第47話 人形の心理的効果

 黒髪で色白の少女が僕の隣で腕を組んで「ふうん」と鼻を鳴らした。


「つまり、倉庫にライターが落ちていたという物的な証拠から見ても誰かがこっそり入っているのは間違いない。可能性として高いのは同じ時間帯に建物に出入りしていた川角という吹奏楽部員。けれど今一つ断定するだけの証拠がない、と」

「ああ。そういうことなんだよ」


 週が明けた日の放課後、僕は星原といつものように図書室の隣にある空き部屋で勉強会に参加していた。


 テーブルの上に問題集を広げてソファーに二人で座って問題を出し合っていたところだが、一段落したので先日のぬいぐるみの話題になってここまでの経緯を説明したわけである。


「犯人はどうやって部屋に入ったのか。それになぜぬいぐるみを持って行ったのか。どちらも今のところ見当もつかない」

「部屋に入った方法については私も今のところ思いつかないけれど、持って行ったということは犯人にとってはぬいぐるみが特別な意味を持つものだったとは考えられないかしら」

「うーん、でもあれは僕が見る限りは普通のぬいぐるみだったんだけどなあ」


 良い出来なのだろうとは思うが手作りである。特別に高価なものには思えない。


「でも、そもそもあのぬいぐるみ自体は誰が持ち込んだものなのかわからないわけでしょう。もしかしたら、今回持っていった犯人が元々自分で持ち込んで自分で回収したということは考えられない?」


 確かに高坂さんの話では「あのぬいぐるみは過去一年間くらい誰も入っていないはずの倉庫に突然現れたかのように置かれていて、しかも埃も付いてなくて妙に綺麗だった」という話だ。手芸部倉庫の鍵を使わずに出入りしている犯人が持ち込んだと考えた方が自然かもしれない。


「犯人が自分で持ち込んで自分で回収した、か。確かにその可能性はある。でもそうだとしたら、ぬいぐるみが無くなった件については『自分のものを持ち帰った』というだけでそんなに悪いことをしていたわけじゃないということになるな。ただ、何でよその部活の倉庫に入ってそんなことをしたのか、というのが謎だけど」

「あるいは、置くことで何かの心理的な効果を期待したのではないかしら」

「心理的な効果?」


 僕は理解できずに首をかしげる。


 彼女は髪をかきあげながらかすかに眉を寄せて思案するような表情を見せた。


「この間、ロボット犬を蹴り倒す動画を見て反発する人が現われたという話をしたわね」

「ああ。人間は無意識に生き物や人間と同じ形をしているものに同胞意識を抱くという話だったな」

「ええ。あの時あなたは『ロボットみたいな人の形をしたものが酷い扱いを受けているのを見て『何も感じなくなる』というのも恐い』というようなことを言ったけれど。……実際にその問題についてある大学の教授は『人が生き物のように見える物を虐待すると、その行動自体が精神に影響を与えて本物の生き物に対しても同じような扱いをする公算が大きくなる』と説明しているの」

「つまり人の形をした無生物に対して平気で攻撃できるようになることで、人を攻撃することに対するハードルが下がっていくということか」

「そういうこと。例えばある国の軍隊はゲリラが逃げ込んだ村を掃討する作戦をするときに、実際の村を再現したセットに人形を配置して攻撃する訓練を行っていたらしいわ」


 なるほど。人間は種族保存の本能から同族を攻撃することに抵抗があるようにできている。


 そこで人を殺害するという心理的に抵抗のある行為を「人形相手」に行わせることで兵士に「これは殺人ではなくただの作業だ」というイメージを心と体に植えつけるのだろう。そうすることで、実際に戦場で敵と戦闘する時に心理的な負担を少なくして作業的に生きた人間に引き金を引けるようにするのだ。


 人間はそれが物体であっても人や動物の形をしていると脳が錯覚を起こして感情移入し、人によっては高坂さんのように愛情すら寄せる。


 しかし逆もまた真なり。


 人の形をした物体にイメージを投影させたうえで攻撃できるようになれば、人は他人を攻撃するのに躊躇しなくなるのだ。


「だから、そのぬいぐるみを置くことで何かの心理的影響が起こっていたのかもしれないわ」

「ふうむ。それは何なんだろうな。例えば何かのシミュレーションかな。人前だと緊張して失敗する手品師が観客のつもりで人形を周りに並べて練習するなんて話を聞いたことがあるけど」

「どうなんでしょうね。ひょっとしたら例えば普通の人には可愛らしいようにしか見えないぬいぐるみも犯人にとっては真逆の意味があったのかも。だから置いておくのが嫌になった、とか」

「可愛らしいぬいぐるみが犯人にとっては怖いものだったとか? そんなことってあるものかな」

「同じものでも人によって見方が変わるなんてよくあることでしょう。……例えばよく藁人形って呪いに使われるイメージがあるけれど、実際は魔除けとか厄除けにも使われるのよね。秋田県では鹿島様っていう巨大な藁人形を『災厄を払いのける神様』として道端に飾っている。ヨーロッパでは『ウィッカーマン』や『ガイ・フォークス・ナイト』みたいな人形を燃やしてお祝いをする祭りもあるしね」

「なるほどな。同じものでも見方によって反対の二つの使い方をされていたってわけだ。つまり、犯人にとってはあのぬいぐるみは『嫌なことを思い出す』とかあまり肯定的な存在ではなかったということなのかな」


 待てよ。同じものなのに二つの見方? 


 その時、僕の脳裏にあの手芸部の倉庫の光景が思い浮かんだ。あの部屋には「間仕切り」があって区切ることができるのだ。そして「二つの入り口」がある。ひょっとしたらあの部屋は……。


 さらに犯人はあの部屋で喫煙をしていた可能性があるのだ。つまり他人に近づいてほしくなかったはずである。


 そう考えると、あの部屋に出入りしていた犯人がぬいぐるみを置くことで期待した効果というのもはっきりしてくるのではないか。


「そうか。……何となくだけどわかってきたよ。犯人があの部屋に入ることができた理由も、ぬいぐるみを置いた動機も」


 星原は僕の顔を見て、一瞬考え込んでから口を開く。


「もしかしたら、最初犯人としては高坂さんの存在はあまり意識していなかったのかもね。ぬいぐるみを置いておいたら彼女が勝手に興味を持ってきた。ただその事が犯人にとっては悪い影響を与えていた。だからぬいぐるみを持って行った」

「ああ、僕も同じ考えだ。犯人がやっていることはあまり正しいこととは言えないかもしれないけど、僕としてもあまり事を荒立てたくはない。何とか本人とうまく話をつけてこようと思う」

「……それができれば越したことはないかもね。それで、これからどうするの?」

「まずここ数年の学校の見取り図について記録したものがないか、調べないといけない。そのために新聞部に行こうと思う」


 立ち上がって部屋を後にしようとする僕に星原はからかうように声をかける。


「それにしてもぬいぐるみ一つに振り回されてあれこれ調べまわるなんて。あなたも何らかの心理的な効果でも受けているのかしら」


「どうかな? どうせ振り回されるのなら星原の方が楽しいけどね」


 彼女は「あら、そう?」と自分はそんなことしていないのにと言いたげに肩をすくめる。


 そんな挨拶のような風情で彼女と軽口を交わして、僕は廊下に足を踏み出した。





 本校舎の二階廊下の一角にあるパソコン室。


 新聞部はそこを部室として使っているのだが、僕は入るのにいささか勇気を必要としていた。


 新聞部は数週間前にもちょっとした事件で関わったことがあり、その部室であるパソコン室にも何度か出入りしたことがある。


 しかし正直に言うと、できればここを訪れることは避けたかったのだ。


 理由は二つ。


 一つはここの部員である清瀬くるみという同級生の女子に苦手意識があること。


 もう一つは、その前の一件で新聞部に関わった時に僕は結果として部員たちに良い印象を持たれなかったことである。


 しかし背に腹は代えられない。


 僕は意を決して新聞部の部室であるパソコン教室の扉を開けた。


「すみません。部活中にお邪魔します」


 中に入ると、以前と同じように六人ほどの部員たちがそれぞれパソコンに向かい合って作業をしていた。そのうちの一人が僕の方を振り返る。


「おやおやおや、誰かと思えば月ノ下くんだね。こちらには何の用もないのに訪ねてくれるとは嬉しい限りだ。もしかして私に好意でもあるのかな?」


 僕に目をやるなり、皮肉たっぷりに声をかけてきたのは清瀬だった。


「そうだな。君が僕に抱いているのと同じ程度にはあるのかもしれないな」

「それじゃあ、ほとんどゼロってことになるねえ。……それで冗談はこれくらいにして、一体どうしたのかな?」


 頼みづらい。本当に頼みづらい。けんもほろろに断られる気がしてならない。


 だが、他に当てがないのだ。僕は断腸の思いで頭を下げる。


「済まない。あまり僕を良く思っていないのは承知しているんだが、頼みがあるんだ。学校の見取り図がわかる資料はないかな」

「別に構わないよ」

「えっ、良いのか?」

「たしか電子化したものが保存してあったと思うが……秋津くん。見せてあげてくれ」


 その言葉に一年生の男子部員が「はいはい」と返事をしながらパソコン内のフォルダを調べ始めた。


 あまりにあっさり協力してくれるので何だか拍子抜けした気分だ。


 キツネにつままれたような僕の顔を見て、清瀬が肩をすくめる。


「まあ、何だ。確かに君とはいろいろと軋轢があった。でも君が先日、ホームページの荒らしを解決してくれたのは事実だ。それにあれから、私も自分の記事のスタンスを見つめ直すようになってね。一年生たちの意見も取り入れるようにした。そうしたら不思議と前よりも部内の雰囲気が良くなったんだ」

「……それは何より」


 ここで彼女は咳払いをする。


「別に君のおかげだなんて思っていない。でも、借りは返すに越したことはないからな。調べ物をしたらとっとと出て行ってくれ」

「言われなくともそうするよ」


 と、その時。


 秋津くんが僕をちょいちょいと指でつついて「これで、良いですか?」と学校の見取り図を表示した。


 そこには作業教室棟の見取り図も表示されていて、例の手芸部の倉庫がある場所も記載されていた。


「……なるほど、やっぱりか」

「役には立ちそうかい?」

「ああ。ありがとう」


 僕は清瀬と秋津くんに改めて頭を下げた。

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