2人のやりとりの続きは図書館で

『今日はクラスの席替え。西園寺クンの隣に絶対になるんだ、そんな私の切実な思いをきっと神様が見ていてくれたのね。よろしくね櫻子さん、そう言って笑う西園寺クンが隣の席にいる。窓際の一番後ろ、先生にもばれないこの席で、私たちのラブストーリーが始まっていく、そんな予感がした……』


『よう櫻子奇遇だな――そんな予感も束の間、前の席から声がした。ハッと顔を上げると、あのキザで嫌な奴が前の席からニヤニヤと私を見下ろしていた。もう最悪よ、私に構うのはやめて――そう言いながらも私はどこか心臓が跳ね上がるのを感じていた。私には西園寺クンがいるのに、どうしてこいつにドキドキするのだろう……』


『ドキドキかと思ったケド、昨日豚カツを食べすぎて胸やけがしてたみたい。私ってばドジだなあ。そんなことよりも、2学期はじめの委員決め、私と西園寺クンはなんと2人で図書委員となったのだ!これって運命だよね。私と西園寺クンは赤い糸で結ばれているんだ……。放課後、誰もいない図書室、2人きり。恋が始まるには申し分ない……』


『ようお二人さん邪魔するぜ――二人きりのはずの図書館に現れたのは、やっぱりあの男だった。ずっと私の後をつけてストーカーじゃないの、と私があしらっても、本を探しに来ただけだとニヤリと笑ってヤツは言う。とびきり熱い恋愛小説をさ、と付け足してヤツは本棚へと向かった。またキザな台詞を言って馬鹿みたい、と振り払うが、西日に照らされ本を読む姿は様になっていて。不本意にも、ヤツがカッコよく見えてしまった――』


『ヤツがカッコよく見えてしまったのは、今日はコンタクトをし忘れたからだった。私ってばドジだなあ。そして放課後、委員会を終えた私たちは二人で下校する。ドキドキして、西園寺クンの話が入ってこない……。どうしよう、私、顔が赤くなってるのバレてないかな……』



 俺とノートの持ち主――便宜上、櫻子と呼ぶことにした――が交互に小説を書きあうようになってから、1ヶ月が経過した。


 再度置かれていた禁書を見て恐怖におののいた運命のあの日、俺は恐る恐る小説の続きを書き足した。そして明くる日、ノートはまたしても机の上に置かれていた。先日と同じ字で、続きが執筆された状態で。


 それから俺と櫻子の交換日記、もとい交換小説がスタートした。

 今は、この日課のために図書館に来ている状態となってしまっている。


 『櫻子と西園寺クンの中に割って入るオレ様系男子の話』を俺が書けば、『それをつっぱねて西園寺クンとの仲を進める話』を櫻子が書く。なにやら変な理由でオレ様男子をつっぱねた挙句、『私ってばドジだなあ』で済ませるのは、いささか無理があるぞと言いたいが。


 最初は噴飯モノな内容に驚きもしたが、もはや日課となってしまったこのやり取りをどこか楽しみにしている俺がいた。


「貸出延長、まだできるッスか……」

「……ええ。予約も入ってませんし」


 そして、お気に入りの小説は、未だに読めず終いである。

 楽しみな反面、気がかりなのはそのことがまず一点。


「……こいつ、どんな奴なんだろ」


 そしてもう一点は、近頃気づけば櫻子のことばかりを考えていること。


 こんな古臭い妄想全開の文章を綴っているのは、どんな人物なのか。

 俺とのやりとりを、どんな風に思っているのか。


 顔の見えない相手だからこそだろうか。その思いは日に日に増していった。

 『この気持ち、恋なのかな』などと俺はいつも文章の最後で締めくくっているのだが、今の俺の心情に他ならないな、と思う。


 改めてこの奇妙な交換小説を読み返してみて気づいたのだが、俺はいつの間にかこの『オレ様系男子』に自己投影してしまっている。最初こそ少女漫画にありがちな感じで書いてみただけなのだが、いつの間にか彼は不良で読書好きの設定になっているではないか。


 俺は文章を通じて、文章の中の櫻子に会いに行っているのかも知れない。

 顔も見えぬ、文の中にしかいない彼女に会う方法は、自分を文章に投影する、それしかないからだ。文章の中の『櫻子』と『オレ様系男子』のやりとりから、俺はこの感情の正体を探っているのだろう。


 現実の『櫻子』も、そう思っていてくれたら嬉しい。

 そんなことを思い始めた、ある日のことだった。



『あいつの言動に胸がしめつけられた気がしたのは、どうやらブラのサイズが合っていなかったからだみたい。私ってばドジだなあ。……そう思えたらどれだけよかっただろう。いつの間にか、あいつを目で追っている私がいた。いつの間にか、あいつのことばかり考えている私がいた』



 櫻子の文章で、初めてオレ様男子に対して好意的なものがあった。西園寺クンのことには一切触れず、彼のことだけが書いてあった。


 それも、今の俺が櫻子に対して抱いているような感情を、文章中の櫻子が抱いている。これは書き手の『櫻子』からのメッセージに違いない。現実の櫻子も、交換小説相手の俺のことを思ってくれているのだ。そう思わずにはいられなかった。


 実はここ最近、櫻子の正体がどうしても気になり、俺は図書館内で櫻子を探し回っていた。そしてその正体に、ある程度の目星をつけていた。


 櫻子は俺と同じく図書館の常連、もしくは職員だ。

 まず職員だが、女性職員は3人。よく入口の清掃をしている高口たかぐちさん、受付の西依にしよりさん、児童書コーナーで読み聞かせをしている片瀬かたせさん。高口さんはもう初老といった年齢、そして後者のふたりも20代から30代といったところ。まずこんな脳内お花畑な文章は書かないだろう。それに司書と言えば本のスペシャリストと言ってもいい人たちだ、まずない。


 そして常連だが、毎日いる人間となるとかなり数が絞られてくる。中高生で、それに少女漫画に夢見ている感じの女子。


 俺は、その条件にすべて合致する女子をこの間、とうとう発見したのだ。


「……」


 学習コーナーで、ひとり黙々と勉強に励んでいる女子高生。

 彼女はここ数ヶ月の間、毎日ここで勉強をしているようだ。今時の女子高生には珍しく、化粧をしている感じもなければ着飾っている感じもしない。言葉は悪いがはっきり言って地味目の女の子だ、恋愛に幻想を抱いていそうに見えないこともない。


 だからといってこの子が櫻子と決めつけるのは時期尚早、そう言いたくなるのはわかる。皆まで言うな。


 しかし、俺はこの間見てしまったのだ。

 彼女が鞄をひっくり返した際に、年代物の少女漫画が、彼女の鞄からこぼれ落ちたのを。


 これで俺は確信した。彼女こそ櫻子で間違いない、と。

 正体がわかるとなおさら気持ちは高まってしまうもので、気づけば彼女のことばかり目で追うことが増えていた。


 これはもう、確かめるしかあるまい。

 そう決意して、俺は小説の続きを書き始める。



『そんな私の気持ちを知ってか知らずか、放課後の図書室で、アイツは珍しく真面目な顔でこう言った。俺のことがもっと知りたいなら、俺のことを少しでも気にしているのなら。夕日が差し込む机で、俺を待っていてほしい。もし待っていてくれたなら、俺から声をかけるよ――私を真っすぐ見つめて、そう言った。それを聞いて私は――』



 小説の中の『オレ様系男子』に、『櫻子』を呼び出してもらった。


 これは賭けだ。

 いつもは東側の学習コーナーにいるあの子が、明日こちらのコーナーに、夕日の差す西側の机にいたならば。彼女がこのノートを読んで、俺の気持ちに応えてくれたということだ。


 期待と不安、相反した感情を持ち合わせたまま、翌日の夕方を迎えた。

 足早に図書館に訪れた俺の目に、ある姿が飛び込んできた。


「……」


 読書コーナー西側、夕日の差す座席に座る、あの女子高生の姿だった。

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