第六話 ミナト・リンク・フォース~とびきり不器用な祈り①~
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配属日に一番で隊長の部屋へ向かうのがリンク・フォースの慣例だった。そこで部隊のルールや主要任務、主な化物の種類について説明がある。
部隊の待機所は担当地域の真下にあり、地上に出るための穴は複数存在する。穴といっても入り口は特殊な防壁に覆われており、鍵がなければ通過出来ない。
リンク・メイト。それが鍵である。
リンク・メイトを所有する者なら通り抜けられるが、持たざる者は防壁を突破する事は叶わない。いかに強力な化物であっても、だ。
地上への入り口に向かうためには、メトロという箱型の乗り物を利用する。
それがどういう仕組みで動いているのかコーネリアは知らなかったが、専らリンク・エネルギーを使用しているのではないかという噂だった。
コーネリアはメトロに揺られながら、なぜこんな事になっているのかを考えた。
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部隊長の部屋に入ると、憂鬱そうな顔をした細身の男がいた。コーネリアは気を引き締めて敬礼し「本日より
そんな彼に男は「ぼかぁ隊長じゃないですよ。今から隊長ンとこに連れていきます」と告げた。
「あぁ、武器は携帯してますね?」とも聞かれた。
何だか妙な雰囲気に呑まれ、コーネリアは大人しく男の後についていった。
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そしてなぜかメトロに乗っている。
「あの、隊長さんはどちらに?」
耐えきれずに問うと、男は「隊長さん、って呼ぶと壊されるよ。君の武器……。エリちゃんって呼ばなきゃ……」とぼそぼそと答えた。
「はあ。それがルールなんですか?」
コーネリアの質問に男は答えなかった。ぼんやりと宙を眺めている。
狂ってるんじゃないか。
それがコーネリアの感想だった。
彼が隊長の部屋にいた以上、隊の重要なポジションを担っている事は間違いないが、人格に問題があるのではないだろうか。もしかすると23区内はこんな人間ばかりなのかもしれない。
「コーくん」
男の声がしてコーネリアは我に返った。
コーくん?
黙っていると、男はイライラと靴を床に打ち付けた。「返事をしない新人は、穴ぐらに帰って来れないよ?」
「あ、はい。その、突然言われたのでびっくりしただけです」
「ぼかぁ大丈夫だけど、エリちゃんの前でそんな態度しないでね。あぁ、そうそう、ぼかぁレインです」
男は不器用に笑って見せた。
「宜しくお願いします、レインさん」とコーネリアが言うや否や、レインは人差し指を立てた。笑みは消えている。
「レイくん」
「はい?」
「そう呼ばなきゃ駄目。ここのルール」
「はあ」
「分かったら呼んで見て」
「レイくん」
レインは満足そうに頷いた。「じゃあ、隊長は?」
「……エリちゃん」
レインは拍手して「よく出来ました」と呟いた。
コーネリアは以前の担当区域である
「ところで、レイ……くん。えぇと、エリちゃんはどこにいるんですか?」
レインは口元を不気味に歪めて、指を上に向けた。メトロの天井を指している訳ではない。
「地上ですか? すると、任務中でしょうか」
レインは首を振って否定した。「今は任務時間外だよ」
「なら、どうして地上に?」
コーネリアの疑問は虚しく消えた。到着を知らせる激しい揺れが車内を襲い、やがてそれも収まった。
静寂が周囲を覆った。
「それじゃ、エリちゃんに会いに行こうか」
そう言ってレインはメトロを出た。彼に先導され、地上までの道を歩む。
迷路のような路を通り、何度か階段を登った。
やがて階段の上にゼラチン質の覆いが見えた。地上と地下を隔てる防壁である。
それを抜けるときには必ず息を止めるのがコーネリアの癖だった。呼吸をしようが何をしようが害はない事は知っていたが、気持ちの問題である。
地上に出ると、微風がコーネリアの身体を撫でた。
うっすらと潮の香りがする。海が近いのかもしれない、と思うと途端に駆け出したいような気分になった。
「
「湾だけどね。コーくんは海を見た事がないのかい?」
コーネリアが首を横に振ると、レインは口元を歪めた。微笑の真似事、といった風情である。
「これから幾らでも見れるよ。……エリちゃんに嫌われなければ、だけど」
言って、レインは引き攣るような笑い声を上げた。
それから暫く歩くと、彼は突然足を止めた。
「ここで待っていてね」と残してレインは廃墟のひとつへと入っていった。
どうも調子が狂う。
彼の雰囲気に馴染むのは難しいだろうな、と思ってコーネリアはため息をついた。
数分後、屋上から「おいでえー」と聞こえた。間延びしたレインの声。
廃墟の内部に入ると、埃っぽい臭いが鼻についた。
多分、ここの屋上は
屋上に出ると二人の人影があった。逆光なので分からないが、ひとりはレインで、もうひとりはふわふわしたスカート姿だ。恐らく彼女が隊長なのだろう。
ただ、シルエットが歪である。
右腕が不自然に太く、長い。
もしや、とコーネリアは警戒した。もしや武器を手にして、気に入らなければいつでも振るうつもりなのではないか。
覚悟を決めて、二人へと寄った。
段々と隊長の姿がはっきりと見えてきた。
異様に長いストレートの黒髪。頭にはヘッドドレス。服は黒を基調として所々に白いレースやフリルをあしらった少女趣味的なドレス。その顔には作り物めいた微笑が張り付いている。顔立ちは大人びて見えたが、多分、自分より幾つか年下の女の子だ、とコーネリアは直感した。
彼女の傍まで行くと、思わず声が出そうになった。
隊長の右腕は奇怪な形の筒が埋め込まれており、周辺の皮膚が錆色をしていた。
筒からは凶悪な何かが飛び出そうで、見ていて落ち着かない。
確かパイルバンカーだったろうか、とコーネリアは思い出した。杭が装填されていないパイルバンカー。それが彼女の腕に埋まっていた。手までも侵食している。
コーネリアは足を止めて、敬礼した。「本日より
暫しの間を置いて、彼女はゆっくりと口を開いた。
「じゃあコーくんね。私はエグリア・ローゼス。
緩やかな口調。案外、おっとりした性格なのかもしれない、とコーネリアは安堵した。
「宜しくお願いします」
「ねえ、コーくんは私をなんて呼んでくれる?」
首を傾げるエグリアの目は無感情に見えた。漆黒の瞳。
思わずレインを見たが、彼は薄気味悪い笑みを浮かべているだけだった。
「じゃあ……エリちゃんで」
「は?」
威圧的な声音。エグリアの眉間に皺が寄り、小鼻がぴくぴくと震えた。
コーネリアは瞬時に「すみません! 調子に乗りました!」と頭を下げた。
「嘘ぴょん」と丸い口調でエグリアは返した。そして、酷く愉快そうな笑顔を浮かべる。
「エリちゃんでいいよー」
クスクスと笑いながらパイルバンカーを撫でる彼女に肝を冷やした。
コーネリアは額の汗を手の甲で拭った。
「嫌われたかと思いました」
「嫌うわけないよぉ。久しぶりの配属者だもん」
「良かったです。……ところで、どうして任務じゃないのに地上にいるんですか? 何か特別なルールでもあるんですかね……」
エグリアは口を歪める。それは嘲笑に似ていた。
「それはねぇ、戻れないからよ?」
「戻れない? 腕の武器はリンク・メイトじゃ――」
刹那、コーネリアの頬に熱い痛みが走った。
目の前のエグリアはいつの間にかパイルバンカーをコーネリアに向けていた。
頬に手を当てると、粘ついた感触がした。
思わず指先を見ると、コーネリアの目に真紅の血が映った。
「武器とか、リンク・メイトとか、私の愛する人をそんな呼び方しないでね。次、そんな口をきいたら後悔するだけじゃ済まないわよ」
エグリアは冷めた目付きをしていた。
コーネリアは背が凍るような感覚を覚えた。
狂っている。
味方に武器を向けるのも、あまつさえそれを振るい傷つけるのも、一度だって耳にしたことはない。
目の前の少女が躊躇なく攻撃した事実にコーネリアは戦慄した。
「お返事は?」
コーネリアは「はい」と消え入るような声を出した。
エグリアはニッコリと笑んでパイルバンカーを撫でる。
「さっきの質問に答えてあげる。この子はコーくんの言う通り、リンク・メイトよ。けれど、地下に戻るための鍵にはなってくれないの」
「……何故ですか?」
エグリアは小首を傾げて、じっとコーネリアを見つめた。吸い込まれそうな黒の瞳。
「コーくんは、リンク・オーバーって知ってるかしら?」
コーネリアは頷いて、それについて考えた。
リンク・オーバーは訓練校で教わった事がある。確か、リンク・エネルギーの一日分の生成量を超えて武器を使用する事を指していたはずだ。それは結果として武器の寿命を余分に削り、武器の喪失を招くと聞いている。
「私はリンク・オーバーを繰り返したの。少しずつ、少しずつ」
「……なら何故、喪失していないのですか?」
エグリアはクスクスと笑った。「リンク・オーバーの結果が喪失だけだと思ってるんだ?」
コーネリアは生唾を飲んだ。目の前の少女は自分の知らない事実を掴んでいる。
「喪失以外にどんな末路があるのか教えて下さい」
リンク・フォースとして生きていくためには、武器に纏わるあらゆる物事を事前に知っておかなければならない。そうコーネリアは考えた。それがどんな類のものであれ、知る必要がある、と。
「いいわ、特別に教えてあげる。私が知ってる事を全部……」
夕日を背にしたエグリアは妖しく微笑む。
「リンク・オーバーがどんな結末を辿るか、はっきりとした法則は見つかってないの。どんな事でも起こりうる、というのが今の見解よ。だから、喪失は無数にある結末のたったひとつでしかないの」
エグリアは一歩前進し、左手でコーネリアの手を取った。
「けどね、大体は喪失するか、人型になる」
コーネリアは耳を疑った。「人型になる?」
「そう……人型については知ってる?」
「ある程度は……」
23区内に主に出現する人型の化物については、訓練校でも
個体差が激しく、対応の困難な化物である。見つけたら逃げろ、とまで言われていた。
「人型は全部、リンク・オーバーした元隊員なのよ。で、私もそっち側」
コーネリアは思わずエグリアに握られた手を引っ込めようとしたが、ビクともしなかった。
その様を見てエグリアはクスクスと愉快そうに笑った。そして、コーネリアの手を武器と一体化した自身の右腕へと導く。
パイルバンカーは、ところどころ皮膚に覆われていた。妙に温かく、そして脈打っている。手のひらを通して、コーネリアはエグリアの武器が彼女自身になりかけている事を直感した。
人型は元隊員であるという彼女の発言は、コーネリアには受け入れ難いものだった。
それもそのはずで、認めてしまえば自分が化物になりうる事と、元々人間だったものを敵にしなければならない事も同時に認める事になる。
「……ご冗談でしょう?」
「残念ながら全部本当よ。私は隊員がそれになるのを目にしたし、現に自分自身もそうなりつつある。地下に戻れないという事は、この子はリンク・メイトではないと宣言されたようなものだから」
どくり、と彼女の武器が脈打つ。
「しかし……隊長は人型になっていません。自意識も感情もあるじゃないですか。それに、こうして話をする事だって……」
エグリアはコーネリアの手を解放し、パイルバンカーを引いた。そして左手で愛おしそうに武器を撫でた。
「癒着。コロニー第1エリアのカスはそう表現したわ。防壁越しに私の腕を確認して、ね。私は人間と化物の中間で静止しているって。……ねえ、哀れまないでよ。私はこの子とより強く結びついて、とっても幸せなんだから」
コーネリアは、彼女の鬱屈した瞳と満面の笑みに狂気の影を見た。
何も言葉を紡げない彼に、エグリアは重ねて言う。
「不思議な事に、こうなってからは多少リンク・オーバーしても全く影響がないの。大幅に力を消費してみたいけれど、残念な事に私の体力がもたないのよ。癒着したからでしょうね、この子を使う度に疲れちゃって。……いつか限界を超えたら、私もこの子と本当にひとつになれるかしら。うふふ、私、人型になりたくて堪らないの」
「狂ってる……」
「そうかしら? コーくんだって、ひとつになりたいんじゃないの?」
「絶対に……嫌です」
コーネリアが言うと、エグリアは心底不思議そうに首を傾げた。
西日で翳った彼女の歪なシルエットのなかで、目だけがくっきりと見えた。
「なら、どうして優遇住民として指名したの? 愛していたんでしょう?」
「優遇住民とこの話は別です」
沈黙が流れた。
レインは相変わらず口を閉ざし、エグリアは硬直している。コーネリアは言わずもがな、彼女を凝視していた。
不意に、エグリアが柔らかく身体を折った。
それから、ケラケラという笑い声が爆発した。
彼女は肩を震わせ、目を見開き、笑う。
「あは、知らないんだ、はは。知らないんだ、こいつ。あはは、知らないんだ!」
◆◆◆◆
ひとしきり笑うと、エグリアはコーネリアにリンク・メイトと優遇住民の事実を告げた。
大地が揺れたように感じ、コーネリアは立っていられなくなった。
気が付くとぺたりと床に座り込み、エグリアを見上げていた。
「気分はどう? コーくんは本当になんにも知らないルーキーだったんだね……悪い事を教えちゃったわね」
そう言って、エグリアは酷く愉快そうに微笑んだ。
「ごめんねぇ。コーくん、無知なまま死ねたら良かったのにねぇ」
コーネリアは呆然と彼女を見つめるばかりだった。
ぼんやりとした頭で、エグリアがひとつになる事を願った本当の意味を理解する。
リンク・メイトに宿った優遇住民の魂とひとつになる。愛する人の魂とひとつになる。そして彼女はある程度まで、それを叶えている。
コーネリアは拳を握った。
ごめんだ、そんなもの。
意思なく、ただ人間を蹂躙する化物。
その内に愛の充足があろうとも、駆逐すべき存在だ。
もし人間が地上に戻る日が来るのなら、それは人型を含めた化物の一切を消し去ったときである。
「エリちゃん」と彼は呼びかける。
その瞳には、ある種の輝きが宿っていた。小さくはあったが、決して消えない輝き。決意の発露。
「あなたが人型になったら、僕が殺す」
風が吹き、エグリアの髪や服を揺らした。
彼女は目を見開き、コーネリアの髪を荒く掴む。
「やってみなよ。今だってどちらかと言えば人型なんだから」
「まだ人間だ。人殺しはしない」
瞬間、コーネリアの目に火花が散った。
そして倒れ込む。エグリアに頬を蹴られたのだ。
彼女は倒れ込んだコーネリアを何度も何度も踏みつけた。
エグリアはぐったりしたコーネリアの髪を掴み、無理やり起き上がらせて言う。
「これでもまだ生意気な口を利ける?」
コーネリアの瞳は、依然として決意を宿していた。それは痛みによって消えるものではない。
「今のエリちゃんは殺さない。化物になったら、僕が殺す」
暫しの沈黙ののち、エグリアは掴んだ髪を手放した。
コーネリアはばたりとその場に倒れる。
彼は霞む視界の中に、西日を背負ったエグリアが遠ざかるのを見た。
「……いいわ。そのときが来たら、どちらの愛が大きいか勝負しましょう。それまでは、コーくんがモノになるまで私が鍛えてあげる。バーストの打ち方も、リンク・エネルギーの見極め方も、体術も、私が持ってるものは全部授けましょう」
薄れゆく意識の最後、少女の声が確かに聞こえた。
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