恋の続きは図書館で

稀山 美波

自作小説の続きは図書館で

 インク特有の匂い、足音をたてることすら憚られる静寂、活字にのみ向けられる人々の視線、押しつぶされそうになるほどの存在感を放つ本棚――


 そんな独特の雰囲気を醸す図書館が、俺は大好きだ。

 もちろん本を読むことが好きなのだが、読書が好きなのか図書館マニアなのか、最近ではよく分からなくなってきている。


「あら衣笠くん、今日も来たの」

「ウッス」

「ちゃんと高校行きなさいな」


 すっかり図書館の常連と化した俺――衣笠巧きぬがさたくみは、入口の清掃をしていた司書のおばさんの小言を聞き流し、聖地に足を踏み入れる。


 俺の読書好き並びに図書館好きは、もうそれは大したもので、休館日以外はここ数年皆勤賞だ。高校が終わるとすぐに図書館へ向かうし、たまには学校をサボってまで足を運ぶ。ちなみに今日は、サボりの方だ。


「よし……」


 新着書籍のコーナーからお目当ての小説を手にした俺は、本を脇に抱えて閲覧スペースへと向かう。

 図書館の一番奥、一人がけの机。ここが俺のお気に入りだ。夕方まで読書に勤しんだとしても、ブラインドの隙間から漏れた西日が照り付けることもないし、近くが専門書籍のコーナーということもあってかあまり人も来ない。


 そして最近では『耳に何個もピアスを空けた茶髪で目つきの悪い不良が座る場所』だと、ここだけは空いていたりする。何を隠そう、その不良の正体はこの俺だ。学校をサボる程度の不良ではあるが、この風貌のおかげで静かに活字と戯れることができるのだから、まあいいだろう。


「ん?」


 そんな俺のお気に入りスペースに、今日は変わった『珍客』があった。


「忘れ物か」


 A4の罫線ノート。

 誰かが置き忘れたであろうそれは、がら空きの机の上で、まるで俺が来るのを待っていたかのように見えた。


 ここ数年、この席は皆が避けていたというのに、誰かが座っていたのだろうか。単なる忘れ物なのだろうが、そういった細かい点がどうしても気になって、俺はノートをじっと眺めていた。


 図書館でノートを広げるパターンは、そう多くない。その大半は、テストや受験に向けて勉強をする学生だ。勉強をするために図書館を訪れる学生なら、俺の存在は必ず知っているだろう。


 そういった不可解な点が気がかりなことも相まって、思わず魔が差したのだろうか。俺はそのノートを開き、書かれていた内容に目を通してしまった。



『私は櫻子さくらこ。ちょっぴりドジなところもあるけど、いつでも元気な高校一年生。周りの友達は、気になる男子の話とか彼氏の話をよくしているけど、私はまったく興味がないの。だって私は信じているんだもの。いつか白馬に乗った王子様が、私のところに来てくれるって。そんな、ある日のコト、私は王子様に出会ったの――』



 そして、魔が差してしまったことに、ひどく後悔した。


 なんだ。なんだ、これは。

 自作小説、なのだろうか。いや、そもそもこれは『小説』と呼べる代物なのか。


 ちょっぴりドジ?白馬の王子様?これを書いてしまった痛いやつは、少女漫画の読みすぎじゃないだろうか。それも、四半世紀くらい前の少女漫画を。


 後頭部を思いきり鈍器で殴られたかのような衝撃を味わった俺は、眉間のあたりを強く摘まんで、なんとか正気に戻る。


 誰だ、こんな酷い文章を書いたのは。

 改めて字を眺めてみると、存外綺麗でまとまっている。中学生以上、それも女子の文字だと思われた。


 あまりのカルチャーショックに目を回し、一旦はノートを閉じたものの、怖いもの見たさだろうか、再度ノートを開いてしまう。なんだろう、決して見たくはない、けど見ずにはいられない。そんな相反した気持ちが、俺の中で渦巻いている。



『私のクラスに、転校生がやってきた。彼の名前は西園寺邦彦さいおんじくにひこクン。細くて、背が高くて、とっても優しい、笑顔が素敵なヒト。私は確信したの、彼が王子様だって。私を迎えに来た、白馬の王子様。そう、私は恋という魔法にかけられたシンデレラ……。違うのは、24時になっても魔法がとけないこと。そして、落としてしまったのはガラスの靴なんかじゃない。私が落ちたのは、彼との恋――』



「ぷっ……!くっ……!」



 駄目だ。笑わずにはいられない。


 西園寺なんていかにも少女漫画チックな苗字の癖に、何で名前は邦彦ってちょっと古風なんだよ。何が『恋という魔法にかけられたシンデレラ』だよ、何が『私が落としたのはガラスの靴じゃなくて彼との恋』だよ、いちいち洒落くせえよ。魔法がかかってるのは読者だよ――などと、ツッコミ所が多くて仕方がない。


 こんなアイタタタな逸品を見つけてしまい、普段なら共感性羞恥が発動してもおかしくないところだ。しかしこの劇物は、そんな感情すらも吹き飛ばしてしまう、まさにとんでもない代物だった。


 こんな面白くてたまらないモノを置いていったのは誰なのだろう。

 そしてこれを見られたと知った時、そいつはどんな反応をするのだろう。


 そんな楽しい邪な感情が、俺に魔を刺させた。

 あろうことか俺は、必死に笑いを堪えながらも、鞄からペンを取り出し――



『櫻子?なんだよ、可愛い名前してるじゃねえか』



 執筆途中の自作小説に、続きを書き足し始めていた。

 少女漫画と言えば、お決まりの『オレ様系』の登場だろう。櫻子とやら、西園寺王子とオレ様系男子に心を揺さぶられるといい。



『櫻子。俺の女になれよ。知ってるか櫻子、白雪姫ってのは、キスで目覚めるんだぜ。お前は俺とのキスで、一人の女として目覚めるのさ――いきなり現れた男はそう言うと私を壁に押し付け、顎を掴み、唇を奪おうとする。ダメ、身動きがとれない……。でも何故だろう、彼の透き通った瞳から、目を離せない私がいて――』



「ククッ……!ヒヒッ……!」


 自分で書いていて、思わず笑いを抑えることができない。

 腹を抱えて大声で笑いそうになるのを必死に堪え、小さく呻く。


 なんだよ案外ノリノリじゃないか。意外と少女漫画の才能があるかもしれない。

 口角を吊り上げ、肩を震わせ、時たま呻き声にも似た小さな笑いを零しながら、俺は夢中で筆を走らせた。


 なんなのアイツ、私は西園寺クンが好きなのよ、でもどうして?私ドキドキしてる――的なところまで書いたところで、俺はゆっくりとペンを置いた。

 

 しばらく経って冷静になったが、人様のノートに少しやりすぎてしまったかもしれない。だがまあ、置き忘れに気づいた持ち主はこれを見て、恥ずかしさのあまり悶絶してしばらくは図書館には来れないだろう。ならば俺と会うこともあるまい。


 とにかく今日は、もう小説を読む気にはなれなかった。

 俺は先ほど手に取った本を脇に抱え、席を後にする。これは新着書籍だ、誰かにすぐ借りられてしまうだろう、とりあえず借りておいてまた後日ゆっくりと図書館で読むとしよう。


 俺は貸出のコーナーへと歩を進め、司書のお姉さんの前に本を差し出す。何やらパソコンに向かっていた彼女は俺に気づき、そそくさと本のバーコードを読み取っていく。


「……珍しいですね」


 すると、うっすらと聞こえるような小さな声で、彼女は俺にそう尋ねた。


「はい?」

「……衣笠さんが、本借りるの」

「ああ、今日はちょっと色々あったんス。あ、そうだお姉さん。俺がいつもいる机に――」


 忘れ物があるんで回収してください、と言いかけたところで、俺は口を閉じる。

 司書のお姉さんにまでアレの存在を知らせるのはさすがに可哀そうだ、そう思って俺は、忘れ物――もとい、ヤバいブツ――の存在を伝えることをやめた。


「い、いや。ブフッ……!なんでも、なんでもないッス。くくっ……!」

「……はあ」


 司書のお姉さんが怪訝そうな顔で見つめてくる中、笑いを堪えきれない俺は、そそくさと本を受け取って図書館を出た。


 いやまったく、どこの誰だか知らないが、とんでもないものを残してくれたものだ。けど、楽しい思いができたのだから、良しとしよう。さて明日こそお目当ての本を読まなくては――



「……なんで今日も置いてあるんだよ」



 そう思っていたのだが、次の日俺を待っていたのは、あのノートだった。

 見間違うはずがない。昨日と同じものが、昨日と同じ席で、昨日と同じ位置に、鎮座している。


 結局持ち主は現れず、司書の人も気づかなかったのだな。

 少し落胆し、何気なくノートを開いてみる。先日俺がノリノリで執筆したページを捲ると、そこには信じられない光景が広がっていた。



『ダメよ櫻子!あんな調子のいい男に惑わされちゃ!私の王子様は西園寺クン、ただ一人。私は白雪姫じゃない。西園寺クンの笑顔という魔法にかけられた、シンデレラなんだから――』



 小説の続きが、書かれていた。


 間違いない。このノートの持ち主の字だ。

 そして昨日と同様に、その内容は途中で終わっている。


 これは、俺に続きを書けということなのか。

 驚愕と恐怖と、そしてほんの少しの興奮が俺の中で入り混じり、しばらくそこに立ち尽くしてしまう。


 魔法にかけられたのは、果たして櫻子か、それとも俺か。

 今となっては、もうわからない。

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