第4話 珠貴に甘える俺
翌日の昼。
俺は病室で何もやる事がなくて、ベッドで横になっていた。
本来ならば会社に行って、仕事をしているはずなのに、無職となった今では無為に過ごすしかなかった。
手持ち無沙汰なのだけど、スマートフォンはいじれないし、時間を潰す……つまりは暇つぶしの道具などが何もないので、寝ているしかなかった。
散歩という手もある。
しかし、歩くのが億劫なので、横になっている方を選んでいる。
億劫というか、なんか身体が異様にだるいのだ。
聞いた話によると、千手院珠貴を助けた時に背中から地面に突っ込んだらしく強打しているのではないかとのことだった。
そう言われても、痛みはほとんど感じていないので、打撲程度であったのかもしれない。
俺の身体が頑丈だからさほどダメージを受けていないのかもしれない。
「……む」
横になっていても、身体は動いているし、俺は生きている。
生きているのだから当然生理現象というものが発生する。
小便がしたいなという気配が下半身に訪れたのだ。
「仕方ない。トイレに行くか」
安静にしていろと医者に言われてはいるものの、生理現象が起こっているのだから安静になどはしてはいられない。
俺は上半身を起こし、ベッドの上で軽く四つん這いになってからもそもそと蠢く。
トイレは病室の一角にあるから用を足すのは楽なものだ。
「スリッパはどこだったかな?」
どこに脱いだのか。
ベッドの上からでは、床に置いて在るであろうスリッパが見えなかった。
「どこかな?」
身を乗り出して、ベッドの下をのぞき込んだ時だった。
「っ!?」
全身を駆け抜ける、全身を貫くような痛みが走った。
何者かから一撃をもらったかのような激痛が続いて全身を駆け抜け、俺は一瞬にして全身が冷や汗塗れになったかのような錯覚にとらわれた。
「くっ?!」
身体を動かそうとすると、痛いが背中から全身へと走る。
体勢を立て直したり、再びベッドに横になる事さえままならない状況に陥っていた。
「……なんだ、これは?」
意味不明だ。
何故、身体を動かそうとすると激しい痛みに襲われる?
な、なんだ、これは……。
もしかして、骨でも折れていたのか?
だから、それが今痛みになって……。
それはないか。
レントゲンやらなんやらで精密検査をしている。
脳の血管に異常があった以外は、健全という事だったじゃないか。
「三田さん、朗報なのです!」
澄んだ声が病室に響き渡る。
俺はというと、その声でビクッと身体を震わせてしまい、激痛が腰から這い上がり、全身を犯していくような錯覚し、うっぐ?! と悲鳴とも、咆哮とも判然としない声を上げていた。
「……えっと」
澄み切った声音の主でもある、制服姿の千手院珠貴がさらさらの黒髪を揺らしながら俺の前まで来て、小首を必然のように傾げる。
ベッドの上で四つん這いになり続けている謎生物が眼前にいるのだから当然の事だ。
「何かの訓練でしょうか?」
「……いや、激痛が……動けなくなった……」
声を出すのも一苦労する。
筋肉を動かそうとすると、苦しみが増す。
俺の身体に何が起こったというのだ?
「だ、大丈夫ですか?!」
心配顔で俺に駆け寄ってきて、手を添えようとする。
「痛みが……動けなくて……」
俺がそう言うと、珠貴は理解を示したような顔をして、そっと俺の身体を支えるように手を添えた。
「おそらく魔女の一撃をもらったのですね」
「何、それ?」
「魔女の一撃とは、ぎっくり腰の事です。祖父が何度がぎっくり腰をやってしまっているのを目の当たりにしていますので、おそらくは……」
「ぎ、ぎっくり腰だと?!」
俺がそんなものをやってしまうとは……。
嫌な事が連続して起こるな、これは俺の日頃の行いが悪いからなのか?
「私が身体を支えます。ゆっくりと痛くないように動かしてください」
珠貴は俺に身体を密着させるようにして、肩に右手を、腰に左手を添えてくれた。
これで身体の体勢を立て直せということなのだろうか。
「……ありがとう」
「いえいえ。困っている人を助ける……いえ、命を助けられた人を助けるのは当然の責務です」
珠貴は嫌な顔を見せずに優しく微笑んだ。
「ゆっくりと動かしてください。痛いようでしたら言ってくださいね。支える場所を変えますので」
「……うう、すまない」
どっちが大人なのか分からなくなった。
俺は珠貴に身体を支えてもらえながらようやく四つん這いの体勢から解放されて、ベッドに横になることができた。
泣きそうになるくらいの痛みが何度も何度も全身を駆け抜けたけど、顔に出さないように我慢してなんとかやり過ごした。
珠貴にはいくら感謝しても足りないくらいだ。
「……」
ようやく横になれたのはいい。
激痛ですっかり頭の片隅におしやっていたが、俺はトイレに行こうとしていたのだった。
下半身がそわそわする。
このままでは漏らしてしまいそうだ。
「まだ痛いのですか?」
俺の様子が珍妙だったからか、珠貴が俺の顔をのぞき込んできて憂虞するような目をした。
「……そうじゃなくて……」
ここは言うべきなのか?
当然言うべきだろう。
もし言わなかったら、珠貴の前で漏らしてしまうかもしれない。
「……トイレに……」
「はい?」
どうやら声が小さすぎて聞き取れなかったようだ。
「トイレに行きたいんだ」
「それを早く言ってください!」
鬼気迫るような表情になるなり、
「ナースコールしますか? それとも、トイレまで一人で行けますか? いえ、行けないですよね。私が手助けをすれば行けない事もないでしょう。肩を貸しましょうか? それとも、おんぶした方がいいですか?」
手慣れているのか、そんな提案を矢継ぎ早にしてくる。
我慢できる範疇は超えようとしているし、どうしたものか。
「……え、いや……」
珠貴の方が年上で、しっかりもののような風格さえある。
俺は本当に珠貴よりも年上なのか?
「おんぶした方が良さそうですね」
珠貴はこれが最善と言いたげに、ベッドの横に立ち、俺の背中を見せて身体を前に屈ませる。
「私は大丈夫です。さ、どうぞ」
『さ、どうぞ』
そう言われても俺は躊躇してしまう。
尿意はこれ以上我慢できそうもないので、ここは珠貴の行為に甘えるしかないのだろうか。
「三田さん、遠慮しなくてもいいのですよ」
遠慮……ではない。
躊躇いだ。
俺は大人なのだろうかという疑問だ。
「病人なのですからプライドは捨てて、私に頼ってください。今の三田さんにはそれが最善なのですよ」
プライドか。
そうだな。
下手なプライドを見せて、珠貴の前で失禁するよりも、厚意に甘えるしかあるまい。
「すまない」
「いえ、いいのです」
俺は激痛に苛みながらも、珠貴の背中に身体を預けて、おんぶしてもらった。
そして、病室内のトイレへと運んでもらったのだった。
もちろん用は一人で足した。
そこまでやらせるほど俺も図々しくはないし、当然の事であった。
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