第45話 高坂直子の友人の証言
春風が遠くの木の枝を微かに揺らす。
やわらかな陽光がグラウンドの片隅に立つ僕らを包み込んでいた。
僕らが今いるのは作業教室棟の前である。
先日、若葉くんに高坂さんの友人を連れてきてもらうようにお願いしたところ、どういうわけか待ち合わせ場所に作業教室棟の前を指定されたのだった。
「しっかし若葉の奴、遅いな。昼休みが終わっちまうよ」
「……僕らの方が無理に頼み込んでいるわけだし、多少待たされるくらいは我慢しようよ」
明彦のぼやきをとりなすように僕が言葉を返した、ちょうどその時。
「お待たせしました」と手芸部の一年生男子、若葉くんが姿を現した。
そして彼の後ろについてきていた一人の少女。
ウエーブのかかった髪を背中まで垂らしていて、眠そうな目をしたどこか陰のある雰囲気の女の子だった。
「どうも……。
「ああ。二年の雲仙だ。よろしく」
「同じく二年の月ノ下です。急にごめん。……あの、高坂さんが大事にしていたぬいぐるみが無くなった件で話を聞きたかったんだ」
「そう、高坂さんの。……あたし、ドールとか集める趣味があるんだけど。あの子にはあたしがデザインした洋服を縫ってもらったりしてるし、仲は良いと自分でも思ってるんです。ただ、今回のぬいぐるみが動いたとかいう話はちょっとついていけなくて」
彼女はぼそぼそと口の中にこもるような声で語り始める。
僕は話を引き出しやすいように、同調するように頷きながら言葉を返す。
「そうだね。僕もそこのところは流石に信じていないんだ。ぬいぐるみが動く話も無くなったのにも何かしら理由があるんじゃないかとにらんでいるんだけど、何か心当たりは……」
坂戸さんはおもむろに作業教室棟を見上げていた。気になることがあるとでもいうかのように無言で建物を見上げている。
「えっと、坂戸さん?」
「あの、とりあえず例の手芸部の倉庫の所に行っていいですか。確かめたいことがあって」
それ自体は別に構わないと思うがすぐには入れないのではないかと若葉くんに目をやると、彼は「鍵は僕が持っていますから」とタグが付いた小さな金属をポケットから取り出して見せた。
「準備良いじゃん」と明彦が上機嫌で頷いた。
「助かるよ。さっそく行ってみようか」
僕の言葉で号令がかかったわけでもあるまいが、そのまま僕ら四人は作業教室棟の中に足を踏み入れた。
昼なお薄暗くて、人気の少ない作業教室棟の廊下。
そこに並ぶ扉の一つに若葉くんが鍵を差し込んで半回転させた。カチリと音がして開錠される。
「開きました」
「よっし。それじゃあ入ろうぜ」
「ああ」
ふと、入る前に僕が坂戸さんを振り返ると、彼女は何が気になるのか廊下に並んだ扉をゆっくりと見まわしていた。
「坂戸さん?」
「いえ、別に」と一瞬遅れて坂戸さんは反応すると、手芸部の倉庫に入ってきた。
中の様子は前と変わったことはなにもない。サイドテーブルの上には造花が入れられた花瓶。端っこに積み上げられた段ボールの山。壁の端に間仕切りがあり、少し奥側にもう一つの入り口がある。
もしかしたらぬいぐるみが戻ってはいないかと心のどこかで期待していたのだが、流石にそれはなかった。
「やっぱり……」と坂戸さんが呟く。
「さっきからどうかしたのか?」と明彦が不思議そうに彼女を見る。
「あの、あたし高坂にここに連れてこられた時に。あんまりにもぬいぐるみに傾倒しているから最初はちょっと引いてたんですよね。まあ、自分にもドール集める趣味あるから少しは気持ちわかるけど。……でも、そんなに効果があるっていうならあたしもやってやるかと。上手くいけばいう事ないし、駄目だったらあの子がぬいぐるみにはまりすぎてることをいさめる口実にできるだけだし」
坂戸さんはさっきまでと打って変わって饒舌になる。
「それで?」と僕は話の先を促した。
「結果から言えば効果はなかったんですよ。少なくとも今のところは。……でも私、見ちゃったんです」
「何を?」
「あたし陸上部なんですけど。たまたま練習で遅くなった時にグラウンドから、作業教室棟の二階にある一室の電灯が点けられていたのが見えたんです。微かに誰かの人影も見えたような気がします。左から二番目の窓でした」
彼女がさっきから作業教室棟の窓を観察したり、廊下で教室の位置を気にしているようなそぶりを見せていたのはそれが原因だったらしい。
「『あの場所はもしかして高坂に連れてこられた手芸部倉庫の教室なんじゃないか』と思って、でも後で職員室の鍵の貸出記録を見てみたらその時間に出入りしている人間は居なかったんです。……それなら。わ、私が部屋の場所を間違えて覚えていたんじゃないかと思ったんですけど」
「今、確かめたら間違いなくこの部屋で、ここの電灯が点いていて誰かがいたはずだと」
「はい。でもそんなことあり得ないはずなのに。ちょっと怪奇現象じみていて、怖くなってきて」
待てよ、そういうことならば。
「坂戸さん。それは何曜日で何時くらいの出来事だったのかな?」
「え。確か、火曜日で十八時過ぎくらいですかね」
「なるほど」
そういえばぬいぐるみが無くなったのも火曜日だったと僕は思い至る。
「若葉くん。手芸部の活動時間はいつなんだ?」
「あ、はい。火、木、金で放課後の十七時半くらいか遅くとも十八時までですね」
十七時半。部活の活動時間としては早めな方だろう。
うちの学校では部活の活動時間は十八時半までと決まっている。
つまり犯人は手芸部に所属する高坂さんとは三十分以上ずれた時間帯にここに出入りしていたのだろうから「火曜日に活動している部活に所属していて十八時過ぎまでいた人間」を探せばある程度まで限定できるのではないだろうか。
よし、方針が見えてきた。
「ありがとう。……若葉くんも協力してくれて助かった」
「いえ、どういたしまして」
僕は一年生二人に軽く頭を下げ、ふとさっきから黙っている明彦の方を見やる。すると彼は何故か呆然と部屋の片隅で立ち尽くしていた。
「明彦?」
「……え、ああ。いや悪い」
「明彦は何か聞くことあるかな?」
「いや、別に」
「そうか」
それから僕らは手芸部の倉庫を後にして、作業教室棟を出た。
「それじゃあ、先輩。僕らは戻りますので」と若葉くんが挨拶をして坂戸さんも一緒に去っていく。
「ああ、ありがとう」
彼らの背中が本校舎の入り口に消えたところで「……それじゃ、明彦。僕らも教室に戻ろうか」と僕は隣の友人に声をかけつつ足を踏み出した。
しかし。
「真守。……待ってくれ」
彼は唐突に僕を引きとめてきたのだ。
「明彦?」
「あの、よ。俺、さっきの倉庫でこんなものを見つけちまったんだ」
そう言いながら彼はポケットから何かを取り出した。それは手のひらに収まる程度のプラスティック製の細長い透明な四角い箱のような形。中には液体が入っていて、端っこには着火用の金属部品が付いている。これは……。
「ライター?」
無言で彼は頷きかえした。さっき様子がおかしかったのはこれを見つけたせいだったのか。
こういう物を持ち歩く主たる目的はいわゆる喫煙、ということになるのだろう。
僕らの所属する天道館高校は進学校であり、校則でも当然喫煙は禁止されているのだ。以前生活指導の飯田橋先生に見つかった生徒が停学になったという話も聞いたことがある。
「ええ? でも、あの高坂さんがこんなものを持ち歩くとは考えられないな」
「ああ、確かにあそこに一番出入りしているのは彼女だろうが、俺からしても彼女がこんなものを持っていたとは思えない」
「そうするとやっぱりこれは犯人が落としていったものなのか」
すると、犯人はあの場所でこっそりと喫煙をしていたのだろうか。
僕は正直、あの倉庫に自由に出入りできる立場の人間として「鍵を管理している教師という可能性もあるのではないか」と考えてはいた。
しかし教師であれば人に隠れて喫煙などする必要はない。普通に校内の喫煙所に行けばいいだけだ。つまり犯人はやはり僕らと同じ生徒ということになる。
「でも、これがぬいぐるみが無くなった事とどう関係しているのかが判らなくてな」
「確かにそうだね。でも手掛かりにはなりそうだ」
だが、未だにあの倉庫に入った方法がわからない。それがわかれば自然と犯人も限定できそうな気がするのだが。
まずは、先ほど坂戸さんから聞いた情報を元に「火曜の十八時過ぎに学校にいるような部活」を調べるのが先決かもしれない。
僕は放課後に明彦と職員室に行くことにしてとりあえず教室に戻ったのだった。
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