第20話 気分屋たま
駆け寄っては警戒させてしまうと思い、抜き足差し足で俺は近づいていく。
驚かせては駄目だ。
基本、どんな動物であっても相手を驚かせてはいけない。
言葉が通じる訳じゃないから警戒心を持たせてしまうし、何よりも自分を狙っている奴かも知れないという認識を与えてしまうからだ。
あくまでも『害がない奴』を分かってもらう他ない。
俺はそういう事が『分かっている』人間だ。
しくじるはずはない。
そう、しくじるはずはないんだ。
俺が段々と距離を縮めているけど、たまは相変わらずもふってくれと言わんばかりにお腹を見せて、ごろんと横になっている。
待ってくれ。
もうちょっと待ってくれ。
今もふってやるからな。
「あっ……」
背後で珠貴の声が聞こえたが、今は珠貴よりも、目の前のたまだ。
もう手を伸ばせば、届く位置まで来ているんだ。
もう少し。
後少し。
俺は触ってもいいだろうと思うほど距離を縮めたところで、右手を伸ばして、たまをもふろうとしたのだけど、
「ふにゃああああっ!!」
たまはふっと顔を俺の方に向けて、睨みをきかせてきたと思ったら、奇声を上げながら、俺の手を拒絶するように爪を思いっきり立てて猫パンチをお見舞いしてきた。
俺は思わず手を引っ込めて難を逃れたが、まともに食らっていたら、爪で引っかかれていた事が予想できた。
「ど、どうした?」
たまはのんびりとした体勢から一変、俺を警戒するかのように臨戦態勢一歩手前のように俺との距離を取った。
「駄目ですよ、三田さん。お腹を見せている時に不要に手を出したら」
珠貴が諭すような口調で俺に言ってきた。
「え? お腹を触って良いっていう合図じゃなかったのか?」
「犬だとそういう意味合いもありますけど、猫はあまり親しくはない人にお腹を触られるのを嫌がりますから、手を出そうとすると猫パンチとかが飛んでくるのですよ」
「……そうだったのか」
つまり、たまがもふって欲しいと思っていたのは、俺の幻想だったということか。
「犬だとお腹を見せるのは服従とか降参などの意思表示であったりするようですけど、猫は違います。私のように親しい人だったりすると遊んで欲しいとかそういった意思表示であったりすることもあるのですが、だいたいはただ単にくつろいでいる場合が多いですね、たまは」
「なるほど、参考になる」
俺はまだたまに信用されていないという事なのか。
でも、懐いていたりしてきたのは、どういう理由なのだろうか。
「たま。この人は大丈夫だから手を出したら、駄目ですよ。めっ、です」
珠貴がすっと俺の前に出たかと思うと、たまに手を伸ばす。
するとどうだろうか。
威嚇するような体勢を崩していき、平生と変わらない様子へと一瞬にして変化してしまった。
珠貴がそんなたまの頭に触れると、人なつっこいような顔つきをして見せた。
これが信頼関係というものだろうか。
しかし、以前、たまと珠貴の関係はあまり良くないみたいに口にしていたような記憶がある。
それは間違いで、たまとしては妹分かそんな立場だと思っているのではないだろうか、珠貴の事を。
そう考えると、たまの珠貴に対する行動が納得できるような気がする。
「どうですか? 大人しい子ですよね?」
珠貴はそのまま猫の顎辺りに手を持っていき、軽くさすり始める。
たまは目を細めて、気持ちよさそうな顔をし始めたではないか。
珠貴の前では、たまはこんな顔をするのか。
ある意味、嫉妬してしまう。
俺の前で、たまがこんな顔をするのは、いつ頃の話になるのだろうか。
いや、それ以前に、俺に懐いてくれるのだろうか。
「三田さんの事は嫌っている様子はありませんので、猫に嫌われない行動をしていけば、きっと懐いてくれると思います。元々、この部屋が好きな猫でしたので、大丈夫ですよ。今回の事でたまの事を怖がらずに、優しく接してあげてくださいね。悪い猫ではないのですよね、悪い猫では」
たまの事を撫でながら、そう珠貴は説明してくれた。
俺に対して敵意むき出しではないし、悪い猫ではないのだろう。
嫌いではないだろうから、どう好かれるように持っていくかだ。
駆け引きをしないといけないのだろうか、たまとは。
「ですけど、たまは猫なので、猫らしく気分屋でもあるのですよ。そこだけは気を付けてくださいね。私だって気分屋のたまに手を焼くことがよくありますので、三田さんに出会ったあの日も、気分屋のたまに振り回されていたようなものでしたので」
「肝に銘じておきます」
猫なんて飼った事がないし、ネットとかで調べながら、たまとの距離を縮めていくしかないだろう。
あれ?
しかしだ。
どうして、俺はたまに好かれようと考えているのだろう?
その点がちょっと謎だが、あまり深く考えないでおくとしよう。
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