第3話 やっと運命の出会い

この広いようで狭い世界から出られたなら。

一人でもいい。誰かに必要とされたなら。


「私は一応、六人の主人だと思っていたが、違うようだ。」

国光は溜息をつきつつ、何千、いや何万という人が通ったであろう旅路を歩いている。国光は今、都へ向かっていた。理由は国吉から田舎者の考えに偏らないよう見聞を広げてこいと言われたからだ。表向きはまともだが、本音はそこではなく、国光の母が都の反物が欲しいと呟いたからだ。普通なら下の者に行かせるのが筋だと思うが、以前、国光が選んだ反物が母にとって最高だったらしく、今回も国光にということだった。国吉は妻に弱い。

「次期当主に頼むことかねぇ。」

旅のお供、鶴は首を傾げながら国光の一歩後ろを歩いている。

「まあ、ここで死ぬなら当主にはなれないな。」

ハハハッと笑う国光に鶴は初めて影を感じた。

「旅はいいとして、問題はあの三人だよ。」

国光にも一応、やるべき事があり、前と鬼は国光の代わりを務めるため留守番をすることは良しとして、問題は石、光、大だ。

『私は今、薬草の畑が大事な時だから。』

『僕、畑から手を離せないんだ。』

『行ってこい。』

そう言ってついてこなかった。


「私より畑を取るんだよ?大なんか行きたくなかっただけでしょ。あの三人、本当に仕える気があるのかねぇ。」

国光の悩み顔に鶴はハハハッと笑った。

「せっかく、皆で美味しい物でもと。何か欲しい物とか。」

買ってあげたかったのかと鶴は国光に嬉しそうな目を向けた。

「若、安心しろ。」

鶴は胸から巻物を取り出し、国光に渡した。

「よろしく?」

読めば、五人の欲しい物であろう名前が書かれていた。

「これ?全部?」

「よかったな。買って行けば喜ぶぞ。」

国光は歩きながら、頭の中でそろばんをはじきつつ、巻物とにらめっこをしていた。


ここは都のある貴族の屋敷。

「今日はここまでにしておくか。」

装束を腰まで脱いで木刀を振っていた男は木刀を置くと乳母のあやねが用意してくれた布で汗を拭く。用意された白湯を一口飲むと、広く隅々まで手入れの行き届いた庭を眺め、男は溜息をついた。

「狭い…な。」

そう呟いた時だ。


「鶴!金子取られた!」

「はあ!なんだって!」

高い壁の向こう側で叫ぶ者がいる。男は声のすぐ近くまで歩いていく。

「あの男達だ!鶴は追って。私は先回りをする!」

「お?おう。え?若!」


若という叫びが聞こえたと同時に男の足元に陰が現れた。男はゆっくり見上げれば。

「どいてくれ!」

その言葉を聞いた時はすべてが遅く、反射的に男が手を広げると腕の中に国光が飛び込んできた。男は一瞬顔をしかめるが、どうにか倒れずに踏みとどまった。が、追いかけるように飛んできた刀は避けられず、顔でまともに受け止め、男と国光と刀は一緒に倒れてしまう。

「だ、大丈夫…か?」

国光は下敷きになり、顔を痛そうにおさえて呻いている男に声をかける。

「白月の君!」

年配の女性が男のであろう名前を叫びながら足早にやって来た。

「すまない。受け止めてくれた時に。」

「まあ、何者!」

「あ、あやめ。騒ぐな。」

国光を泥棒とでも思ったのか叫びだしたあやめを白月の君が起きながら止めた。まだ顔は痛いらしく手でおさえたままだ。


「若が来ないから逃がしてしまった。」

鶴は後から屋敷へやって来た。

「若、どんな面白い事をしたのか聞いても?」

「話すと短いんだけどね。」

鶴の前に濡らした布で足首を冷やし、国光に布を額にあててもらう白月の君が座っていた。国光は屋敷に入ってからの事を鶴に話した。

「俺が走っている間に貴族様の足を捻挫させ、額を真っ赤にしたってことですか。」

呆れ顔の鶴に国光はごめんと謝る。その上、金子は失った。

「これからどうします?」

鶴が国光に尋ねれば、国光は唸る。

「一度、国に戻るしかない。ただ、すぐ帰るわけには…ねえ。」

国光が白月の君を見れば、額にあてた布の間から覗く目と目が合った。

「…そうだなぁ。足が治るまではいてもらおうか。」

国光と鶴は頷くしかなかった。


「改めて、ほら、頭をあげなさい。俺は、まあ、中将とでも呼んでくれればいい。そなた達は?」

頭を下げていた国光と鶴は顔を上げる。

「私は国光と申します。そして、この者は鶴。私に仕えている者です。」

身分は明かさない二人に中将は少し、考えるとニッコリと笑った。国光も鶴は中将の笑顔に顔色が悪くなる。

「この足が治るまで国光には俺の世話を頼もう。鶴は。」

「鶴は一度、国へ戻ってもらおうかと。金子も盗られていまいましたし。」

「…鶴に罪はないからな。いいだろう。」

中将の言葉に国光と鶴は頭を下げた。


「鶴、石に捻挫に効く薬貰って来てくれ。それと、金子も。」

国光の言葉に鶴は頷く。

「それは、構わないですが、その、気をつけて。」

鶴の言葉に国光は首をかしげる。

「なんか、中将の若を見る目がねぇ。気になります。」

あと、中将の若に触れる手つきがねぇという言葉を鶴は飲み込む。国光のキョトンとした様子に鶴はまあ、気のせいかと国へ戻って行った。


「鶴は行ったのか?」

頷く国光にそうかと中将は言うと、スクッと立ち上がる。その姿に国光は驚きを隠せない様子で、それを見た中将はクスクス笑いだした。

「足に違和感は残るが、もう痛みは無いな。鍛えているからな。」

そう言われて国光は考える。国光が今まで見たり聞いた貴族は男女問わず顔もお腹もタプンタプンだった。動きもゆっくりゆったり。それが美男美女なのだそうだ。しかし、中将は顔はシュッとしていて、背は高く、腕の中へ飛び込んだ時感じたのはしっかりと鍛えられた身体だった。

「貴族らしくない。」

思わず呟いた国光の言葉に中将は嬉しそうに微笑んだ。


「私は何をすれば?」

てっきり中将の世話をしなければならないと思っていたのに、している事は中将の側にいるだけ。

「足を捻挫したくせに木刀振っているし。私がいなくとも。」

国光は今も木刀をブンブン振っている中将を眺めつつ、その後ろの広く手入れのされた庭を見つめた。

「綺麗な庭だな。本丸の小さな庭に比べると。」

本丸の庭は光と石の畑に姿を変え、光と鶴が野菜を収穫し、その隣の薬草の畑の手入れを石がしている。その近くで大が開発した道具や武器を試す。その度にとばっちりを受けた光と鶴と石がぎゃあぎゃあ叫ぶ。それを見た国光は笑い、前と鬼は心配したり呆れたりしている。狭くとも何か広く満たされたものを感じる。

「ここは広く綺麗だが…狭い、な。」

「国光。」

国光の視線が庭から中将へ向けられ、中将は驚いたような、ホッとしたような顔をしていて国光にはどうしてそんな顔をするのか、わからなかった。


夜。

中将は柱に寄りかかり、お酒を飲んでいた。

『ここは広く綺麗だが…狭い。』

昼間の国光の言葉を思い出す。

「そうだな。」

中将は読み書きができるようになる頃から日記や恋愛物語よりも軍記物や兵法などの書物を読む方が好きだった。歌を詠んだり、楽器を弾くよりも刀を振り回している方が好きだった。両親や兄達の頰やお腹がタプンタプンしている姿のどこが美なのかわからなかった。都の外では大名と呼ばれる者たちが国の為、富の為、戦っていると言う。貴族の世界に産まれたのに合わない。そんな自分を周りは変わり者と笑っていた。

「俺はなぜ、貴族なのだろう。」

中将は立ち上がると用意された御帳へ向かう。几帳をずらして中へ入れば国光が横になって寝ていた。国光は小柄で、体に掛けられている着物は中将のものだ。中将の着物が大きいからか国光をきれいに包んでしまっていた。その様子に微笑むと中将は国光を起こさないように抱き込むと目を瞑った。

「一日目だな。」


「なぜ?」

朝、目を覚ました国光は戸惑っていた。寝る時は確か一人だったはずなのに、なぜ自分は中将の腕の中にいる?これでもいずれは当主になる為に育ったのだから気配ぐらい気付くはずなのにと国光は落ち込んだ。

「白月の君、そろそろ出仕のお支度を。」

女性の声がして国光は女性があやめだと気付き、慌てた。こんな所を見られて、中将が男性とと思われると大変だ。国光が離れようと身じろぐと中将からさらに強く抱き込まれた。

「あやめ。今日は。」

「はい、物忌みのためとしておきます。」

そう言うとあやめの足音は遠のいて行った。

物忌み?なんだそれ?国光は理解出来なかった。

「ん?今日はお休みだな。」

中将の言葉にそんなことで、本当に貴族は大丈夫なのかと国光は心配になった。


「ほんとうに何もしないのか。」

そう呟きながら横を見れば、中将は何もせず、何も言わずただ庭を見つめていた。その様子は何か苦しそうというか、悲しそうというか。

「本当に休みなのか?」

見ているこっちも辛くなってきたので雰囲気を壊す為に国光は声をかけた。中将はん?と国光の方へ目だけ動かして頷く。

「じゃあ、出かけよう。」

ええ?と言う中将の手を掴み、国光は屋敷の外へ連れ出した。


「ここは市か。」

中将は珍しそうにキョロキョロしながら国光の後をついていく。市には食べ物や生活の道具など様々な物が売られていた。

「えっと、母には反物。光は種?もういらないでしょ!大は…名前からじゃわからない。」

もう買うものの目星もつけられない!と国光はため息をつき、帰ろうとした時だ。

「あーーーー!」

急に叫んだ国光に中将の肩がビクッと揺れた。

「中将!ここで待っていてくれ。先日の泥棒を見つけたから。」

国光は泥棒を追って走りだし、中将は国光の背を見送りながら、少し考えると走りだした。


「まーてー!金子を返せ!」

「やあなこった!」

泥棒はなかなか足が速く、見失わないものの追いつけない。国光がだんだんイライラしてきた頃、突然泥棒の前に誰かが現れ、泥棒のお腹にエルボーをくらわした。泥棒は自分の勢い分の力をお腹に受け、即気を失うと地面に転がった。

「え?中将?」

「追い込みご苦労だな。」

俺も少し走ったがと中将は笑った。中将が言うには、泥棒が走りやすそうな場所を予測して先回りしていたそうだ。

「でも、予測するって。」

「まあ、逃げるなら人混みの多い、貴族が通らなさそうな道、曲がり角が多数あるならここしかなかったのでな。」

よく短時間でここを予測したものだと国光は感心した。


金子は少し使われただけで反物ぐらいは買えそうだった。国光と中将は反物の店へ向かう。

「母にこれなんか似合いそうだ。」

国光の選んだ反物は柄は強めだが、生地の色は落ち着いていて柄と合わせると派手すぎず、でも華やかに見えた。

「これにしよう。ん?中将?」

中将は手に取った反物を国光の肩にあて、考えている。何度か反物を取っては国光の肩にあてるを繰り返した後頷き、店の者に何かを言った。

「変な人。」

国光は呟きながら母への反物を買った。


夜。

「今宵は月が綺麗だな。国光、月見酒としよう。」

中将に誘われて、お酒を飲むことに。

お酒を飲みながら、泥棒の話をしたりと他愛のない話をして、少し時が経った頃。

「国光は今、自分がいる世界から出たいと思った事があるか?」

頰がほんのり赤くなった中将が月を見上げながら国光に聞く。

「中将には貴族の世界は狭そうだな。」

「そう見えたか?」

ハッハッハッと中将は笑った。

「たとえ、貴族の世界から出て、他所へ行っても、その世界は結局、狭く感じるものだ。」

「国光は経験があるのか?」

中将は国光へ視線をむけた。国光は思い出しているのか、少し黙った後フッと笑った。

「ああ、今の自分の世界に抵抗したことも、逃げたこともある。」

でも、何処の世界も一緒だった。

「他所の世界に行っても少し内容が変わるだけで自分の世界と変わらなかった。」

中将の顔が真面目なものへと変わる。

「では、諦めたのか?」

国光は微笑むと首を振った。

「今いる世界も他所の世界も変わらない。でも、他所の世界には今いる世界にない良いものがある。だから、今いる世界にたくさんの戸を作ることにしたんだ。」

「戸?」

国光はヘヘヘッと笑いながら頷いた。

「戸を開ければ他所の世界。その世界で良いものを自分の世界へ持って来て、取り入れたり、合うように変えてみたり。そうしたら。」


狭いと思っていた世界が広く、深いものになった。


「広く、深いか。しかし、皆が皆、国光のようにはいかない。」

そう言う中将の言葉には棘があった。そうだなと国光は笑みを止め目を瞑る。

「辛いなら貴族の世界など捨ててしまったらどうだ?」

「無責任だな。俺には立場がある。」

「そう思えるならまだこの世界でやっていけるさ。」

中将は目を見張り、すぐに笑いだした。

「そうだなぁ。では、国光のいる世界はどんな世界だ?」

「…そうだなぁ。」


あっという間の世界だ。


「あっという間?」

「休む暇もない、いつも頭を働かせないといけない。仲間に振り回されて、自分も仲間を振り回して。辛い時もあるが、笑っている時もある。」

そう言いながら国光は満たされた顔で笑った。

「早く老けそうだな。」

中将の言葉に国光は一瞬止まったが、そうだなと微笑んだ。

「俺の膝で寝るか?」

国光が眠そうにしているので中将が声をかければ、国光はいや、ここでいいとその場に横になってしまい、すぐに規則正しい呼吸が聞こえてくる。

「国光の世界に行った俺はどんな風に変われるだろうか。」

寝ている国光を見つめたまま中将は立ち上がるとそっと国光を抱え、御帳へ向かい、また国光を抱え目を瞑る。

「二日目だな。」



もう、二回目となると偶然ではないと国光は中将の腕の中で確信した。

「気が緩んでるのか。お酒を飲みすぎたかな。」

何か理由をつけて納得したい国光は自分に言い聞かせる。

「白月の君、今日はどうされますか?」

あやめの声がして、国光は慌てて中将を見れば起きていた。

「出仕の支度を。」

中将は国光にまだ寝てていいと言って御帳を出て行った。


中将が屋敷にいないので国光はぼんやり庭を見るしかする事がなかった。

「少し、よろしいでしょうか。」

声をかけられて国光が振り向けば、あやめが座っていた。

「何か手伝う事がありますか?」

国光の言葉にあやめは首を振る。

「白月の君は元服した頃より笑うことがほとんどございませんでした。ですが、あなた様が来られてよくお笑いになります。」

「そ、そうなのですか。」

あやめは三つ指をつくと国光に丁寧に頭を下げた。

「白月の君をこれからもよろしくお願い致します。」

国光は何と言ってよいかわからなかった。明日には鶴がここへ着くだろう。これからはもうないのだから。


この日の夜、中将の帰りは遅かった。

「よかった、寝ているかと心配した。」

一応、お世話になっている身なのだから屋敷の主人より早く寝るのはどうかと国光は起きていたのだ。中将は挨拶などいろいろやる事があって遅くなったと言う。

「お腹は空いていないか。」

餅があるぞと中将が持ってきた餅を国光に渡す。夕餉がいつもより少なかったので、小腹が空いていたこともあり、国光は餅を口にした。

「国光、今宵から俺を白月と呼んでほしい。」

国光は最後の一口を食べかけてやめた。

「白月?」

国光に名を呼ばれて白月はとても嬉しそうに微笑んだ。

「白月の君、よろしいでしょうか。」

「ああ、滞りなく終わったぞ。」

白月が答えるとあやめが現れ、白月に包みを渡す。

「それと、鶴という方が。」

「鶴が?通して貰えますか。」


「若、言われた物を持ってきたぜ。」

ほぼ走って来たので疲れたと鶴は座って、用意された白湯を一気に飲み干した。

「実は泥棒を白月のおかげで捕まえる事が出来て、母の反物だけ買えたんだ。」

国光が鶴がいなかった時の話をしようとした時だ。

「白月の君!お逃げください!」

あやめが叫びながら初めて見る速さでやってきた。

「速かったな。国光、鶴。さあ、逃げるぞ!」

キョトンとしている国光と鶴をあやめと白月が急かす。二人は言われるまま白月と屋敷を出た。


「若、説明。」

「え?白月に聞いてくれ。」

鶴と国光が白月を見た。

「貴族の世界を捨てて来た。」

笑顔の白月とは反対に国光と鶴は真っ青になる。

「妻と住む世界が違うなど俺は耐えられないからなぁ。」

「妻?どこに?」

白月に国光は聞き返した。

「二日一緒に寝たぞ。三日目に二人で餅を食べただろう?」

「若、本当に?三日夜餅したんですか!」

慌てる鶴に国光は少し考え、叫ぶ。

「あれ?あれが?そうなのか?」

「若、中将に女ってバラしたんですか?」

バラしてない、どうしよう!と慌てる国光、俺は知らないと叫ぶ鶴の二人を見ながら、白月は新しい世界に期待せずにはいられなかった。

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