第十話 タイトウ・リンク・フォース~未来への手引き~


 ずっとこの世界から逃げ出したかった。誰かが手を引いて連れ出してくれる日が来ると思っていた。


◆◆


 カグヤがその場所を見つけたのは全くの偶然だった。


 母が寝た頃、家を抜け出すのが日課だった。誰もが寝静まり、死んだような静寂に包まれた町を散歩する。人工の月明かりが白々しく照らす夜、外を出歩く。あてなく、ふらふらと。まるで世界が終わったようで心地好く感じるのだ。町の喧騒も、雇い主の恫喝も、客の下卑げびた笑いも、全て存在しない。


 夜は自分のための世界だ。


 その日カグヤは、気まぐれに鉱山へと足を向けた。地下コロニー第22エリアの産業が鍛冶と決められたときから捨て置かれた場所である。


 鉱山をずんずん進むと、奥に子供ひとりがやっと通り抜けられる穴を見つけた。入って行くと、ぽっかりと広くなった空洞の先に、更に小穴が続いている。その先は真っ暗で、一体どこに繋がっているのかも分からない。


 何だか薄気味悪くなって、カグヤは一目散に逃げ出した。


 家に帰ると、あばらに母が寝ていた。音を立てないように寝床に入り、朝を待つ。カグヤの夜は、こうして終わる。


 陽が登ると病床の母の世話をし、ひと段落つけば働きに出る。母には鍛冶場の下働きと告げていたが、実際は違った。


 カグヤの足は鍛冶区域を通り抜け、更に先へと進む。


 やがて立ち話をするあねさんがたや非番の鍛冶師が、無遠慮な視線を投げる通りに差し掛かった。


 色道いろみち。そう呼ばれていた。身体を売って幾許いくばくかの完全栄養食を得る娼婦と、その買い手と、両者を繋げる斡旋人あっせんにんだけの世界。カグヤがこの世で一番嫌悪する場所である。


 仕事着に着替えたカグヤはその日も座敷に出て、夕刻まで働き続けた。


 帰路いつも思う事だが、一日ごとに自分の中にある良心や善、或いは清らかさが目減りしているように感じた。


 年端のいかない女が鍛冶場で下働きなど受け入れてもらえず、こうやって身を切り売りする事でしか日々をしのいでいけないのは第22エリアの暗黙の了解だった。それを母が知らないのは幸いな事である。


 数年前に父が他界した。それまで鍛冶の報酬で二日に一度は完全栄養食にありつけたのだが、働き手を失ってしまったらその日から食は一切なくなる。


 母は殆ど寝床から起き上がれないような身である。カグヤに出来る事はただひとつだった。


 こうして生きていれば、斡旋人に幾らか抜かれようとも一日一度完全栄養食を母に与えられる。選択肢なんてないのだ。


 ふと振り返ると夕陽が沈みかけていた。のっぺりとした橙色が辺りを染め上げている。


 昼間の男が囁いた下品な台詞と、自分のびた返事が耳に蘇る。涙すら出なかった。


 いつか転機が訪れて全てが良い方向に転がっていくのではないか、と儚く想うときもある。けれども手を引いてこの世界から連れ出してくれるような存在は今まで現れなかった。


 それでも儚く想い描くのだ。いつか、いつか、いつか、きっと。


 き溜めの中心で王子様を求めるのは傲慢だろうか。


◆◆◆


 その晩、カグヤは或る決心をして家を出た。


 あの小穴の先を見てみよう、と。


 真っ暗な道も怖くはなかった。この日々が永久に続くのではないかと考えるほうがずっと恐ろしい。


 例の場所に辿り着くとさすがに寒気がした。先があるとも知れない漆黒の小穴。カグヤは勇気を振り絞って小穴を這い進んだ。


 どのくらい進んだか分からない。道は登りになっている事は確かだったが、それ以上の事は分からなかった。空気が薄く、闇は果てがない。


 カグヤは恐怖に囚われながらも進み続けたが、やがて行き止まりに突き当たった。


 結局どこにも行けない。


 絶望感に打ちひしがれるカグヤの目は、地面に放置されたスコップを見た。無心でそれを取り、行き止まりに突き立てる。


 スコップを振るいながら、カグヤは背を押されるような感覚を得た。


 誰かがここまで掘ったのだろう。その誰かはきっと自分と同じ子供で、とびきり巨大な憂鬱と反抗心を抱いていたに違いない。でなければ、こんな場所まで掘り進められるわけがなかった。


 カグヤが掘ったのは数メートル程度だった。


 スコップを突き立て続けると前方の闇が色を変え、薄明かりが見えた。カグヤは躍起になってスコップを振るい、遂に穴は地上へと通じたのである。


 恐る恐る外へ出ると、息を呑むような光景が広がっていた。


 満天の星空。しっとりと夜気に濡れた雑草。明かりひとつない廃墟郡。風はカグヤのたもとや胸元に吹き込んで、全身を心地好く冷やした。


 今、自分は別の世界にいる。あまりに荘厳で、あまりに広大で――。


 ――思わず足がすくんだ。


 母の姿が脳裏に浮かぶ。自分がいなくなったら、きっと母は死んでしまう。迷いを振り切るように、カグヤはきびすを返した。


 小穴を戻りながら、どこまでも地下に囚われてしまっている自分を自嘲気味に考える。なり振り構わず踏み出す勇気はなく、無理やり手を引いてくれるような王子様もいない。


 鉱山を出る頃には、人工太陽のわざとらしい朝焼けが町を染めていた。


 足を止め、拳を握る。枯れ果てたと思っていた涙が自然と零れ落ちた。


 地下で働く事。母を生かすためにはそうするほかない事。その事実に呪われながらも、必死に呪詛や後悔を押し殺そうとしている事。


 明け方の白い光を、カグヤは長い事睨んでいた。


◆◆◆◆


 リンク・フォースの募集について知ったのは数年経ってからだった。カグヤは客の男がそんな話をしているのを小耳に挟んだのである。そして優遇住民という絶好の制度も。


 カグヤは嬉々として志願し、そして入隊が叶った。これで母は第1エリアで手厚い保護を受けられ、自分もこの下らない色道生活から解放される、と。


 事実その通りになった。母は優遇住民として、望んだ以上の保護・・・・・・・・を受ける事になったのである。第1エリア内の培養施設で生きているのか死んでいるのかも分からないような状態にされ、魂のみリンク・メイトという名の武器に囚われて。


 どこへ行こうとも地獄は終わらないのだとカグヤは知った。


 それから彼女は地上で戦い、傷を負い、それでも生き続けた。どうして自分が生命を繋いでいるのか、その理由さえ分からなかった。


 ただ生きている。それだけじゃないか、と。


 憎らしさ。それが原動力のひとつだったのは確かだ。色道で自分を抱いた男たち、斡旋人、そしてリンク・フォース本部と培養施設管理人。周囲は生命を嘲笑う様な人間ばかり。


 思い知らせてやりたい。必死に喘ぐ生命を。その我武者羅がむしゃらな力を。


◆◆◆◆◆


 リンク・フォースとしての功績が認められて胎痘タイトウ区の隊長に就任が決まった。その日、カグヤは故郷の第22エリアに帰郷する権利を得たのである。


 カグヤが目指したのは色道だった。悲惨な幼少時代を過ごした呪わしい場所。


 久しぶりに目にした斡旋人は老いた小男にしか見えなかった。あの頃は怖くてたまらなかった人間なのに。


 世界が広がると視野も広がる。自分はなんて小さな場所で生きていたんだろう。


「飛びっきり上等の着物べべを出しなよ。死装束にしたるわ」


 挑むように言うと、斡旋人はひるみながらも上質な着物を持ってきて、それを色道の通りに投げ捨てた。


「欲しけりゃここで着替えや」


 斡旋人が言うと、周囲の人間が好奇の目を隠す事なくぞろぞろとカグヤを取り囲んだ。


 下卑ている。救いようのない連中だ。


 カグヤが身につけた服に手をかけると、囃子声はやしごえが飛んだ。


「見たけりゃ見るといいさ」


 一枚一枚服を脱ぐごとに、下品な囃子声は小さくなっていった。


 やがて肌着姿になると、カグヤはぐるりと周囲を見回した。肌を凝視する者、目を背ける者。斡旋人さえ口を開けて呆然としていた。誰ひとり何も言わない。


 カグヤの肌は大小様々な無数の傷に覆われていた。


 彼女は地に落ちた着物を身につけると、自らのリンク・メイトである鉄扇を広げ、勢いよく閉じた。


 カグヤが去っても静寂は続いていた。


 以来、どれだけの功績を積んでも第22エリアに帰る事はなかった。


◆◆◆◆◆◇


 胎痘タイトウ区の陸橋の上、カグヤは頬杖を突いて遠くに伸びた線路を眺めていた。遥か昔、この橋にはメトロと同様の乗り物が走っていたらしい。眉唾な話だ、とカグヤは常々思っていた。


 そろそろ子らが戻って来はるかいな、と線路の先を見つめる。小さな影が二つ、陽炎に揺れた。


 遠くで手を振りながら「カグヤー!」と呼ぶ間延びした声がする。


 やがて二人の男の子がカグヤの傍まで走り寄って来た。


 やたらはしゃぐ二人に、呆れつつ笑みを返す。「遊びやないんよ」


「分かってるよ」と勝気な少年――アスラは答えた。


「ちゃんと取って来たよ」と言ってにこやかに笑う線の細い少年はコダマである。


 カグヤは彼らが集めた資源を眺める。手提げ籠いっぱいの鉄屑がひとつずつと、それぞれ背負った籠には山盛りの山菜。


仰山ぎょうさん取ったねえ。偉いやないか」


 アスラは誇らしげに顔を引き締め、コダマは柔らかく笑った。


化物ばけもんにはうた?」


 聞くと、二人は顔を見合わせ、それから同時に答えた。「遭ったよ」


「で、逃げたん?」


 二人はふるふると首を振って、腰に下げた短剣を抜いた。またしても同時に答える。「倒した!」


 その武器は決して上等な物ではなかった。カグヤが鉄屑の中から使えそうなものを選んで作った粗末な武器である。それでも彼らは化物を倒すほどたくましい。


「やんちゃやわ、アンタら」


「カグヤのお蔭だよ。な、コダマ」


「うん!」


 思わず笑ってしまった。


 本当に随分と逞しくなったものだ、としみじみ思う。


 数ヶ月前は化物を倒すなんて到底出来そうにない素人だったのに、今では資源採取の合間に化物退治までやってのけている。リンク・フォースではないが、立派な戦士だ。


 二人を拾った日から、カグヤは必要がない限り地下拠点には戻らない事にしていた。地上で食い、地上で寝ている。隊長としての役割を果たせているか微妙なところだったが、他の隊員は信頼の置ける人間ばかりだったし、判断が必要となれば地上まで隊員が出てカグヤに会いに来る。彼らも概ね事情は知っているのだ。


 二人の子供は正規ではない方法で地上に来た。そして、彼らがやって来たルートは隊長としての責務から既に塞いである。地上の化物が地下に侵入したら本部から大目玉を食らう。


 ただ、子供たちの存在はひた隠しにしていた。バレたら大目玉どころではないが、知った事ではない。


 地下の拠点に戻るためのルートは全て、寒天質の特殊な防壁に覆われている。リンク・メイトを持つ者は通過出来るが、持たざる者は決して通り抜け出来ない。どんな暴力でも、それを破壊する事は叶わないのだ。


 本来、地上付近の地面は全て寒天質のぶよぶよで覆われているという話だった。故に、化物が地面を掘って地下に到達する事は有り得ないとされている。しかし例外が存在したわけだ。カグヤはこの事実を胎痘タイトウ区担当のリンク・フォースだけで握り潰す事にしたのである。


 地下と地上。安全圏と危険域。リンク・フォース本部を――ひいては地下全体を揺るがす極めて重大な事実であった。


 しかし、それよりも大切なものがある。


 カグヤは目の前で楽しそうにじゃれ合う二人の子供を見て、透き通った喜びを感じた。


 地下の絶望から逃げるべく誰かが掘り進め、自分が地上へと繋げた穴。そこから二人はやってきたのだ。恐怖も喜びも、勇気だって二人で分け合って。


 自分には王子様は現れなかった。ただ、その鬱屈した哀しみが二人をここまで導いたのである。気恥ずかしくて口にはしないが、奇跡的な繋がりだとカグヤはしみじみ思っていた。第22エリアの絶望感が生んだ二人の落とし子。彼らに地上で生きる術を与えるのが自分の役目なのかもしれない。


「ほら、ふざけとったら陽が暮れる。行くで」


 親子ほど年の離れた子供に呼びかける。


 歩き出すと、左手に小さな手の感触を得た。柔らかくて、素直で、実は悪戯好きな性格が滲み出ている。


 その後、右手にも同じような感触が伝わる。勝気で、強がりで、実は甘えたがりな手。


「帰ったら晩ごはんにしよか」


 左右から「うん!」と聴こえて、カグヤは両の手をきゅっと握った。


 茜色に染まった廃墟郡を、ゆっくりゆっくり歩いた。

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