第9話

 僕は城から少し離れた場所の木にもたれかかって、足先で土をほじくりながら暇をつぶしていた。ノストラダムスはどこまで行ってしまったのだろうか。

 ノストラダムスによるとこの世界には時間の流れというものが存在しないらしく、昼も夜もないのだそうだ。そのせいか僕自身体感時間が狂ってしまっていて余計にわからない。本来ならばもう夜になっていてもおかしくはないんだけれど……

 そんな事を考えていると僕達がやってきた道の向こうから中世ヨーロッパに出てきそうなドレスを身に纏った女性がやって来た。その女性は僕に気付くとにこりと微笑んだ。30代前半くらいの見た目に真っ白な肌にとても上品で優しそうな眼差し、だけどよく見るとどこか疲れたような表情をしていた。化粧が少し濃いのは痩せた頬や隈を隠す為かもしれない。


「ねぇ貴方……もしかして『アリス』?」

「えっ……あ、はい……」


 まさか声をかけられるとは思わなくて思わず返事をしてしまった。


「ふふふ、やっぱり……こんな所で何をしているの?」

「えっと……お城に入りたいんですけど……なんか、招待状がいるらしくて……」

「招待状? それなら私持ってるわよ」


 貴婦人はすっと招待状らしき真っ赤なカードを見せた。


「貴方……これが欲しいんでしょう? 私の招待状を譲りましょうか?」

「えっ」


 貴婦人は驚いた僕の顔を見てくすくす笑っていた。


「騙したりしようなんて考えてないから、安心して? だけど……ちょっとだけおばさんのお願いをきいて欲しいの」

「お願い……」

「この近くにね、おばさんの家があるの。 貴方とお話がしたくて……美味しいお茶を用意するわ。 どうかしら?」


 どうしよう。招待状は欲しい……でも……


「少しでいいの」


 貴婦人の寂しげな表情に僕は何故だか後ろめたさのようなものを感じてしまった。どうしてこの人はこんな悲しい顔をするのだろう。そして気付けば僕は彼女に手を引かれて歩き出していたんだ。


 この女性はこの辺では有名な公爵のご婦人らしく、女王とは時々お茶を嗜んだり遊んだりする程の親しい仲だという。今日も城へ招待されたらしいのだが、僕が「行かなくていいのか」と聞いてみると「1日くらいなら平気よ」と彼女は笑っていた。公爵夫人の家は家と呼ぶにはやはり大きくてお屋敷というのが合っていた。


「さぁ、楽にしていいのよ。 今お茶を淹れてくるわね」


 僕は席に着いてもそわそわとして落ち着かなかった。勝手についてきてしまったけれど、ノストラダムスが戻ってきた時に僕がいなければきっと心配するだろう。やっぱり来るべきではなかったな。せめてメモなり残せば良かった。そんな事を考えているといつの間にか公爵夫人が戻ってきた。


「待たせてしまったわね……どうぞ、アールグレイよ。 ミルクと砂糖は好きに使って? スコーンもどうぞ」

「ありがとうございます……」


 公爵夫人はひと口紅茶を口に運ぶと静かに話し出した。


「語君っていったわね。 いきなりこんな事に付き合わせてしまってごめんなさいね」

「い、いえ……別に……」

「実はね、こうして『アリス』をお茶に誘ったのは貴方が初めてではないのよ」

「そうなんですか?」

「向こうの世界のお話を聞いたりするのが好きなの」


 僕の世界……

 ふと現実を思い出し頭が痛くなる。そうだ……僕の世界はここよりもずっと残酷で、汚くて、退屈だったんだ。僕は相当酷い顔をしていたらしい。公爵夫人が心配そうに僕を見つめていた。


「大丈夫……? 話したくない事だったかしら……ごめんなさいね」

「あ……だ、いじょうぶ……です」


 僕は出された紅茶を一気に飲み干し動揺する心を落ち着けた。


「おかわりまだあるわよ? どうかしら?」

「いただきます」


 思わずなんの疑いもなく飲んでしまっていたけれど、毒が入っていたら大変な事になっていたな。まぁ変な味はしなかったし……大丈夫だろう。

 その後僕達はたわいない話をした。とは言っても公爵夫人が一方的に話しかけてきているのを淡々と返している形だったけれど。それでも公爵夫人はとても楽しそうだった。ふと彼女の顔が少しだけ暗くなる。


「……私ね、ずっと昔に子どもを亡くしているの。 まだ赤ん坊だったわ」

「……」

「生まれてすぐに病気になってしまって……」

「それは……」


 かける言葉が見つからなかった。僕はただ黙って話を聞くことしか出来なかった。公爵夫人は亡くなった自分の子に思いを馳せているのかそっと瞼を閉じしばらくの間口を噤んでいた。


「……あの子が生きていたら、今頃貴方くらいの歳になっていたかもしれないわね」

「そう……ですか」


 公爵夫人が切なげな瞳で僕を見つめてくる。


「良かったら……迷惑じゃなければ……少しだけ、貴方を私の子どもだと思って抱きしめてもいいかしら……?」

「え……」


 抱きしめられる、なんて何年ぶりだろうか。そういう事には僕は不慣れで、苦手だった……だけど……


「いいですよ……」


公爵夫人の顔が途端に明るくなる。


「まぁ! ありがとう! それじゃあ早速……」


 公爵夫人はそっと席を立ち上がると僕の元までゆっくり近付いてきた。そして、優しく僕を抱きしめた。とてもあたたかかった。まるで本当の母親に抱きしめられているようだった。本当は抱きしめ返すべきだったかもしれなかった。でも僕はそれが出来なかった。公爵夫人は何度か優しく僕の頭を撫でると少し身体を離し、僕の目を見つめた。


「カタル君……また、お願いしてもいいかしら……? もう少しだけ……貴方を子どもだと思っていたいの……いい?」


 僕は少し躊躇した。ノストラダムスと別れてからどのくらい経っただろう……そろそろ戻りたい……どうしようか


choice


『公爵夫人のお願いをきく』→ep.10-1

『断る』→ep.10-2

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