「食べかけ」
「あれ?」
「どうしたの?」
私が冷凍庫をあけてつぶやくと、彼がリビングから声をかけてきた。
「いや、途中まで食べてたアイスがあったはずなんだけど……」
「あ、ごめん。それなら僕が食べちゃった。食べきれなかったのかと思って……」
彼が申し訳なさそうに言う。いつの間にかリビングからキッチンに来ていた。
「いや、別にいいけど……アイス食べたいんだったら封開いてないヤツ食べればよかったのに」
六本セットで箱に入っている冷凍庫の棒アイスは、まだ三本程残っている。
彼は軽く頭を掻きながら、ちょっとだけ恥ずかしそうに言った。
「うーん。なんていうかさ。新しいの開けるより、食べかけの方が何となく食べやすいんだよね」
「そうなの?」
前私が付き合っていた男は全く逆のことを言っていた。「他人の口つけたもんなんて食えるわけねえだろ」と。そのくせ自分は偏食家で、私の作る料理も、気にいらなければ一口食べただけで残りを捨てた。
「もったいないの精神ってやつ?」
「まあ、それもあるけど……。なんだろ。使いかけのものの方が、新品よりも気楽に使える、みたいなことない?」
「うーん。真っ白なコピー用紙よりもチラシの裏紙の方がメモとりやすい……とかそういう感じ?」
「そうそう! 気を使わなくていいし。ちょっと雑に使っても、途中で駄目になっても『まあ、もともと捨てられるものだったし』って思えるから楽なんだよ」
私が理解を示したことで、彼は嬉しそうに頷きながら言った。
確かに、彼は身の回りのモノも中古品ばかり買っていた。この家にあるパソコンやテレビなんかも中古品だ。「貧乏性なんだよ。安くて手に入りやすいとつい買っちゃうんだ」と彼は笑っていた。
ただ、彼は物持ちがいいわけじゃない。必要ないと感じたときはすぐに捨てたり売ったりしてしまう。本なんかは特に顕著で、ネットで中古の本を買い、読み終わるとすぐにまたネットに出品してしまう。
「え、だって読み終わったらいらないじゃん。邪魔になるしさ」
次々と読んだ本を売っていく姿を見て驚く私に、彼は何でもないようにそう言った。
「でもさ、もう一度読みたくなったらどうするの?」
「また買えばいいでしょ。高いもんじゃないし」
合理的、と言えばそうなのだろう。時代にあった生き方だと言われればそれまでだ。
でも、本に線を引いたり、付箋を貼ったりしながら読む私からすると、ふと気が付いた時に手元に好きな本があって欲しいと思ってしまう私からすると、彼の考え方は少しだけ冷淡に思えた。
とにかく彼の周りあるものは、手に入りやすくて処分しやすいものばかりだった。
私が彼と出会ったのは、前の男と別れてすぐだった。
前の男は粗暴で、自己中心的だった。私の話なんて何も聞いてくれなかったし、気に食わないことがあれば怒鳴った。
今思えばなぜ付き合っていたかも分からないほどにひどい男だった。
彼は、前の男と入れ替わりのように私の前に現れた。確か友達の紹介だったと思う。
「自分も恋人と別れたばかりなんですよ」と笑いながら言った彼と私はすぐに打ち解け、彼は前の男と違って、私の話をちゃんと聞いてくれた。優しく慰めてくれたし、時には私と一緒に前の男に腹を立ててくれた。そのことが私は嬉しかった。私達は出会って一か月もしないうちに恋人関係となった。
不気味なほどにスムーズに、私達の関係は深まった。今考えれば不自然と思えるほどだ。傷心の私につけこんだのではないか。前もって私が喜ぶ反応を準備してきたのではないか。そんな疑念が時折頭に浮かぶ。
「心配しすぎだって! フィーリングが合ったんだよ!」
「すごい! 運命じゃん!! いいなぁ~。私もそういう相手欲しいな~」
友達に相談しても、そんなセリフばかりが返ってきた。そんな能天気な話とは真逆の、冷たい計算が、彼にあるように感じるのは私の思い過ごしなのだろうか。
付き合い始めてからもうすぐ一年になる。私もいい年だし、この機会を逃せば結婚相手を見つけるのは難しくなってくるかもしれない。しかし、彼に結婚のことをほのめかしても、上手くはぐらかされてしまっていた。
不信感は募るけれど、彼に何か具体的に不満があるわけではないし、私の妙な勘繰りでわざわざ関係を悪化させるのも気が引けた。
いや、むしろその勘繰りが引き金になってしまうことが怖かったのだ。
「ちょっと小腹空いたんだけど、なにかある?」
冷凍庫をそっと閉めた私に、彼が声をかけてくる。
「あ、じゃあ昨日の残りでもいい? 野菜炒め」
「もちろん。食べかけがいいって言ったばかりだしね」
彼はそう言って笑い、リビングに戻った。
私は冷蔵庫から昨日作った野菜炒めを引っ張りだして、電子レンジで温めなおした。一日経った野菜は色がくすみ、歯ごたえもなさそうに見えた。
器の中のくたびれた野菜を見ていると、頭の中に次々と不安が浮んだ。ちょっと強めに頭を左右に振って切り替え、器をもってリビングに向かった。
彼は携帯をいじっていた。顔が妙にニヤついている。私は怖くて画面が目に入らないように顔を逸らしながらテーブルに近づいた。
そして、彼の前にそうっと器を置いて、静かに言った。
「……残さず食べてね」
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