第六話 ミナト・リンク・フォース~とびきり不器用な祈り②~
◆
エグリアは塔の中ほどから廃墟郡を見下ろしていた。街並みはどこか憂鬱で、四季の移ろいや自然の息吹、あるいは太陽と月の周期がなければ地下とさして変わらないとまで彼女は思っていた。
それら自然の只中にあってもエグリアは退屈だった。
愛すべきリンク・メイトでさえ癒せない憂いが時折彼女を包み込む。そんなときは決まって旧電波塔に登り、眼下に広がる廃墟を眺めるのだ。
異形の化物がちらほら見えたが、エグリアにはどうでも良かった。化物に関心すら起こらない自分を顧みて、どうして隊長になど任命されたのか忌々しく思う。
訓練校を出てすぐに、エグリアは
訓練校では特別優秀だったわけではない。これは隊長に就任してから知った事だが、次期隊長候補を担当区に寄越して貰うように申請するのも出来ない。全ては地下のどこかに存在するであろうリンク・フォースの本部にて決されるらしい。馬鹿げている、と思わずにはいられなかった。
自分が辿った道を思い出すと一層憂鬱な気分になった。
エグリアは配属後間もなく、隊長含め他の隊員に嫌われている事を知った。彼女だけ苛酷な戦闘地域に回され、私室は与えられず、噂話は無遠慮に繰り返された。曰く「身分違いの恋をした間抜け」「
それを想うと、心が乾燥していくような気になった。何故なら事実に則しているからである。
エグリアは元々、地下コロニー第20エリアに住んでいた。ガラス製造の工場地帯として有名であり、現にエグリアもガラス職人である父の工房で下働きをしていた。そんなある日、第5区の富豪がガラスの注文のために工房に訪れたのである。
大人たちが打ち合わせをしている間、エグリアと富豪の息子は一緒に時間を潰すよう言われ、僅かな間だったが幼い冒険を繰り広げたのである。
ガラス工房の裏手の枯れ井戸は内側が小部屋程度の広さで、人工太陽の光も届かない深さだった。彼女たちは暗闇に化物が潜んでいる設定でごっこ遊びをしたのである。富豪の息子は騎士であり、エグリアはお姫様。木の棒は伝説の剣、暗闇には化物と財宝。
楽しいひとときだった。後日父から叱咤されたが。
以来、エグリアは
エグリアは本物の冒険に憧れていた。というよりも、彼と一緒に困難な旅をする事が望みだった。たった一日にも満たない冒険は彼女の心を虜にし、同時に騎士役だった富豪の息子に恋焦がれたのである。
◆◆◆
彼の魂であるリンク・メイトを撫でる。
今、自分は地上にいる。どこまでだって行けるし、彼も傍にいるのだ。怖いものなど何ひとつなく、心中には愛が溢れている。
それなのに。
それなのに、あの日の冒険を超える昂りは未だ訪れていない。
叶うなら、あの幼くて豊かな暗闇に閉じ込められたい。
それは、リンク・オーバーによって本当に得られるのだろうか、と自問する。
答えはいつだって変わらない。今以上に彼とひとつになれば、この渇きも満たされるかもしれない。
◆◆
リンク・メイトの真実を知ったとき、エグリアはあまり驚かなかった。寧ろ、感動さえしたのである。第5エリアと第20エリアでは、絶望的な身分差があった。片や富豪、片や職人見習い。一緒になんてなれない。そんな絶望的な恋は、突破口を見出すに至った。
優遇住民制度。
エグリアはその希望に賭け、リンク・フォースの募集を待ち続けたのである。
遂に志願者の募集が始まったとき、エグリアは父に思いのほどをぶつけた。
答えは「絶対に許さない」だった。
第5エリアの富豪は得意先になっており、娘の馬鹿な願いのために相手との関係が悪化するのを恐れたためである。
父は記入済みの志願書をひったくり、びりびりに裂いてしまった。火に焚べようかと思ったのだが、引き裂かれた紙を泣きながら掻き集める娘を見て、燃やすのは諦めた。
翌朝エグリアはこっそり使者の元へ行き、志願書を手渡した。使者はその奇妙な志願書と少女の泣き腫らした目を交互に見つめ、審査に通すと約束したのである。バラバラになった志願書は、粗末な布きれに縫い付けられていたのだ。普通なら却下されて当然の代物だったが、
そしてなんの間違いか、彼女はリンク・フォースに選ばれた。入隊証を手にしたエグリアは、その晩父の激しい暴力を受けて尚、喜びに打ち震えた。
翌朝、彼女を迎えに訪れた使者は目を疑った。少女の全身には苛烈な暴力の痕があり、顔も腫れていた。にもかかわらず、少女は心底嬉しそうに入隊証を見せ、なにかもごもごと口にしたのだ。
見ていられなかった使者は、彼女を訓練校まで送り届けると逃げるようにその場を去ったのである。少女の姿を
「ありがとう」
そう少女は言ったのだと知って、使者は愕然とした。人目を
エグリアにリンク・メイトの真実を告げたのは当時
退任後、ようやく優遇住民に会えるという幻想。それが破壊された事にエグリアは歓喜した。何故なら退任を待つ事なく、既に想いが遂げられていた事を知ったからだ。
自分は彼の魂と共にいる。肉体の有無など些末なもの。そう彼女は考えた。
怪訝な顔をする隊長に、洗いざらい自分と彼の過去を語ったが決して理解は得られなかった。
誰もが呪いと捉えるものを祝福している。それは隊長含め、あらゆる隊員にとって理解不能な価値観だったのだ。
やがてエグリア隊長に就任した。度重なるリンク・オーバーの結果として癒着を経験した彼女は深い感動を覚えたのである。彼とひとつになりかけている事実に打ち震えた。地下に戻れない事など些細な問題である。
培養施設を管理している研究者は、地下と地上を分ける防壁越しに彼女を見て感動の声を上げた。そして彼女をこのまま隊長として置き続ける事を本部に要請したらしい。
かくしてリンク・フォース結成以来初の、地下へ戻れない隊長が生まれたのである。
自分が物珍しい研究対象である事にも、エグリアは気付いていた。
不愉快ではあったが、やはり些末な事である。
◆◆◆◆
どれだけ一緒にいても、薄暗がりの冒険には到達出来なかった。
電波塔に吹く強風に髪を踊らせながらエグリアは想う。
化物になっても構わないから、あのときの一切を取り戻したい。永遠の暗闇で、永久に続く冒険を、彼と。
「こんな所にいたんですか」
呆れ声が聞こえたが、エグリアは遠くの景色から目を離さなかった。
「生憎の曇り空ですね」と呟いて彼は隣に腰を下ろした。
独りになりたくて電波塔に来たのに、彼はせっせとよじ登って来たのだろう。生意気な新人隊員だったコーネリアも、配属二年目になる。時間は馬鹿馬鹿しいくらい早く過ぎる、とエグリアは内心で呟いた。
「エリちゃん、これ」
コーネリアから手渡された包みを開けると、白くて丸い物体が入っていた。「何これ」
「娯楽食ですよ。肉まんって言うらしいです。レイくんが作ってくれたんですよ。器用ですよね」
頬張ると、刺激的な旨味が口いっぱいに広がった。
隣でコーネリアももそもそと肉まんを頬張っている。
「何を見てたんですか?」
「なんにも見てないわ」
ぶっきらぼうに返すと、コーネリアは柔らかく笑った。「分かりますよ。独りになりたいときってありますよね」
「私はいつも独りよ」
「愛する彼が一緒にいるじゃないですか」と言って、コーネリアはエグリアの右腕を指さした。腕と一体化した武器。彼の魂の結晶。
「生意気な事言うと叩き落とすよ」
エグリアの言葉に、コーネリアは肩を竦めて見せる。「勘弁して下さい」
「……コーくんも随分慣れたわね。私に軽口叩いてみせるなんて」
コーネリアは頭を掻いて力なく笑った。「あはは……。最初は嫌でしたけどね。初日なんてボコボコにされましたし」
「あれはコーくんが生意気な事を言ったからでしょ」
化物になったら殺す。コーネリアの宣言を思い出して、エグリアは少しだけ愉快な気分になった。あの後コーネリアを厳しく教育し、今では何事も物怖じしない一人前のリンク・フォースになったのである。
武器の扱いにも長け、今や戦闘能力は副隊長のレインに匹敵するほどになっていた。
けれど、とエグリアは思う。
けれど、人型に勝てるレベルではない。
「……あのときの約束、覚えてますか?」
コーネリアの問いにエグリアが答える事はなかった。ただ色彩感の欠けた薄曇りの景色を眺めるばかりである。
「武器の扱いも体術も、バーストだって教わりました。もし、エリちゃんが人型に――」
「静かにして」
エグリアは落ち着いた口調で遮った。
コーネリアはそれ以上追求する事なく、口を
憂鬱な廃墟郡を見つめ、エグリアは考える。もし自分が人型になれば、きっとコーネリアはひとたまりもない。レインだって同じだ。その他の隊員が束になったって敵いっこない。
右腕を撫でる。
確かに、魂が
◆◆◆◆◆
それは唐突に訪れた。
巨大な羽ばたきが聞こえ、振り向くとこちらに高速接近する敵の姿が見えた。
鳥型の化物、にしては異様な速度だ。もしや、とエグリアが思った瞬間、それは更に速度を上げて猛進した。
「振り落とされないでね」とエグリアが言うや否や、突風が二人を襲う。エグリアは左手で、コーネリアは両手で鉄骨を掴み、致命的な轟風に耐えた。身体が吹き飛ばされ、腕一本で鉄骨にぶら下がりながらもエグリアは敵の姿を見つめた。
旧電波塔の幅ほどもある巨大な翼。その羽は純白で、どこか皮肉めいて見えた。
人型。それに違いなかった。片腕は槍状に変異している。
「エリちゃん! 人型だ!」
「見れば分かるわ」
コーネリアは鉄骨に這いつくばり、エグリアへと手を伸ばした。「早くこっちに!」
コーネリアの手をしみじみと見つめ、エグリアは憂鬱な感情が少しずつ霧散していく感覚を覚えた。霧が晴れるように、いつもの自分に戻っていく。
ぐっ、と左腕に力を込めて、エグリアは鉄骨の上へと跳ぶように帰還した。コーネリアを見下ろすと、感嘆と驚愕の入り混じった妙な表情が目に映る。
「コーくん、いい? 大人しくしてるのよ」
エグリアはパイルバンカーをひと撫でする。翼の人型は槍を構えた。
「化物と化物の殺し合いを見せてあげる」
瞬間、コーネリアは目の前の少女が高速で迫る槍に突き刺されるのを見た。が、それは残像であった。
少女は鉄骨を器用に走り、登り、人型を翻弄していた。
エグリアが高度を上げた理由ははっきりしている。巻き込まないためだ。コーネリアは拳を握る。
耐えよう、と彼は小さく呟いた。エグリアが待てと言うなら、自分は邪魔でしかないのだ。助力しようと
エグリアはぎりぎりで槍をかわしていた。その一方で、人型の身体には次々にパイルバンカーが撃ち込まれる。しかし、敵の動きは弱まっていない。
◆◆◆◆◆◆
どのくらい経過したろうか。
エグリアの血が鉄骨を赤く染めていた。しかし彼女は鉄骨に立ち、武器を構え続けていた。人型の身体には何本もの杭が刺さっている。
終わりは近い。どちらが終わるかはコーネリアには分からなかったが、じき終焉が訪れるのが感覚で理解できた。
「コーくん」
エグリアの声が遠く響き、コーネリアは彼女を見上げた。目が合う。少女の瞳には、加虐的な光が宿っていた。
「あと何発バーストを打てる?」
「丁度二発分です!」
遂に自分を頼ってくれるのか、とコーネリアは武者震いした。
しかし、エグリアは彼の期待をへし折った。「その二発分は絶対に使わないで」
どうして、と口を開きかけたコーネリアの目に、パイルバンカーが真紅の輝きを放つのが映った。
バースト。それに気付いてもコーネリアは身体を動かす事が出来なかった。
何故なら、彼女は満足気に微笑んでいたのだから。
エグリアのリンク・エネルギーが限界に近い事をコーネリアは理解していた。それでもバーストを放つのなら、それは特別な感情からだ。
エネルギーが飽和し、パイルバンカーによって放たれる。敵の肉体に着弾する瞬間、杭は一気にエネルギーを放出し、敵を消し飛ばす。
今回も同じだった。
◆◆◆◆◆◆◇
目を覚ましたエグリアが見たのは、割れた空だった。それが鉄骨越しの空である事に気付くまで少しかかった。全身が気怠く、右腕がじんわりと熱い。
エグリアは咄嗟に自分のリンク・メイトを見つめ、なんともない事を確認すると安堵の息を漏らした。
生きて、且つ、喪失するのは何よりも恐ろしい。そうなれ、死ぬ以外にないとまで思っていた。
ふと見下ろすと、自分が網の上にいることに気が付いた。鉄骨に張り巡らされたそれが何なのか知り、エグリアはため息をついた。
「気が付きましたか?」とコーネリアは嬉しそうな声を上げる。「エリちゃんがバーストした後、気絶して落ちてったのが見えて、咄嗟に」
咄嗟にバーストしました。とコーネリアはあっけらかんと言う。彼のリンク・メイトである小型ナイフは、切っ先と柄が分離する仕組みになっている。刃と柄を繋ぎ止めるのはリンク・エネルギーの塊たるワイヤーである。
ワイヤーを無尽蔵に延長する。それがコーネリアのバーストだった。
「もし私が人型になったら、バースト一回分不利になる事は理解出来るよねえ?」
やたら安定したワイヤーから鉄骨へと飛び移り、エグリアは言った。本当に私を殺す気があるのか、と。
コーネリアは軽々と笑う。「でも、落下したときは人型じゃなかった。だからバーストを使ってでも助けるべきだと判断したんです」
「助けた直後に人型になるかもしれないのに? 私が限界を超えてバーストした事くらい分かるでしょ?」
そのときはそのときです。そう答えてコーネリアはワイヤーを解除した。しゅるしゅると音を立てて、刃が柄に収まる。
「約束」言って、コーネリアは遠くの景色に目を移した。「覚えてたんですね」
「さあね」
エグリアも同じ方角を見つめた。相変わらずはっきりしない空模様の下で、退廃的な街が続いている。
いつになれば愛すべき人と一緒になれるんだろう。そう
「今はいいや」
エグリアの声は風にかき消された。
◆◆◆◆◆◆◇◇
数年後。
エグリアは拠点にしている廃ビルの屋上から夕陽を眺めていた。溶け出したような橙色が街を染めている。風はなく、雲もない。
右腕には愛する彼がいる。
申し分ないはずなのだが、エグリアはどこか満ち足りない気分を抱いていた。
屋上へと続くドアが鋭い軋みを上げて開くのを聴いても、彼女は夕陽から目を逸らさなかった。
靴音が近付き、やがてエグリアの後ろで止まった。
「エリちゃん」と呼びかける声。すっかり聞き慣れた声だった。
「なあに」
振り向かず、コーネリアに返す。
「良い景色ですね」
「そう」
「エリちゃんと初めて会った日も、こんな夕陽でした」
「そう」
「思い出しますよ。自分の知らない事実を教えられて錯乱したときの事」
「……」
「今では、あのときに知れて良かった、って思います」
「そう」
「……初めは、チャンスがあればすぐにでも転属届けを出すつもりでした。エリちゃんもレイくんも変人だと思ったし、馴染めそうになかったから」
「……」
「けど、エリちゃんに戦い方を教わるので精一杯で、転属届けを出し忘れました。それで今になって、ここも案外悪くないなって思ったんです」
「……けど、行くんでしょ?」
夕空に鳥が数羽、はしゃぐように蛇行しながら飛び去っていった。
「ええ。
「ふうん」
エグリアは素っ気なく答えたが、内心では彼を非難していた。
人型になった自分を殺す。その大袈裟な宣言は結局嘘っぱちじゃないか、と。
隊長になってから、そんな事ばかりだった。共闘を誓った仲間は逃げ出し、
もう誰にも期待しないつもりだった。けれど、興味を持ってしまったのだ。隊長を殺すような宣言なんて、マトモな神経では出来ない。コーネリアが特殊な人間なら、或いは約束は遂げられるかもしれない、と。負ける気など一切なかったが、せめて土俵には立ってくれるんじゃないかと淡く思っていた。
「でも」とコーネリアは呟いた。まるで自分自身に言い聞かせるような口調で。「約束は守ります」
「どうやって?」
コーネリアはエグリアを覗き込み、微笑んだ。一陣の風が吹き、彼の襟をはためかせる。「エリちゃんが人型になったら、
「そのときには手遅れかもよ」
コーネリアは口元に薄い笑いを浮かべたまま、首を横に振った。「僕の知ってるエリちゃんは、物凄く強いんです。だから、僕が殺すまでは生き延びますよ」
「なにそれ」
「約束は守ります」と言って彼は両手を大きく広げた。この夕景を抱きすくめるかのように。「だから、信じて下さい」
馬鹿な放言だ。
けれど、とエグリアは思う。
少しくらいなら、信じてやってもいい。
「期待しないでおくわ」
コーネリアは満足気に頷き、踵を返した。エグリアはそれを横目で見送る。
彼は地下へ還る。そして、
エグリアが振り返ると、コーネリアと目が合った。飛び切りの笑顔で、彼は頭を下げる。
「お世話になりました!」
夕陽が彼を染め上げていた。
コーネリアの姿が消えると、エグリアはぽつりと呟いた。「元気で」
彼の行く先がどうであろと知った事じゃないけど、まあ、少しくらいは幸せを味わうといい。
不器用な祝福が、夕空に溶けた。
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