第41話 瓶からドロドロ

 2人がテントに入るのを見送るリオ。

 その目には、おどろおどろしくテントを包む、紫色の煙が見える。


 もう、時間がない。そんな気がした。

 テントの上空から変な感覚がする。それはリオを頭から押すような、圧迫感のあるものだった。


 2人が駆け込んだ後、マイヤーの「待って!」と焦る声が聞こえた。


 ふと、隣に影が差す。見上げるとシャインが見下ろしていた。

「何がどうなったの?」

「ガラス瓶が蓋をしても閉まらなくて、石が出たままなんです。だから、テント自体が煙に包まれていて…」

「石が出たままって…」


 シャインが眉を寄せる。

「蓋が空いてから、どのくらいの時間?」

「蓋が空いたのは、シャインさんのところへ呼びに行く少し前です」

「濃さはどのくらいになってる?」

「もの凄く濃いです。出入口から出ています。テントを包む煙も、もう時期に、そんな色になりそうです」

 はぁ…シャインは浅く溜息をついた。


「ったく、先生の推測が正しければもうすぐ来るか?」

「来る?」

 ゴソゴソとフードのポケットを探る。

「ほら、リオちゃんが描いた鳥!」

 ババーンと『勝訴』のようにシャインが紙を見せつける。

「こわっ!」

 自分の描いた鳥の絵に恐怖を感じてしまった…。どうやらシャインはこれを持って、各テントを回っていたらしい。

 そりゃ、みんな振り返った時に怖い顔になりますわな。


 マイヤーは足取り重くルーカスに抱えられ、テントから出てきた。手にはガラス瓶を持っているが蓋はない。

 ガラス瓶から朦々と煙が出ているから、石は瓶の中に戻せたのだろう。

 続いてリンク、黒髪の男が出てくる。


「鳥が…。上から気配がするわね」

 振り返るとジェリスが腕を組んで立っていた。隣にエヴァもいる。

 2人ともすでに胴付き長靴は脱いでおり、普段の制服になっていた。


 テントから出されたマイヤーが、リオを見つけてこちらへ向かってくる。手に持つ瓶から溢れ出す煙は、マイヤーを取り巻き、苦しそうに咳き込んだ。

 なだれかかるように抱きつかれ、思わず瓶を受け取る。ルーカスも瓶からの煙の毒素を与えられたのか、うずくまって咳き込んでいた。


 リオの手の中の瓶は、朦々と煙を出し続けている。

 リオは煙の動きを良く見てみた。


 煙りは立ち昇るのではなく、ドライアイスの煙のように容器の許容量を超えて押し出され、リオの掴んだ手を伝って地面に落ちていっていた。

 火災時の煙のように、上昇してモクモク出ていたのではなかったようだ。


 そういえば…。

 ラット実験で救出した時を思い出す。煙はリオの手を避けるようにしたのではなかったか?

 ならば、やってみるか。

 リオはガラス瓶の蓋をするように、手のひらで上部を押さえた。

「り、リオちゃん!」

 シャインは叫ぶものの、煙が見えずにどうしようかと考えたのか、手を出したまま静止する。


 その時、後方から見ていたエヴァがリオに布を渡した。

「護符布だ」

「ありがとうございます」

 石をくるんでいた封魔布とよく似ている。

 リオはそれを蓋のように乗せると、エヴァが開口首をバンドで締めてくれた。


 だが、それでも煙はジワジワと漏れ出してくる。リオは右手で蓋をしながら、掴む左手に違和感を感じた。


 なんだろう、手があったかい。


「この瓶、熱くなってます!」

「ええーー?」

 シャインが両手を萌え袖にしてから、ガラス瓶を持つ。

 その間にリオも右手の蓋の部分を萌え袖にして、持ち直した。

「これ、どんどん熱くなってない??」

 ジェリスとエヴァが交代して瓶の熱さを確かめ、怪訝そうに顔を見合わせた。

 

 マイヤーとルーカスを介抱していたリンクもこちらへ来て、瓶を触るが、

「うわっ、俺の土系、吸い取られてる!」

 と、叫んでスワッと飛び退いた。

「き、記録をとってー」

 マイヤーの、か細い声が聞こえるが、「こんな時に!」

と、いう誰かの突っ込みが入る。


『瓶がめちゃくちゃ熱くなってきた!』

 

 瓶の周りにはリオ、シャイン、ジェリス、エヴァ、リンク。

 そして、少し離れたところに、マイヤー、ルーカス、黒髪の男がいた。

 

 熱くなりすぎて、火傷するんじゃないか?と危惧し出した頃、ボトッという音がした。

 一同、顔を見合わせる。


 ボトッ。


「下!」

 誰かが叫んだ。


 一同、瓶の下を見る。


 瓶の下から茶色いドロドロとしたものが、漏れ出ている。


「こ、これ、ウン…」

 全員がギョっとした顔をする。

 言葉を呑み込むシャイン。

 

 ちょっと!いい大人のくせして、何か言おうとしてませんでしたか!?

 リンカの百年の恋も冷めます。


 そのドロドロしたものはどんどん積み重なり、サッカーボールほどの大きさになった。それでもまだ瓶から漏れ出る。

 底は溶けてるの?どうなっているの?


「これ、土系のやばい系かも…」

 何かが見えたのかリンクが唸った。

 ぐにゃぐにゃ地面で蠢き出す。

 それが手のような造形になり…。

「って、手だー!!!」

 ワシっとシャインの左足首をドロドロが掴む。

「ヒィー!よりによってー!」

 シャインの叫び声よりも早く、ジェリスが剣を抜く。

 ザクッと地面に生えた草の音がするほど、茶色い手のような物体に突き立てた。


 剣を土から引き抜くと、ドロドロしたものが切っ先に付いていて「うえっ」とジェリスが顔をしかめて声を出す。

 が、見ている間にサラサラと黒い粒子のようになって消えた。


 それを見ている間も瓶は熱くなる。

「も、もう、地面に置いても良いですか?熱い!」

「うん、そうしよう」

 シャインの二つ返事でその場に瓶を置く。

 ドロドロと湧き出す茶色い物体。

 溢れ出すドロドロに、瓶は飲み込まれ、横倒しとなり、沈むように見えなくなった。

「どこまで出るんだよ」

 一歩、また一歩下がり続けるのに、広がるドロドロに苛立ったリンクが唸った。


 もうすでにドロドロは2メートル近く広がっている。ぐにゃぐにゃ蠢いて、何か生き物が中にいるかのような動きをしていた。

 どんどん芝生部分を侵食するそれは、シャイン、リンクとの距離を泥川の対岸のように錯覚させる。


「一体、あの泥、何なのかしらね…」

 ドロドロが消えた切っ先を見つめながらジェリスが呟いて、スッと上を向いた。

「上!」

 地面ばかりに気を取られていたが、ジェリスの声で全員上空へ目を走らせ身構える。


 テントのちょうど真上にどす黒い点が出来、それが墨汁を落とした時のように広がっていく。


「やっと来たわね…会いたかったわ」

ジェリスが口の端で笑った。

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