第九話 タイトウ・バッド・ボーイズ~過去からの息吹~
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このクソッタレな世界を壊す事が出来ないなら、俺は逃げる。コダマを連れて、逃げる。
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コダマとアスラは幼馴染だった。といっても、アスラが見つけた秘密基地にコダマが迷い込んで互いに所有権を主張したものだから仕方なく一緒に遊ぶようになったのが始まりである。コダマは生白い肌や端麗な顔に似合わずチャンバラや盗賊ごっこが好きで、アスラはその事を意外に思ったものだった。
地下鉱山の奥深くにあるその場所は丁度子供にしか通り抜けられないサイズの小穴の先にあったので、
けれどもいつしかコダマは基地に現れなくなり、アスラも自然と足が遠のいたのである。
相棒としていた男の子がいなくなった事で途端に詰まらなくなったのだ。
地下コロニー第22エリアは鍛冶担当地域である。一桁コロニーからの依頼品を打ち、それで完全栄養食を得ていた。
アスラはそんな生き方を嫌悪していた。上からおこぼれを貰って命を繋いで何が人間だ、と。とはいえアスラも食い繋いでいかなくてはならず、工房で下働きをしながら二日に一度の完全栄養食を得ていた。二日に一度、というのもアスラを苛立たせる理由のひとつだった。
アスラは早くに両親を亡くし、現在の工房主に引き取られたのである。そこで幼少の
工房は週に一度、完全閉鎖の日を
大人たちも同じと見えて、工房の男衆は町の一区画にこっそりと足を運んでいる事もアスラは知っていた。
◆◆
その日もアスラは町をうろついていた。目に映る物全てが下らなく思えてならなかった。人々の粗野な服装も、下卑た笑いも、土埃の舞う荒い道も、家屋の傷んだ柱も、そして人工太陽の光の下を
ふと、秘密基地を思い出した。
そこに通っていたときは今よりも幾らかマシに笑えてたんじゃないか、と。
足が離れてもう数年になる。基地の入り口となる小穴は、まだぎりぎり通り抜けられるだろう。
結局、秘密基地の上へと続くもうひとつの小穴を最後まで進む事はなかったなあ、なんて考える。コダマと二人でいつか冒険しようと約束したのだ。二人の中では、その穴は地上に通じているという設定だった。
そんな事を考えつつ歩いていると、自分が普段は絶対に通らない道に入ってしまった事に気がついた。
第22エリアでは、完全栄養食が通貨として利用される事があった。腐る事なく、口にするだけで充分な栄養が得られる。それは誰にとっても必要であり、また、貯めたとしてもいつか必ず役に立つ。人間にとって栄養が必須である事は、どれだけ時が経っても変わらないからだ。
色を買うため、アスラの父は家族の完全栄養食にまで手を出した。
空腹に喘ぐアスラに、母は自分の分の完全栄養食を分け与えた。幼いながらに遠慮するアスラを、母は叱った。母さんはこっそり食べてるから大丈夫、と。
アスラはその言葉を真に受けたのだが、母も父も栄養失調で死んだ。二人とも長い事何も口にしていなかった事実を、埋葬の
以来、アスラは色道に通う男を憎んでやまないのである。だから色道自体も、決して近寄りたくはなかったのだ。
◆◆◆
色道を抜け出そうと踵を返すと、肩を叩かれた。あまり不意だったので身体がびくりと震えた。
「アスラよお、オメェも一丁前のつもりかよ」
そこにいたのは工房主の息子だった。
嫌なところを見つかってしまった、とアスラは歯噛みした。親の
「おい、なんとか言えよスケベ野郎」
自分の親父も、こんな馬鹿だったのだろうか。そう考えると怒りが沸騰した。
「うるせえよ」と返すと、工房主の息子は露骨に怒りを表した。
「誰に向かって言ってんだ、こいつ!」
言って、彼はアスラの胸ぐらを掴んだ。そして、吐き捨てるように続けたのだ。
「腹違いめ」
父の女遊びを
だからこそ、我を忘れた。
ボンクラ息子の顔を滅茶苦茶に殴りつけて、気が付いたときには周囲に人だかりが出来ていた。
思わず拳を止める。
華美な着物姿の女や、
アスラはその場を駆け去った。人や物ににぶつかるのも構わず、闇雲に走り続けた。色道を蛇行し、ただただ、人間のいないところを目指した。
色道の路地裏に辿り着いたとき、アスラは猛烈な吐き気に襲われた。
荒く息をつきながら、完全栄養食のお陰でさっぱり臭いのしない吐瀉物を眺めた。
壁に手を突いて苦しく喘いでいると、背を
振り向くと、派手な着物を身に纏った子供がいた。アスラは一瞬、少女だと思ったが違った。
懐かしい顔。秘密基地の相棒。
「コダマ……?」
呼ぶと、コダマは俯きがちに薄く微笑んだ。
「逃げ出すアスラを見て、こっそり追いかけたんだ。……つい、懐かしくなって」
「お前、いつから……」
いつから
コダマは首を傾げて、寂しげに目を伏せた。
「……何で秘密基地に来なくなったんだ? 飽きたのか?」答えを知りながら、アスラは問いかけた。
コダマは袖をひらひら降って、ため息混じりに「ごめんね」とだけ返した。その声は、湿った路地裏に似つかわしくしっとりと響く。
アスラは拳を握り、コダマを睨んだ。何もかも悔しくて
男娼を好きでやる奴はいない。少なくとも第22エリアの子供がやってるとすれば、それは親代わりの人間が商売道具として扱っている事を意味する。孤児として拾われ、消費され、骨までしゃぶられる。そんな事は分かりきっていた。
「それじゃ……」と袖を振り、コダマは背を向けた。
「お前、ソレ、好きでやってんのか?」
「……そうだよ」
コダマの声は乾いていた。
「嘘つけ!」
叫ぶと、コダマはキッと振り向いた。目尻は上がり、口は真っ直ぐに結ばれている。
「嘘だったら何さ。誰も助けやしないんだ」
潤んだ彼の目。どうにもならない世界への屈辱。アスラは確かに、コダマの瞳にそれを見た。
「俺は違う」アスラは真っ直ぐに、射るようにコダマを見据えた。「俺は、お前を見捨てたりしない」
「けれど……何も出来ないじゃないか!」
コダマの哀切な叫びに、アスラは決然と首を振った。そして彼の手を取る。
「このクソッタレな世界を壊す事が出来ないなら、逃げよう。一緒に」
◆◆◆◇
「全く、無茶だよアスラ」
「やってみなきゃ分かんねえだろ」
アスラはコダマを連れて秘密基地まで来たのである。
目的はひとつ。上へ上へと続く小穴を進むためである。その先に地上があると二人で信じたから。
「地上へ行くんだ。もうここにはいられない」
四つん這いになって進むアスラは、背後からコダマの声を聴いた。「本当に地上まで続いてるのかな?」
「続いてるさ。もし行き止まりだったら、掘ってでも進んでやる」
後ろでコダマがクスクスと笑う。「何だか昔みたい。今、凄く楽しい」
「これからはずっと楽しいさ」
恐れはなかった。アスラにとっても、コダマにとっても、町にいるほうがずっと恐ろしいのだ。
◆◆◆◇◇
何時間経ったろう。アスラにはもう時間の感覚がなかった。膝も手のひらもボロボロだ。けれども決して進むのをやめようとはしなかった。
時折後ろを振り向くと、生白い
もう帰らない。そう決めると是が非でも進むしかなかった。
ひとりじゃない。その事実もまたアスラの背を押していた。
やがて真っ暗な小穴の先に、針の穴ほどの光が見えた。アスラは幻かとも思ったが、進む毎に光は大きく強くなる。
「コダマ」
呼びかけると、「うん」と即座に返事が返ってきた。
穴の先、指が草に触れる。アスラは眼前に広がった嘘のような景色に目を注いだ。尻をつつかれて、コダマのために外へ出て立ち上がった。
足元で息を呑む音がした。
「見ろよ、コダマ」
「うん、燃えてる」
二人が出たのは、丁度丘の上だった。ぽっかり開いた木々の先、廃墟郡が地平線まで続いている。そして、その夕焼けは地下の人工太陽とは比べ物にならないほど壮絶だった。真っ赤な太陽光線が建物の影を長くさせている。
「これからどうしよう」
コダマの呟きが聴こえた。そこに悲嘆や不安の調子はなかった。
「何だって出来るさ」
「お腹空いたらどうしよう」
「野菜とかキノコとか、そこら辺に生えてるらしいぜ、地上には」
「完全栄養食以外の物は病気になりやすいよ」
「いいさ。地下で食う栄養食より百倍マシだ」
恐いものなんてなかった。全てがここから始まっていくのだ。
世界はこんなにも広い。空気は新鮮で、風は冷たく、一秒たりとも同じ景色はない。鬱屈した気持ちや、薄汚いやり取り。地下にありふれていた穢れは少しもなかった。
◆◆◆◇◇◇
「何だか本物の冒険みたいだね」と顔を綻ばせるコダマに「本物の冒険なんだよ」とアスラは返した。
割れたアスファルトの道沿いに進むと、廃ビルが林立する通りに出た。まるで地面から生えたみたいに、にょきにょきと伸びた建築物を眺めながら嘆息した。これだけ広大な土地なのに、空へと手を伸ばしている。
膨大な数の存在がここで暮らし、そして消えていった。残ったのは遺物たる廃墟郡のみであり、割れた窓ガラスや陳列棚、はたまた錆び付いた看板に過去が染み付いている。
人間がいなくなっても残り続け、果てしない時間を
ふとコダマを見ると、彼は路地裏を見つめてじっとしている。暗がりを覗き込んで目を見張る彼に声をかけようと口を開きかけた刹那、息が止まった。
廃ビルと廃ビルに挟まれた路地。それを覗くコダマの遥か頭上に茶色い球体があった。それには両の目がついており、真下をじっと睨んでいる。
――化物。そう思い至った直後、球体がぱっくりと裂ける。割れ目から凶悪な牙が覗いた瞬間、アスラはコダマのほうへと駆け出していた。
「コダマ!」
きょとんと振り向くコダマの身体を、勢いのまま路地裏へと突き飛ばした。
刹那、口を開いた化物が急速落下し、地鳴りと共に道が砕けた。
恐る恐る目を開く。怯えた様子のコダマが目に映った。生きてる。大丈夫、生きてる。
それは化物も同じだ。
身を返すと、ぱっくりと開いた口が道路に食らいついていた。もし動くのが一秒でも遅れたら……。
直後、コダマの悲鳴が背後から聴こえた。咄嗟に振り向くと、天高く吊るされたコダマの姿が見えた。彼の足首には獣じみた茶色の
ぞわり、と鳥肌に覆われる。化物は小さな手足を使って転がるように仰向いた。
コダマの身体が奴の真上まで移動する。
アスラは路地裏に転がっていた鉄パイプを手に取った。怖かったし、逃げ出したかった。
でも。
こんなところで終わってたまるか。俺たちの本物の人生は始まったばかりなんだ――。
「コダマを返せ!!」
化物目指して駆け、その巨大な口に鉄パイプを振り下ろした。
――瞬間、化物の身体は弾け飛んだ。
何が起こったのかさっぱり分からなかったが、悲鳴を上げて落下するコダマを全身で受け止めた。
浅く早い呼吸を繰り返すコダマに「大丈夫だ。もう大丈夫」と言い聞かせる。
自分もコダマも、どうして生きているのか理由が分からない。鉄パイプで弾けるような
がきん、と硬く鋭い音が響く。
続いて、からん、からん、と妙に豊かな足音がした。
音の方角を向いて、アスラは身を強ばらせた。
赤地に華が描かれた華美な着物は肩口が大きくはだけており、着崩しているのだと理解出来た。顔は妙に白く、唇の紅は鮮やかである。髪はしっとりと艶やかだった。そして右手には扇。
がきん、と再び音がして、扇が畳まれた。金属製の扇なのだろうか。
その女は雪駄をからからと鳴らしてこちらに近付いてくる。
「アンタら、ここでなにしてはるの?」
鈴の転がるような声。女は音を立てて扇を開いた。
コダマを見ると、彼は面食らって目をぱちぱちさせているばかり。自分が返事をしなければ
「何だっていいだろ」
「何だっていいわけあらへん。ここらはウチのシマや」
がきん、と鋭い音が響く。
「旅をしてただけだ。それで化物に――」
アスラの言葉は女に遮られた。「旅ィ? おかしな事言う子やわ」
「嘘じゃない」
「
言葉を切って、扇を広げる。「
女の言っている意味が分からなかった。獲物? 凶器の事だろうか。
首を傾げると、女はやや眉間に皺を寄せた。「ま、ええわ。どこぞら来はったんか言い」
正直に答える気はなかった。地下に戻らせようとするかもしれない。
「地下の穴から……あの山に出て」
コダマが震える声で答えた瞬間、怒りが頭へ登り、喉を通過して口から噴き出した。「馬鹿!! 正直に言ったら地下に戻らされるだろ!」
「あ」と息を漏らして、コダマの目が潤んだ。そして涙声で呟く。「嫌だ……戻りたくない」
泣くぐらいなら正直に話すなよ。
女がコダマの前へ一歩歩み出て、しゃがみ込んだ。視線の高さを同じにして女は訊ねる。「アンタら、地下から来はったんやね」
仕方なしに頷くと女は目を細めた。直後、彼女はコダマをひしと抱き締めた。
「穴ぐらへ帰したりせんよ。安心しい」
言って、女はコダマの背を
「辛かったね。もう大丈夫やからね」
アスラは目の前の光景を呆然と見つめる事しか出来なかった。ひとつ理解出来たのは、この派手な着物を身につけた女が敵ではないという点である。
◆◆◆◇◇◇◇
女はカグヤと名乗った。そしてこの場所――
「ウチの下におれば、地下に戻すような事はせんよ。嬢ちゃんが
第22エリアの色道を知っている、という事だろう。確かにカグヤの装いは色道の女に似ていた。
それについてアレコレ訊くよりも、勘違いを訂正しなければ。「コダマは男だぞ」
カグヤは鉄扇で口元を隠し、好奇の目でコダマを覗き込んだ。彼は決まり悪そうに「男です」と呟く。
するとカグヤは
カグヤの笑みの裏には、先ほどの同情がまだ根付いているように見えた。コダマが男娼だった事を察したのだろう。22エリア出身なら当たり前のように分かる。
コダマは困ったように微笑んでアスラをちらりと見たので、肩を
「ま、ええわ。
頷くと、カグヤは「かっこええなぁ」と呟いた。それから遠い目で山を仰ぐ。「掘って良かったわぁ」
「掘った?」
「そ。ウチが地下におったとき、一生懸命掘ったんよ。……地上を見て、恐くなって穴に帰ったんやけどなぁ」
手を引いてくれる人がおれば、ウチもあのとき地上に行けたやろか。そう続けた。
「でも、カグヤは地上にいるじゃんか」
そう返すと、頭をくしゃくしゃと撫でられた。
「せや。地上におる。でも全然別口なんよ」
「別口って?」
カグヤは「また今度教えたる」と言って立ち上がった。
彼女の顔にはそれまでの同情や寂しげな様子は見られない。凛としている。
「地上で生きてたいなら、山ほど苦労せなあかんよ。タヌポンくらい出し抜けるようにならな」
「タヌポン?」
「さっきの
カグヤが言うには、正式にはクスダマシという名称らしい。路地に尻尾を垂らして獲物を食う狡猾さと、くす玉の様な見た目から名付けられたとの事だ。
「タヌキみたいな顔付きやろ? せやからタヌポン」
カグヤはあっけらかんと言う。とてもじゃないがそんな愛らしい
「そういえば、さっき化物を倒したのはカグヤなのか?」
「せや。感謝せんでええよ。ウチらは
そんなカグヤに、コダマはぺこりと頭を下げた。「……ありがとう」
「ええて」とカグヤはひらひらと手を振る。
アスラは我知らず拳を握っていた。地上は化物だらけで、自分とコダマは格好の餌でしかない。生きていきたいのなら、強くならなければ。
「カグヤ……俺、化物を倒せるようになりたい。こんなこと言うのは勝手だと思うけど――」アスラは深々と頭を下げた。自分から頭を下げるなんて、初めて事だ。「俺に戦い方を教えてください」
「僕にも……!」と隣でコダマの声がする。
「顔上げや」肩を叩かれ、見上げると困ったように眉尻を下げるカグヤが目に映った。
「勝手に地上へ来やはって、ほんで
カグヤは背を向けてからんからんと歩き出した。
「地上で生きてたいなら、ついてきぃ」
歩き出したカグヤの背を、アスラとコダマは追いかけた。
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