第2話 薬師
「ここで学べることはあるだろうか。」
背中に大きな箱を担ぎ、腰に大太刀を帯刀した男は山から豊土を見降ろした。
ゴホッ、ゴホッ。
国光は風邪を拗らせ、咳と熱に苦しんでいた。
「大丈夫ですか。」
家臣八人の一人、前は咳を繰り返す国光の背中をさする。もう一人、鬼は温くなった布を再度水に浸して絞ると国光の額に乗せる。
「ごめ、うつるといけないから。」
しかし、前と鬼は首を振る。この国にももちろん薬師はいるが、国光は薬を飲めば熱は下がるが咳が止まらずまた熱が出るを繰り返していた。
「大丈夫かなぁ。」
本丸内に専用の畑を作ってしまった光は試作品の野菜を手に心配そうに国光の部屋を見つめた。
「咳が辛そうだったなぁ。俺たちに何か出来ることがあればいいがなぁ。」
鶴は光の野菜の収穫を手伝っていた。
「とにかく滋養のあるものを獲ってくる。」
新しい道具を試すと大は狩りに出て行った。
「今夜は鳥が食べれそうだね。」
二人は大の背中を見送る。
「この採れた野菜も食べさせよう、ぜっ。がぁっ。」
言いながら鶴は手に取ったトマトを口にした瞬間、苦い顔をして吐き出した。
「そのトマト、皮が苦くて、剥かないと食べれないんだよ。実は美味しいから。」
あらあらと言う光は鶴を心配している様子はない。
「光、その、全体が美味しい野菜は作れないのかい?」
鶴はまだ口の中に苦味がと舌を出している。
「それじゃあ、実験にならないでしょ?」
光の言葉でここは畑ではなく、実験場で光は野菜を作る気がない事を知った鶴さんだった。
「まさか、鹿が獲れるとはな。」
この道具は鳥用に開発したはずだが、これは改良しなければと鳥より大物を捕まえても目的のものでなければ意味がない。そう思いながら、鹿を抱えて帰る途中、大はふと立ち止まった。前方に泣いている子供に話しかけている男。男は大柄で背に大きな四角の箱を担いでいた。それと似合わない大太刀。子供の為か、しゃがんでいるのだが、頭は子供より上にあった。
「どうした?」
大は子供と男の側へ行き、声をかけた。
「ああ、子供がこけてしまってね。膝を怪我したらしい。今、傷薬を塗ってあげていたんだ。」
子供の膝を見れば、膝を擦りむいていてその傷の上に薬らしいものが塗られていた。嘘ではないようだ。
「あんた、薬師か?」
「…薬師ではない、かな。」
「その箱は?」
「薬草や…その薬、かな。」
「そうか、ついてこい。」
え?え?と困惑する男を連れて大は城へと戻って行った。
「薬師、連れてきた。」
大の後ろに大より一回り大きな男が困った顔で立っているのを見て鶴と光は顔を見合わせた。
「狩りに行ったんだよね?」
「人を狩るのはどうかと思うぜ。」
二人の言葉に大は首を傾げ、ああ、と呟く。
「ちゃんと鹿を狩って来た。薬師は…拾った。」
「え?鳥じゃなくて?それに拾ったって、僕達そんな風に育てた覚えないよ?」
「育てられた覚えはないが。この薬師、薬を持ってる。若に合う薬があるかもしれない。」
大の言葉を聞いてやっと二人は理解した。
「あの、僕がいても何も出来ないよ?」
国光が寝ている側に座らされて男は困った顔をしていた。
「薬師とか、どうか若を診てください。」
前と鬼が頭を下げる。
「本当、薬や薬草は持っているけど、診られないんだ。」
男は頭を下げた。前と鬼、三人はどうしていいかわからない。
「すま、ゴホッ、旅、人?」
咳を間に入れながら国光が声をかけた。頰は熱が高いのか赤い。
「今、夜は、ゴホゴホッ。」
心配そうに前は国光の背中をさする。
「今夜は部屋を用意しますからお泊りください。」
前が国光の代わりに言えば、国光は男に弱く微笑んだ。男はそんな国光を申し訳なさそうに見ていた。
「鹿肉と野菜を煮た汁物だよ。飲めたらいいけど。」
光がお盆に器を乗せて入ってきた。部屋に美味しそうな香りが広がる。前と鬼は食べると言う国光の背を支え座らせる。
「食べさせてあげるよ。」
光が匙ですくい、フゥフゥと息をかけた後、国光の口へ運ぶ。国光はそれを飲み干すと美味しそうに微笑むが、すぐに咳が出る。
「あり、う。」
少し飲んだ後、国光はまた、横になった。
「前、鬼、君達は少し休んで。ずっとろくに寝てないでしょ。僕が看てるから。」
前と鬼は嫌がったが、国光にそうするように目配せされ、渋々部屋を出て行った。
「あなたも休むといい。」
光に言われたが、男は首を振った。
「ここに泊めて頂けるお礼に私も。」
光はそれ以上は言わなかった。
熱の高い国光は荒い息を繰り返し、突然咳が出る。
「若、白湯は?飲めるかい?」
光の言葉に国光は首を振った。
「どうしたらいい…。」
光は苦しそうに国光の背中をさすった。
「あの?」
光が声をかけたが、男は何も言わず、震える手で国光の喉や顎の下に触れる。
「たぶん、喉からきている風邪だと思う。咳で喉が刺激されて熱が上がったり下がったりしているかと。まずは咳を止めないと。」
手は震えているのに声はしっかりしている。
「この薬は咳き止め。白湯はダメ。冷たい水で飲むといい。」
男の手は震えたまま、背中に担いでいた箱から取り出した薬を光に渡した。光は急いで立ち上がると部屋を出て行く。
部屋に国光と男の二人、男は震える手をジッと見ていた。
「私はもともと都の貴族だったんだ。母が病気で亡くなった事がきっかけで薬の勉強を始めた。」
男は震える手を見つめたまま、話し始めた。
始まりは母の死だったが、薬を知れば知るほど楽しくなって、皆に隠れて薬草を育ててみたり、病気や治療、薬の書物を集めては読んで、勉強していた。ある時、乳母が病気になり自分が調合した薬が効いて治った事がきっかけで都中に広まってからは皆が自分に診てほしい、薬が欲しいと言ってきた。
「私は自分の学んだことが皆の役に立つことが嬉しくて、すごく頑張った。でも、ある日。」
友の一人が怒り狂ったようにやって来た。
「お前の薬のせいで、妹はもう嫁に行くことが出来ない!どうしてくれる!」
友の妹は手を火傷してしまい、男は塗り薬を渡した。ちゃんと塗ったら傷を乾かしてはいけないと言い加えて。しかし、友はそれを無視したのだ。結果、妹の傷は残ってしまった。その事はすぐに広まった。今まで感謝して、頼ってきた者達はあっという間に男に背を向け、男の薬は毒だと噂しだした。家族はその中傷に耐えられず、男に家を出て行くように大太刀だけ持たせて追い出してしまった。
「貴族の中でぬくぬくと過ごしていた私はこの刀だけを頼りに野宿し、賊と戦って。思い出すとよく生きていたなと思う。」
体が大きくて助かったと男は笑った。
「旅に慣れてきて、私は色々な場所へ旅をしながら、薬草や薬、病気について学んだ。この国の山は薬草や薬になる材料がたくさんあって楽しい。」
「若、水を持って来たよ。」
光が水を持って部屋に入り、国光を支え起こした。
「飲んでも効かないかもしれない。」
男は先程の笑った顔はどこかへ行ったかのように不安げな顔を国光と光に見せる。
「どうする?」
光の言葉に国光は微笑むと口を開けた。光は薬を口に含ませ、水を飲ませる。横になった国光はゆっくりと手を動かすと男の緊張した手に重ねた。
大丈夫。
国光に微笑まれ、男は泣きそうな顔をした。
薬は男がしっかり用法用量を管理してくれたおかけで1日で効果が出始めた。咳が止まれば、熱はすぐに下がった。そして二日も寝れば国光は起きられるようになり食事も普段通りに出来るようになった。
「今回はとても助かりました。」
国光は丁寧に頭を下げた。男は慌てて頭を下げる。
「これからまた旅を?」
「そうだね、もう少しここで薬草を探してからまた旅に出ようかと。」
男はそう言いながらも顔はどこか寂しそうだった。
「私の家臣は全然大人しくなくてね。よく動くし、無理をする。誰かが体調を管理してくれると助かるんだけど。」
国光の言葉に男は首を傾げた。
「ここには実験場という名の畑もあって、その隣に薬草の畑があってもいいと思う。」
え?え?と男は困惑した顔をする。
「あなたがいてくれると助かるんだけどな。戦える薬師なんていいよね。」
「いいのかい?私の薬なんて。」
そう言う男に国光は笑った。
「私はあなたの薬しか飲まないよ。」
男は目を見開いたまま、口が震えている。
「私の家臣になる?」
答えはもう決まっている。
「これは?」
男は広間に正座していた。その後ろに前、鬼、鶴、光、大が座る。
「さあ、驚きの時間だな。」
鶴は面白がっていた。
「あなた達の時、見たかったです。」
前と鬼は想像したのかクスクス笑いだした。
「前と鬼の時はどうだったの?」
光の疑問に前と鬼はまあ、後ほどと答えた。
「大の驚く顔は久しぶりだったなあ。」
「忘れろ。」
後ろの会話を聞いて男は不安が隠せない。
「さあ、皆、集まった?」
国光の声が聞こえ、皆が黙り、姿勢を正した。障子がが開き、国光が入ってきた。
「う、そ…。」
男の声と後ろからでも想像できる男の顔に五人はニヤリと笑った。国光は男の前に座り、男をまっすぐに見つめる。
「では、改めて。家臣となるからにはまず、私に名を差し出し、今日から私が与えた名を名乗ってもらう。それで私と家臣の絆が出来る。いいかな?」
国光の言葉に口を開けたまま男は頷いた。
「では、薬師の能力、旅によって得たその力をここで活かして欲しい。そなたは今より、石と。」
石は国光に頭を深く下げた。
「まさか、女子とは思わなかったなぁ。」
「皆、そう言うのよ。」
国光は世間では男なので、女物の着物は正式な場と本丸にいる時しか着ない。外では男の格好をしているのだ。
「石って体の大きさからじゃないよね?」
国光は何も言わず、微笑むだけ。
「いったぁ!」
「もう!なんで鎌の実験するの!大!」
「鶴、石の所へ行ってこい。」
三人の声と鶴の走ってくる音を聞き、石はやれやれと立ち上がり薬を取りに行った。その様子を国光はクスクス笑いながら見ていた。
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