな風に、私は希望ちゃんを元気づけるために、毎日毎日同じことを繰り返した。
そしてある日の朝……。
「希望ちゃん、おはよー。 学校行ってくるね。 あ、お夕飯の食器持っていくねー」
お盆を持ち上げた時、箸の下に小さな紙切れがあるのに気付いた。
そこには、可愛い文字で「ハンバーグ美味しかった」と、書かれていた。
「っ……えへへ、今日のお夕飯も期待しててね」
その日の放課後も、当然の様に希望ちゃんの部屋の前へ行った。
「ただいまだよー。 今日はね──」
ガチャ……
いつもの様に、その日の報告をしようとした時、ドアが開いた。
「希望ちゃん!」
「……お部屋入って? お話し、ゆっくり聞きたい」
「あ、うん!」
その日から、希望ちゃんは家族と夕飯を食べるようになり、少しずつお父さんやお母さんと話しをするようになった。
そしてその日が確か、希望ちゃんと初めて一緒にお風呂でお話しした日だ。
「亜美ちゃん……ありがとう」
「何が?」
「こんな私の為に色々してくれて……今までお礼も言わないで、私悪い子だよね」
「あはは、希望ちゃんは良い子だよ」
「はぅ……」
「おー! 久しぶりにそれ聞いたよ!」
「え……そう、かな?」
「うんうん」
「そっか……」
暗い顔を見せる希望ちゃんに、私はお湯を掛けてやった。
「はぅっ!?」
「暗い顔禁止! 笑顔だよ笑顔!」
「亜美ちゃん……あは……うー、やったなー!?」
その後は、お互いにお湯の掛け合いになり、騒いでいるところをお母さんに怒られた。
その時の希望ちゃんの悪戯っぽい笑顔を、今でも覚えている。
いつでもあんな風に笑顔でいて欲しい。 あんな暗い表情は、二度とさせたくない。
その気持ちは、今も変わらない。
◆◇◆◇◆◇
──現在──
「亜ー美ーちゃん」
「なぁに?」
4年前の事を思い出していたら、ドアの外から希望ちゃんに呼ばれた。
私は、ドアを開けて応える。
「ね、2人で写真撮ろ?」
「え、写真? 何で?」
「お爺ちゃんとお婆ちゃんに送るんだよ」
実はあれ以来、希望ちゃんの祖父母には不定期ではあるけど写真を送っている。
「お爺ちゃんは、私と亜美ちゃんの成長見るのが楽しみみたいだよ?」
「あはは、でも中学の卒業式の写真送ったじゃん?」
「半年ぐらい経つからね、お爺ちゃんが催促してきたんだよ」
な、なるほど……。
私は何故か、希望ちゃんのお爺さんに凄く気に入られている。
以前「うちの子にならんか?」と、言われた事もあるぐらいだ。
「そかそか、んじゃ撮りますか」
「うんうん」
私は希望ちゃんと部屋を出て、お父さんに撮影をお願いするのだった。
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