第40話 沼地での不祥事
「待ってたのよ。どこへ行っていたの?」
そう言いながら、こちらを見たマイヤーが小さく「ワッ」と声を上げる。
無理もない。
リンクと2人、泥だらけだ。
「どうしたの?!こけたの??」
なぜ、こけるのが前提なのか。
「いや、リオちゃんはバケツリレーを手伝っていたんだよ、ね」
リンクは苦笑しながらフォローする。あのホイホイ地獄を思い出し、リオも笑いながら「はい」と返事した。
「なんでそんなことを…。え?あら、場所を言ってなかった?それは失礼したわね。…来て欲しかったのは、今そこに沼から上がった石があるので、みんなで鑑定して欲しいのだけど」
タライには洗われた大きな石、水槽内には大きな魚が泳いでいた。
こんな大きな魚がいたんだ、指さして目を大きくすると、リンクも笑って眉毛を大きく上げた。
タライ、水槽内は特に目立った濃い煙は出すことなく、沼地にありがちな薄い煙が漂っている。
「特に目立った煙は無さそうです」
「ふむ、みんなの意見は一緒ね、…ところでルーカス、大丈夫?」
ルーカスは簡易の椅子に座ってうなだれている。
「はい、ありがとうございます。大丈夫です。沼の匂いがダメなだけで…」
沼の作業なのに、致命的な問題を抱えていたルーカス。
そんな繊細な人に、リンクは大雑把なアドバイスで慰めた。
「独特な匂いするからなぁ〜。まぁ、でもずっと居たら慣れるから大丈夫!」
爽やかなリンクのウインクに、ずっとは居たくないルーカスは苦笑した。
「匂いね…。匂いは多少貫通するけど、マシにはなるかしら…」
マイヤーは椅子の下のアイテムボックスの鍵を外した。そのまま椅子に座りながら、横着な体勢で天井を見ながらゴソゴソ何かを探す。
「あぁ、そうだ。これ」
マスクと一緒に取り出したのは、ガラス瓶。
「え…、そのガラス瓶…あの石の入ったガラス瓶?」
ルーカスがかなり顔をしかめてガラス瓶を見る。
今まで見た事がないほど濃い煙が内部に充満し、煙で石が入っているようには見えない。
「これ、中が凄い事になってますよ」
「中の石、見えにくいね」
「うん…こんなに濃いのは…何で持ってきたんですか…」
リオ、ルーカス、リンクがそれぞれ感想をマイヤーに告げる。
「えっ?そんなに濃いの?」
マイヤーには見えないのだろう。
危機感なくガラス瓶を少し持ち上げて、目の高さと合わせた。
次の瞬間、瓶の蓋がポーンと軽い音を出して吹っ飛んだ。
「キャー!」
マイヤーは驚いて体勢を崩し、椅子ごと後ろへひっくり返る。
ちょうどマイヤーの横にいたリンクが素早く腕をキャッチし、マイヤー自体は中腰で横転を免れた。
だが、蓋なしのガラス瓶はテントの中に舞い、黒い煙を吐き出しながら地面に転がる。
中から溢れんばかりの黒い煙がどんどん排出され、テント内に広がった。モワモワした絨毯のように、地面が黒くなる。
「ちょ!」
顔面蒼白なルーカスが持ち上げて見せたのは、中身のないガラス瓶。
「えーーー?!石!!どこ?!」
マイヤーが石を見つけるが、触ろうとして手を引っ込める。
「わ、私も分かった…うっすらと…これ土系が渦巻いてて、見えないところで分かる。ここの何もないところが毒系なのね?うわー」
3人の目からは朦々と立ち昇る煙が見える。これは良くない。見える人なら誰でも、そう判断する事態となっていた。
「俺、隊長に知らせてきます。…ルーカス、ここを頼む」
「分かった」
「リオちゃん、俺と一緒に来て、第2テントのにいるシャイン副部長に知らせてきて」
リオは素早くテントから出てリンクに付いていく。少し小走りで第2テントを探す。
「あ、リオちゃーん」
現れたのは、あのキツネ目の男。
「第2テントは何処ですか?」
「そこ」
「ありがとうございます!」
「なになに?事件?」
楽しそうに付いてくるが放置する。
テントは軍事遠征用ログハウス風で、入り口が狭く、中は整列すれば50人は入れるくらい大型ものだ。
出入口からは奥が暗く見えづらくなっているため、入るのに躊躇する。
ほんの少しどうしようと迷っている時、ふと辺りを見渡すと来賓の赤いドレスが目についた。
望遠鏡でこっち見ている?
リオは何となく、心配そうな顔をして首を振った。
一瞬、望遠鏡から目を離してこちらを見る。そしてまた彼女は望遠鏡を見る。
リオは両手の人差し指で小さくバッテンを胸の前で作った。
あんなドレスじゃ、何か起こったら逃げられない。身を挺して守ってくれる人がいたとしても、もし見ているなら早く逃げた方が良いだろう。
なんだか、すごく嫌な予感がした。
「すみません、シャインさん居ますか?」
意を決してテントの出入口の布を開けると、ずらっと厳つい顔の面々がこちらを振り返る。思わずヒッと声を上げた。
その奥の方にシャインがいた。
「ん?なに?…リオちゃん?」
「私たちのテントに来て下さい、大変なことが!」
「何が起こったの?」
右の隅からジェリスが出てくる。後ろにエヴァもいた。ギョっとした顔でこちらを見ている。
第2テント、そうか、ここは二団…第二騎士団のテントだったのか。
「シャインさん、来てくださいね、私…戻らないと!」
「わ…分かった!」
まずいことにならなかった時のことを考えて、情報は言わない方が良い気がした。
煙は3人以外に見えることはないと思うが、ガラス瓶を管理していたのはマイヤーだし、負傷者でも出れば責任が問われる。
リオは出入口から飛び出すと同時に、あのお蝶のご夫人がどうなったか気になって、そちらの方を見やる。
来賓席には何名か屈強そうな騎士とフードを被った魔術師のような人が配置されていた。
その中央の簡易椅子に座るお蝶のご夫人は、さながら戦国武将のようであった。
何らかの対策をとったようだと判断して、リオは反対方向のマイヤーのテントに急いだ。
途中、黒髪の精悍な顔つきの男性がリンクと共に現れる。
「リオちゃん、副部長は?」
「すぐに来ます」
「了解、急ごう」
煙はテントの出入口から漏れ出していた。
それが近づくにつれて、次第にテントを包み出す。
悪魔御殿…。リオやリンクからはそう見えた。
「この反発力は何なのかしらね!何回やっても蓋が!」
マイヤーは封魔手袋で石をガラス瓶に入れたのだが、何回入れても蓋がポンッと飛んでいくようだった。
「いや、そんなことより出ましょう!」
「今、やっと煙が見えてきたというのに勿体ないじゃない」
テントの外までルーカスとマイヤーの声が響いている。
驚愕の目でテントを見上げるリンクに、隣の黒髪の青年が声を掛ける。
「どう見えているんだ…?」
「あ…真っ黒い煙がテント全体を…包んでいます」
「リンク。とにかく、中にいる人を外に出そう。…リオちゃん?ここに居てね?」
小さい子を諭すように小首を傾げ、少し無理に微笑んだ。
「はい」
「いい子だ」
2人は素早くテントの中に入った。
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