第七話 オウメ・リンク・フォース~農夫たち~
◇◇◇
「俺らはこうやって生きてくもんだ」
亡き父の言葉を思い出してカイは手を止めた。親父の言う通りだ。
「おーい、手が止まってるぞおー」
隊長の声がしてカイは汗を拭い、地面にスコップを突き立てた。ざくり、と小気味の良い音がする。
◇
「キミは農夫になるのだ!」
リンク・フォースになってまで農具を扱うとは想像していなかったのだ。諦念の渦に呑まれながら、カイは父の顔を思い出した。
カイの父は、彼の入隊志願に反対はしなかった。思慮深く「そうか」と呟いただけである。
地下コロニー第39エリアは地下政府から農地指定されている区画である。他の土地よりも肥えているという理由らしいのだが、採れる作物はどれもちっぽけで痩せていた。それでも皆が農業に勤しんでいたのだ。
カイはそんな生き方にうんざりしていた。日がな一日土いじりをして、収穫といえば貧相な野菜ばかり。それすら政府に納める必要がある。父をはじめ、住民は真面目に納めていた。
「少しくらい貰ってもいいんじゃないか」と言うカイを、父は叱咤するではなく、厳めしい表情のまま
「駄目だ。悪癖になる」
そんなものかなあ、と首を傾げるカイに続けてこう言った。
「俺らはこうやって生きてくもんだ。土に触れて、恵みを得て」
汗と泥にまみれた父の姿に自分の人生を見て身震いした。農夫のまま老いていくなんて絶対に嫌だ。ゾッとする。
入隊志願を出した理由も、未来予想図を描き直すために他ならない。地下で死ぬまで土いじりをするくらいなら雄々しく化物と戦おう、そう決めたのである。
優遇住民の欄を埋める際には随分と悩んだ。父も母も現状に満足している。第1エリアに移住させるのは
それを両親に相談すると、明日の朝一番に答えをやるからそれまで待てと父に返された。志願書の提出期限は明日までであり、もしや期限を遅らせてこの土地に縛り付けようとしているのではないのかと疑った。
しかし、父はきっちり朝一番に答えを寄越した。
「母さんの名前を書きなさい」
そのひと言を、絞り出すように口にした。何を勿体ぶって、と思わずにはいられなかった。
しかしそのときの父は、それまで見た事のないくらい苦しげな顔をしていた。逆に母は、ぎこちない笑みを浮かべていた。
一人だけ優遇住民として豊かな生活が保証される事を困惑する母と、優雅な生活に憧れていた癖に見栄を張って母を推した父。カイにはそう見えていた。
正式に入隊が決まった日、父は倒れた。過労らしい。そのまま帰らぬ人となった。
入隊を遅らす事は出来ず、ついぞ父の埋葬には立ち会えなかった。
それは苦く、尾を引く記憶となってカイの胸の内を掻き乱す。訓練校の至る所で、それは思い出された。
◇◇
その話をすると、ナズナ隊長はボロボロと子供の様に泣いた。自分よりも五つも年上の女性がおいおいと嗚咽を漏らす姿は、カイには奇異なものとして映った。
やがて泣き止んだ彼女は、床に胡座をかいたカイを抱き締めた。
「大事な話があるの。このまま話すから、しっかり聞いて」
「あ、はい」
そしてナズナ隊長は、優遇住民とリンク・メイトの真相を語ったのである。
◇◇◇
ざくざくと地面を掘り、辺りはすっかり穴だらけだった。
「そんな感じで充分ね。あとはアレを植えるだけ」
そう言ってナズナ隊長は、農具置き場の手前に並べた
上手く育てば、ここ一帯は野苺畑になるだろう。
植える前に暫し休憩という事で、二人は木陰に腰掛けた。
「地上に出てまで農業をやるなんて思ってませんでしたよ」
そう
ナズナはバンダナを頭に巻き、下は作業着、上はタンクトップという姿である。これでもう少し胸があれば目のやり場に困っただろうな、とカイは常々思っていた。
「ナズナさんも農地出身なんですか?」
「どうして?」
「手慣れてるし、楽しそうだから」
ナズナ隊長は上機嫌に鼻をふんふんと鳴らした。「実はキミの隣のエリア出身なんだよ。第38エリア。林業区域よ」
「へえ。じゃあナズナさんも子供の頃から手伝ってたんですか?」
「そう。木を育てて、切って、それで生きてきた」
「へえ」
遠くの山並みは青々としていた。そのなだらかな丘陵を眺めていると、なぜか父の言葉を思い出した。
「俺らはこうやって生きてくもんだ」
ぼそりと呟くと、ナズナ隊長は首を傾げて見せた。
「亡き父の言葉なんです」
暫しの沈黙ののち、ナズナ隊長は自分の胸元をじっと見つめて「無き乳」と呟いた。
それからぺちんとカイの肩を叩いて大袈裟に笑う。「酷い事言わないでよねー。これだから男の子はー。まったくもー」
何を不謹慎にふざけているんだ、この人は。と一瞬思ったのち、それをかき消した。しんみりした空気を嫌って、わざと笑って見せているのが理解出来たから。彼女なりの励ましなのだろう、多分。
笑い合える事は尊い。多分、自分みたいな人間にとっては一番必要なものだ。
それからナズナ隊長は空を仰いで口笛を吹いた。間延びしたそれは、旋律を持っていた。
「何ですか、それ」
ふふーん、とナズナ隊長は豊かに笑う。
「
「不朽の歌?」
彼女は頷いて、きょろきょろと辺りを見回した。そして、カイの耳元で囁く。
「
雲の間を泳いでて時々姿を見せるんだ、と彼女は得意気に言う。
化物だろうか、とカイは考えた。
「で、クジラと歌に何の関係が?」
またしてもナズナ隊長は、ふふーん、と笑う。「歌うんだよ、クジラが」
「……歌う化物なんているんでしょうか?」
「な!」と彼女はパッと身を引く。「クジラを化物だなんて失敬な!」
オーバーな演技が好きな人だなあ、とカイは頬を緩ませる。
「化物じゃないなら、なんでしょうね」
うーん、とナズナ隊長は唸る。ややあって、何か閃いたように手を叩いた。「神様かも!」
「はあ。神様ですか」
「そう、神様」
自然を愛する神様、と彼女は付け加える。
神様がクジラのかたちをしているのだろうか。いずれにせよ、ナズナ隊長と話していると、どうも気持ちがふわふわしてしまう。
「きっとクジラ様は、キミのお父さんを讃えているよ」
「どうして?」
空を仰ぐ彼女の唇が、薄く開かれた。
「だって、自然と一緒に生きたから」
風が吹き、ナズナ隊長は目を細めた。
ああ、と吐息が零れそうになるのを堪えた。父の言葉が蘇る。
俺らはこうやって生きてくもんだ。
父は多分、優遇住民の真実を知っていたのではないか。それを母と分かち合い、慈愛を持って決めたのだろう。母を優遇住民にする苦痛を父は抱えていたに違いない。
勝手な想像だ。けれど、陽光を受けて穏やかに煌めくスコップを見ていると、無根拠な確信を持つ事が出来た。
不朽の歌、か。
「キミもいつか
「……そうですね」
歌うクジラ。心惹かれてしまうのは、それがナズナの口から話されたからだろう。
隊長の口笛を聴きながら、木陰で
俺らはこうやって生きてくもんだ。土に触れて、恵みを得て――。
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