「自由の使い方」

「……お渡しした『薬』に関して、ご説明は以上です。ご質問等ございますか?」

「……いえ。ありません」

「そうですか。それではご利用の際は十分お気をつけて。使用中に発生したいかなる問題に関しても、当方は一切の責任を負いかねます」

「分かりました。ありがとうございました」


 男は立ち上がり、そそくさと出ていった。おかしな印象の男だった。血色がよく、太りすぎても痩せすぎてもいない、健康そうな身体つきをしていた。肌にもハリがあり、皺やシミの類もほとんどなかった。しかし、健康そのものといった容姿の中で、その瞳だけは虚ろだった。その瞳のせいで、男は精巧な人形のようだった。


「須藤さん、さっきの男、何歳だと思う?」


 天音先生が白衣についた小さなホコリを払い落としながら聞いてきた。私の方を見向きもしないで、視線はタブレットの方を向いていた。


「さっきの男、ですか? そうですね……肌綺麗だったし、三五歳くらいかな」

「はずれ。彼、五四歳だよ」


 そういって天音先生は私にタブレットを投げてよこした。何とかキャッチして、画面を確認すると、確かに先ほどの男の名前の横に「年齢:五四歳」と書いてあった。


「え! 先生よりも年上なんですか?! ちょっと信じられないです」

「それは、僕が年寄りに見えるってことかな?」

「いえ、それもありますけど……」

「正直だね」

「でも、それ以上に、彼、見た目若すぎですよ。先生より十歳以上年上なんて信じられない……」


 私が驚いていると、天音先生は笑った。


「須藤さんはここにきてどのくらいになるんだっけ」

「えっと、そろそろ三か月、かな?」

「そんなもんだったか。今時、健康は完璧に管理されているからね。一日の食事量から運動量、睡眠時間にいたるまで、機械が管理してくれる。だから、気持ち悪いぐらい血色のいい老人は珍しくないんだよ」


 天音先生は「機械」という言葉を好んで使っていた。「システム」とか「PHCD(Perfect Health Care Device)」みたいな言葉を使わず、古臭くて大雑把な言葉を使うことが多かった。


「確かに、最近は食べたいものとかPHCDに伝えれば、勝手に作ってくれますもんね。自分で料理とか物好きしかやらないイメージです」

「そ。生まれた瞬間に遺伝子レベルでその人のアレルギーとか好き嫌い、年齢に合わせて必要な栄養素なんかを考えて、一生分のレシピが完成してしまう。須藤さん、人間が一生にする食事の回数って何回くらいだと思う?」

「え? うーん……」

「一年が365日で、一日三食、100年生きるとしても10万9500回だ。こんな数字、日々膨大な演算を繰り返す機械たちからすれば、取るに足らない。もちろん途中で分岐があるかもしれないけど、そんな手間、誤差みたいなものだ」

「確かに……でも、PHCDを無視して、勝手に食べればいいんじゃないですか?」

「最近は、食材の調達とか管理も機械がやってるからね。健康を害するような食べ方はできないようになってるよ。最近だと、時間が来ると自動的に良質な睡眠がとれるよう、部屋からガスが出て、最も寝覚めのいいタイミングで起こしてくれたりするらしい。急なケガとか病気で倒れても、すぐに機械が駆けつけて、適切な治療をしてくれる」

「へぇ……凄いですね」

「変な言い方だけど、今の時代そう簡単に『死ねない』のさ。生まれた瞬間から天寿を全うできるわけ」


 そういう天音先生は、あまり嬉しそうではない。むしろ「困ったものだ」とでも言いたげな表情だ。


「すごいですね……もう病気とかなくなっちゃう」

「そうだね。だから生命保険会社とか、最近はすごい勢いでつぶれてるらしいよ? と言うより機械たちが『もう不必要』と判断した職業は次々になくなってるみたい。でも失業者には国から生きるのに最低限の機械が与えられてるから、別に問題ないんだけど」


 天音先生はケタケタと笑った。眼鏡の奥の目は細く、目じりには皺が寄っている。容姿は先ほどの男と比べるべくもなく老け込んでいるが、どういうわけか、瞳だけは妙に若々しかった。だが、癇に障る笑い方をする人だった。ちょっとイラっとしたので、言い返してみることにした。


「でも、天音先生は『医者』ですよね? 一番最初に仕事なくなりそうなのにどうしてまだ仕事あるんですか?」

「今の時代、医者っていうのは精神科のことだ。人間の精神だけは機械に解明できないブラックボックス………という事になっていてね。人の精神の病だけは人間が対応することになっているのさ」

「そうなんですか……でも薬とかは……」

「僕らから処方することはないよ? 診断結果を機械に伝えると、機械が病状を判断して、必要そうな薬を食事とかに混ぜるのさ」

「なるほど……じゃあ、実質カウンセラーですね」

「ま、そうとも言うね」


 そういってまた天音先生はケタケタと笑った。やっぱり苛立ちを誘う笑い声だった。私は投げつけられたタブレットを天音先生に投げ返し、書類の整理に戻った。


 天音先生は「実体があった方が気分ノるんだよね、女の人の身体と一緒で」とかいう、完全に旧時代のセクハラ的な発想によってカルテの一部を紙で管理していた。私が雇われたのはその整理のためだった。


 天音先生が印刷した先ほどの男のカルテをファイリングしていると、ふとある疑問が思い浮かんだ。


「あれ、でも先生、さっきの男の人になにか薬、渡してませんでした?」

「ああ、あれ? あれは薬っていうか、まあちょっとした機械だよ」


 興味がなさそうな返事だった。視線はまたタブレットに向いていてこちらに見向きもしない。


「どんな機械なんですか?」

「一定時間『消える』機械だよ」

「消える?」

「機械たちから見つからなくなるってことだよ。『薬』のスイッチを入れると、しばらくの間、あらゆる機械に感知されなくなる。正確に言えばその人のダミーを作って、機械たちにその人が『別の場所にいると錯覚させる』ためのものだ」

「そんなもの、何に使うんですか?」


 天音先生は、タブレットを見るのをやめ、私の方に視線を移した。急にこっちを見たので、私は少したじろいだが、先生の焦点は私、と言うより、部屋の奥の窓にあっているようだった。


「……毎日決められた食事をして、決められた時間に寝て、決められた量の運動をして、なんて生活に嫌気がさすって人が一定数いるんだ。機械に縛られない生活を少しの間だけでもしてみたいってね」

「そんなもの、機械の電源切っちゃえばいいじゃないですか」

「乱暴だなぁ。そんなことしたら、異常事態としてネットワーク上の他の機械が様子を見に来ちゃう。家を出る前につかまっちゃうよ」

「ええ……。そうなんですか……」

「だから、『騙す』のさ。ほんの少しの間、その人を構成するものと同じデータの集合体が『別の場所にある』と思わせる。医者として彼の身体的なデータは全部保管してるから、それを使って、ね。まあ、詳しいこと知りたかったら教えてあげるけど、聞きたい?」

「いえ、難しそうなんでいいです……。それ、みんなに渡してるんですか?」

「いや、違法っちゃ違法だからね。本当に必要そうな人にだけ渡してるよ」

「違法なんですか?!」

「うん。でも違法か違法じゃないかを決めるのも機械たちだから、機械が騙せれば関係ないんだよね。グレーゾーンさ」


 先生は大きく伸びをした。背中のあたりからぱきぱき、という音がした。そして、立ち上がり、コーヒーを淹れに給湯室の方に歩いて行った。天音先生は、「結局自分で淹れるのが一番おいしいんだよ」なんていう癖に、本格的な道具は使わず、ひと昔前のインスタントコーヒーを好んで飲んだ。何とも中途半端な男だった。


 しばらくすると給湯室から湯気が立ったコップを二つ持って、先生は戻ってきた。部屋中に、コーヒーのいい香りが広がる。先生は私の作業机の上にそっと片方のコーヒーを置くと、自分のコップに口をつけた。


 私は先生に軽くお礼を言った。先生は「一つも二つも手間は変わらないからね」と軽く手を上げて応じた。妙なところで気が利く人だ。人に淹れてもらうホットコーヒーは、インスタントでも割り増しで美味しく思えた。


「仕事もなくなって、やる事もない。食事も、運動も決められた範囲。残るのは無駄に健康な身体と、効率化の結果できた膨大な時間。ま、火遊びしたくなる気持ちはわからないでもないよ」

「そうですね……。趣味とか見つければいいのに」

「あはは、案外趣味に没頭できるのも才能だったりするよ? 時間があるからってみんなが何かやってるわけじゃないでしょ。自分の休日を振り返ってごらんよ」

「……確かに何となく動画とか見てるうちに終わりますね」


 私の様子を見て、天音先生はニヤっと笑った。彼の想像通りの休日を送っていたことをやや反省した。したいことは結構あるはずなのだが、時間がある時ほど何もしていないことが多いような気がする。


「僕たちは結局機械たちに随って生きている。機械が決めた食事をして、決められた通りに寝起きする。すすめられた動画を見て、言われた通りの時期に死ぬ。自分で決めることがどんどん減って、何をすればいいか分からなくなれば、何をすべきか機械にたずねている。それに嫌気がさす人がいてもあまり不自然ではないと思うよ。だけど……」


 天音先生は、ふぅっとため息なのか、コーヒーを冷ますための息なのかわからない吐息をだしてから続けた。


「面白いもんだね。人はより自由になるために機械を作ったはずなのに、今や自由になるために機械から逃れようとしている。しかも機械を使ってだ」


 天音先生は、自分の仕事用の椅子に深々と腰かけ、また、ふぅっとコップの上の湯気に息を吹きかけた。湯気は先生の息でゆらゆらと形を変えた。私も真似をして、コップに息を吹きかけた。コーヒーの香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。


「……先生、さっきの男は『薬』を使って、何をするんでしょうね」


 私がそう聞くと、先生は珍しく渋い顔をした。コーヒーの苦さに顔をしかめているわけではなさそうだ。何か、寂しいような、祈るような表情だ。しばらく黙って遠くを見つめた。


「そうだねぇ。逆に、何をすると思う?」

「質問を質問で返すのはお行儀が悪いですよ」

「まあまあ、想像してごらんよ」


 渋々考えを巡らせてみる。何も管理されていない生活。機械を使わない生活。全然想像できない。


「そうですね……。公序良俗に反するぐらいギトギトのラーメンを食べる、とか?」

「あははは。食いしん坊だね、須藤さん。まあ、でも考え方は健康的だよ」

「うーん。いざ考えてみると、あんまり思いつかないですね」

「それは幸せなことだと思うよ。他には、それこそ公序良俗に反するような風俗店に行くとか、ドラッグとかに手を染める輩もいるかな。でも、そういう人は少数派だよ。あの機械には時間制限あるし」

「じゃあ、『自由』の使い道で一番多いのは?」

「…………」


 天音先生は、口を閉ざした。持っていたカップを机の上に置いて、おもむろに立ち上がる。そしてつかつかと、私の前を横切り、窓のところまで歩いて行った。


「先生?」


 私は急いで先生の後についていった。先生は窓から道路を見下ろしている。表情は、とても寂しそうだ。私も横から見下ろした。


「……うそ」

「……言ったでしょ? 今の時代『簡単には死ねない』んだ」


 眼下の道路では、自動運転中の輸送車が「障害物」にぶつかって動きを止めていた。ブレーキが間に合わなかったのだろう。なにせ、相手は「機械に感知されない」のだから。しかし、すぐに機体は自動で清掃され、「障害物」はすぐに除去された。


 もちろん先ほどの男とは関係ない出来事だ。データ上、彼は、「家で寝ている」のだから。

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