第二章『マッドティーパーティー』 第5話


「……元に戻れたものの……」


 どうやって帰ればいいものか。まぁそもそも死のうとしていたのだから帰れなくても構わないのだけれど。


「そうだ……僕死のうとしてたんだっけ……何必死になって帰ろうとしてるんだろ……」


 行く当てもなく森の奥へと歩いて行く。どうせ死ぬのだしここで死んだっていいのではないか、そんな事をぼんやりと考えていた。


「どうしたのでス……? そんな煤けた硝子のような目をして」


 どこからか笑いの含んだ声が響いてきた。


「……誰?」

「おやおや、そんな警戒しなくてもいいじゃないですカ……困っているんでショ?」


 近くにいる気配はするのに姿が見えない。


「……姿が見えない奴をどう信用するっていうのさ……」

「おっと、それは失礼ですネ」


 突然目の前の木の枝にピンクと紫の派手な模様の猫が現れた。しかしよく見るとただの猫では無さそうだ。目は青いボタンだし口は乱雑に縫われている。


「ぬいぐるみ……?」

「オレっちはシャルル・チェルシー。 チェシャって呼んでくれても構わないですヨ~」


 猫のぬいぐるみらしきものはふさふさした尻尾を揺らし口の端をにいと上げた。普段の僕ならただのよく出来た動くぬいぐるみだと信じて疑わなかっただろうが、身体が小さくなった現象、イモムシの存在を意識してしまった今この有り得ない生き物も素直に受け入れられる。


「チェシャ……」

「この世界から出たいですカ~? アリ~ス?」


 また『アリス』……


「そのアリスっていうのはなんだ?」

「この世界に迷いこんだ貴方のような人間の事ですシ~?」


 チェシャは木の枝からだらんと上半身を垂らし身体を揺らしていた。


「僕の他にも人間が……その人達はどうなったの?」


 チェシャは身体を揺らすのをぴたりとやめた。


「全員狂ったか……」


 そして煙のように消えたかと思うと僕の肩の上に現れ顔をずいと近付け、にたぁと嫌な笑みを浮かべる。


「 死 ん だ でス」


 首に冷たく鋭い刃物を当てられたかのような感覚にぞくりとし、言葉を失う。


「……キシシ! おっかしい顔! 冗談ですシ~」

「……冗談なのかよ」

「というのも冗談でス」

「………」


 思わず握り拳を作ってしまった。


「ここは世界もその住人達も狂ってまス……全てがあべこべ……常識なんてものは存在しないのでス。 だからここで何が起ころうと誰が死のうと関係ない……あんたも気を抜けば死んじゃうかもですネ……?」

「……僕は元々死にたかった。 だから死んだって構わない」


 正直生きてても死んでも同じだと思っている。だから僕は何も感じない死を選ぶ。


「いいのでス~? ここで死んでしまえば意識だけがこの世界に捕えられ、苦しみを一生味わい続ける事になりますシ~?」

「え? それって……死んだ後も苦しいって事?」

「そういう事ですシ!」


 冗談じゃない。もう痛いのも苦しいのも惨めな思いもしたくないんだ。それなのにどうして死んだ後も意識を持ち続けなければいけないのか。


「それなら話は別だ。 ここでは死ねない」

「ではオレっちがあんたがここを出られるまで案内してあげるで~ス! 今から相棒で~ス!」


 チェシャは僕の肩の上でマフラーのように座り、楽しそうに笑っていた。

 僕はチェシャの案内を頼りに薄暗い森の中を歩いていった。森の中は不気味で時々よく分からない生き物の叫び声が聴こえてきた。


「オーウ!! この先は分かれ道でース!! でもオレっちに任せるですシ~右に行くでス!!」


 黙って右へ足を踏み出した途端またチェシャが騒ぎ出した。


「あ! 待つでス! 左でしタ!」


 今度は左へ身体を向けた。


「あーー!! 右だったかもでス?! いや、左に間違いな……やっぱり右だったかなァ?? あれれ、どっちだったかなァ??」

「……いい加減にしろよっこのクソ猫!」


 我慢が出来ずに思わず殴り掛かる。チェシャはひょいと避け、僕の頭の上へ。


「おー怖い怖い……最近の若者はキレやすくて困るでース」

「…………」


このクソ猫、目ん玉引きちぎってやろうか。


「そんな怖い顔しないしな~イ! ちょっとしたおふざけですシ~」

「……なんでもいいからさっさと正しい道教えろよ」

「さぁ~どっちでしょ~??」


本当にムカつくこの猫。

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