「新規 Microsoft Word 文書」

 暗い部屋。パソコンの画面だけが不健康に部屋を照らす。


 真っ白なページの光はやけにまぶしいけれど、太陽みたいな優しさはない。僕の一日を断罪するみたいだ。


 吐いて捨てる程あった時間を、本当に吐いて捨てた結果たどり着いた夕暮れがあって、無為な時間をなかったことにするために求める深夜のロスタイムが気づかないうちに僕の身体を蝕んでいる。


 なにもしていない自分への言い訳みたいに書き始めた物語には、悪い意味で筋書きはなく、当然、終わりだってない。


 書き上げた文章のあまりのくだらなさに吐き気さえ覚え、リストカットみたいにバックスペースを連打する。使った時間を自ら無為にしていくことその行為に、高いところからものを落としたときのような浮遊感を覚える。


 全部消し終わって、コントロール+Sで保存。自分で自分の時間をなかったことにする。真っ白なページは自慰行為で飛び出た精液を受け止めるティッシュそっくりだ。僕はそれをゴミ箱に捨てた。


 何となく、ゴミ箱をダブルクリックする。


 ゴミ箱の中には、何列にも連なった「新規 Microsoft Word 文書」があった。それは全部僕が消したごみだった。すべてが何も書かれていないテキストファイルだった。僕は文字を書くファイルに、何も書かずに捨てていた。


 それが、いくつも、いくつも……。




「なんで僕は生まれたの?」




 そんな恨めしげな声が聞こえたような気がして、僕はゴミ箱を閉じた。



 ふと、時計を見て混乱する。

 もうこんな時間だ。

 もう寝ないと。


 なぜ?

 明日も今日と同じ日が来るのなら、寝る意味なんてない。

 何か、今日何かをしたって実感が欲しい。


 逃げるように音楽を流す。定額聞き放題のサービスの「落ち込んだ時に聞く曲」のリストから、僕の今日を肯定してくれるような曲を探す。でも、軽やかでさわやかなJポップはガラスの粉を飲み込んだみたいに胸をざらつかせた。幸せそうでも切なげでも、頭の軽そうな恋の歌にはめまいがした。


「こんなつまんない歌詞、俺でもかける」


 そんなセリフが頭に浮かぶ。

 さっきの真っ白なページが僕に無言で圧力をかける。

「こんなつまんない」ものすら書き上げられなかった事実が僕を踏みつぶす。


 ああ、そうだ。つまり。


「この世で最もつまらないのは僕、かもな」


 小声でつぶやいてみる。それは、純然たる事実だった。

 それならいっそ、この暗い部屋が、僕を溶かして消し去ってくれればいいのに。

 

 なんで僕は生きていなきゃいけないんだろうか。

 いなくたっていいのに。

 誰も困らないのに。

 何もできないのに。

 何も作れていないのに。



「なんで僕は生まれたの?」



 そんな問いが浮かぶ。その問いすらも凡庸だった。

 なんだか、世界に馬鹿にされてるみたいだ。

 にじむようなくやしさがあふれてきた。



 ……なんで生きてるか分からない。

 ……だったら、それを書いてみよう。



 僕は、壁紙の何もない部分を右クリックして、「新規作成」にカーソルを合わせる。

 そして、もう一度ファイルを創る。ファイルの名前はあえて変えなかった。

 真っ暗な部屋の僕を、無機質な真っ白い長方形が照らし出す。



「わかんないのはお互い様だろ」



 まぶしいほど真っ白な画面に向かって、声をかけてみる。

 書き出しは、こうだ。




『暗い部屋。パソコンの画面だけが不健康に部屋を照らす……』

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