第39話 初代部長の正体
これは後で聞いた話だが、化学部には代々酒を造るレシピが伝わっていたらしい。
彼らは雑草研究部のお供え物をこっそりと流用して酒を造り、それを神社の中に保管していたのだそうだ。
ちなみに作っていたのは果汁を発酵させる、素人でも作れる類のものがほとんどのようだが、お菓子作り用のリキュールなども流用して果実を漬け込んで作るタイプのものも手を出していた。つまり、おそらくは普通に法律上で酒に当たるものを飲んでいたことになる。
まあ、その件については褒められた行為ではないが被害者がいるわけではないし、彼らは作っていた酒を没収されて亀戸先生からもう二度としないように注意を受けたのだからこれ以上彼らを責めるのもどうかとは僕も思う。
「私たちのお供えがそんな風に使われていたなんて……なんだか、騙されていたような変な気分です」
「ええ。私も同じような気分」
鶴川さんと生田さんが力が抜けたような顔でそれぞれ呟いた。
あれから亀戸先生は化学部員たちに後片付けをさせて家に帰した。その後僕らはプレハブ小屋に椅子と机を戻して、一息ついたところだった。
「いやあ。今回はお前らに手間をかけさせて悪かったな。まさか顧問している部であんなことやっているとは思いもしなくてな」
亀戸先生は化学部員たちから没収した瓶を紙袋に詰めながら苦笑した。
「全くですよ。雑草研究部と化学部の創始者としてはどう考えているんです? 亀戸先生。それとも栗平志郎と呼びましょうか?」
その場に一瞬、沈黙が下りた。
「どういうことなの?」と星原が僕を見る。
「だから、亀戸先生がこのプレハブ小屋の使用を申請した当時の初代雑草研究部長にして化学部長の栗平志郎だってことだよ」
「……何故わかった?」
否定するかと思いきや、先生はあっさりと認めてみせる。
「一つには、先生の癖のある字の書き方ですよ。栗という字が西木にみえるくらい間延びした書き方。黒板の字を見た時にもしかして、と思っていたんです」
クラスメイトの一人が黒板の字が間延びしていて読みにくいと授業後に質問していたくらいである。その事を思い出して「ひょっとして」と考えていたのだ。
「他には?」
「二つ目は、先生が雑草研究部の創始やプレハブ小屋を使い始めた時期について詳しすぎたことです。うちの学校のOBだとは柿生部長に聞いていましたが、そうだとしても関係ない部活のことにそこまで詳しいとなると当事者でなければ説明がつかないな、と」
「だが、俺がOBだからと言ってうちの学校の創立時期の卒業生かどうかはわからんだろ」
「いえ、それがですね。この間、虹村が新聞部で『学校の歩み』という創立当時の写真や記録を記事にする特集のコピーをもらってきたんです。それで、この写真を見つけまして」
僕はポケットから一枚の紙きれを取り出す。
それは虹村が新聞部で複写してきた創立当時の学校の写真だった。
虹村が持ってきた写真の中の実習棟裏の山林を映した一枚。その隅の化学部室から一人の男子生徒が顔を出している。
どこか見覚えのある少したれ目の柔和な雰囲気の男子生徒。
「これ、亀戸先生ですよね?」
「あ、本当だ」
「そう言えば面影があるかも」
虹村たちも僕に近づいて写真を覗き込んだ。
「え。でも苗字が違うじゃないですか」と生田さんが困惑した顔で首をかしげる。
「それがこの間、小耳に挟んだんだが亀戸先生は『婿養子』なんだそうだ」
「それで、栗平から亀戸に苗字が変わったってことですか」と鶴川さんが納得して相槌を打つ。
そこで先生は「なっはっは」と笑って見せる。
「ああ。確かにその通りだ。化学部、それに雑草研究部を創部したのは俺だ。……いや実際、教師として戻ってきたときにまだ雑草研究部が残っていると知った時には驚いたもんだ。すでにつぶれていると思っていたしなあ」
その発言に鶴川さんが顔を引きつらせる。
「ちなみに、何でそんなことをしたんです?」
僕の質問に亀戸先生は頭をポリポリと掻きながら昔話を語り始める。
「いや、なに。こういっては何だがな、当時のうちの学校はクラブやディスコとかの盛り場に繰り出したり、喫煙をしたりだとかそういう背伸びをして大人のふりをするのがクラスの中心グループで流行っていた」
「はあ」
「だが、俺はそういう場所に一緒に行く仲間もいなくてなあ。悔しいからせめて酒の味だけでも覚えたい、と思ったんだが流石に未成年には売ってくれない。当時は自販機でも買うことができたんだけどな。家で飲んだら親にばれる。しかし学校に持ってくると持ち物検査で見つかっちまう。……そこで、考えたのが学校で造っちまえばいいんじゃないかということだ」
「えっ」
やはり、この人の発想だったのか。
「そういうわけで最初に化学部を作ったんだ。実験用のアルコールもあるし、上手くやれば酒を造れるんじゃないかと。しかし、さすがに学校の薬品は当時の化学教師がきっちり管理していて持ち出せない。そこで次に考えたのが酒の材料になるものを栽培することだった」
生田さんが首をかしげる。
「だけれど、酒の材料と言えば、米とか麦、あとは果物でしょう? まあサツマイモくらいならできるかもしれませんが。大体が学校の花壇で栽培できるようなものじゃあないのでは?」
「そうなんだ。せいぜい使えそうなのは元々校内に自生していた梅の実くらいでなあ。そこで次に考えたのが、じゃあ学校周辺の山林を探せばいいんじゃないかってことだ」
話を聞いていた虹村が呆れたように額に手を当てながら呟く。
「それで、雑草研究部を作ったんですか」
「そういうことだ。幸い当時は山ブドウや柿にヨモギ、サルナシなんかがあってな。しかし、そういうのが自生しているところに行くのに邪魔なものがあった」
「邪魔なもの?」
「雑草だ」
「え?」
「スギナやセイタカアワダチソウとかの草がぼうぼう生えていてな。『これじゃあ山に入るのも一苦労だ』ってんで、冬場に火をつけたらこれが思いのほか燃えまくってな。おかげで綺麗に除草できたんだ」
雑草研究部の行動とは思えない。
ふと気になって鶴川さんを見ると、目が完全に死んでいた。
「よく山火事にならなかったですね」と星原も若干引いた表情で口を開く。
「うん。だが、たまたま雑草研究部を創部したときに一緒に部員になった同級生に炎が上がったところを見られてな。『何があったんだ』って聞かれたんで『大宇宙に光あり』って叫んだら邪魔な雑草がみるみる消えていった』って言ったらなんかツボに入ったらしくて大ウケしたんで、そのまま勢いで誤魔化せた」
それが、あの伝説の正体か。
「まあ、当時流行っていたTV番組の決め台詞でそういうのがあったんで引用したんだけどな。……だが、その後焼き畑農業みたいな効果があったのか、植生も豊かになったし結果オーライだった」
ここで生田さんが「お聞きしたいのですが」と手を挙げる。
「雑草研究部には梅の枝を振り回して、周囲の学校の不良を追い払ったという話が伝わっているのですが、あれは?」
「おう。それか」
ここで亀戸先生は昔を懐かしむような遠い目になる。
「酒の材料になる梅の実を拝借しようと思って木に登っていたら、当時近くにあった高校の不良がうちの学校の生徒を追い回してきてな。別に助けるつもりじゃなかったんだが、俺が足場にしていた梅の枝が折れちまって、木から落ちてしまった。そしたらその下にたまたまその不良がいて俺の下敷きになって昏倒したってわけだ」
「はあ、なるほど。全くの出鱈目じゃなかったんですねえ」
生田さんは鶴川さんとは対照的に納得したように頷いた。彼女は元々、雑草研究部創始者の伝承を本気で信じてはいなかったせいもあってか、むしろ多少なりとも事実が含まれていたことに感心している様子である。
「ああ。だが、夕暮れ時にいきなり上から木の枝を抱えた人間が落ちてきたことにびっくりしたんだろうな。一緒にいた仲間の不良も逃げ出してな。それが伝わっているんだろうな。……そんなこんなで酒を造ることには成功したが、もう一つ問題があった」
「何です?」と僕が尋ねる。
「隠し場所だ。『どうせ、化学部だの雑草研究部だのマイナーな部活にそんなに部員は来ないだろう』『来ても幽霊部員だろう』と思っていたのだが、意外にもそれなりに集まってしかもみんな真面目に活動し始めやがったんだ」
それは普通、部長として喜ばしいことのはずでは。
「これじゃあ、隠れて酒を飲めない。雑草研究部で収穫したものを保管する場所も必要だし、造った酒を隠す場所も必要だ。そこで思いついたのが元々人目の薄い場所に神社があったということにしてお供えという名目で、収穫物を置いておくことだった」
「それで神社を作ったんですね?」
虹村は渋面で何か物凄く言いたそうな顔をしていたが、こらえるように尋ねた。
「ああ。幸い学校創立直後で余った木材が廃棄されるために集積されていたんでな。そこから拝借して小さい社と鳥居を作って、その中に酒を隠したわけだ」
ここで星原が思い出したように小さく手を叩く。
「そういえば、あの神社に書いてあった神様の名前『
「……そうだったのか」
「おう、そうそう。本で調べて、どうせ祭るのなら酒の神様が良いと思って『すくなびこなのかみ』と鳥居に刻んだんだ。……ただ、その後同じ化学部員には流石にバレちまってな。でもまあ、そいつらも『こういうのも面白い』ってんで、酒造りに協力してくれたわけだ」
ここで先生はふと、自分の行いを省みるような苦い表情になる。
「俺だって自分が始めた酒造りがまさか、伝統としてこうして受け継がれているとは思わなかった。だって二十年近くも前だぞ? 屋根の上に登って隠れる場所まで引き継がれているなんて、な。心のどこかで自分の青春時代の爪痕がこうして残っているのを嬉しく思っているところもあった。……でも、飲酒は飲酒。違法行為だ」
「……先生」
「俺の行いが今に至るまで続いているのなら、俺が責任を持って終わらせるべきなんだ。自分のまいた種は自分で刈り取る。だから、化学部に引き継がれた『伝統』も今日で終わり。それで良かったんだ」
そう言って亀戸先生は寂しそうに笑った。……が。
「いやいやいや。何をいい話風にまとめようとしているんですか?」
「そもそも、先生が諸悪の根源だったんじゃないですか!」
「……大事にならなかったからいいようなものの、放火未遂と飲酒って相当な問題行為だと思いますけど」
「こんな人が作ったものを大事な伝統だと思っていた自分が情けなくて死にたいです」
「部室争いの火種も自分が作って、自分で解決したってことになるわけですが」
その場にいた先生以外の全員が非難と怒号の声を上げる。
しかし、亀戸先生は悪びれる様子もなく誤魔化すように満面の笑みを浮かべる。
「なっはっは。まあ、でも結果的には丸く収まったんだし、生田も鶴川も俺が作った部活で青春を謳歌しているんだろ? ならそれでいいじゃないか」
「結果的に? それでいい?」
その反省のない様子に青筋を立てんばかりに激怒したのは虹村である。
すぐ横にいるだけの僕にさえ、ピリピリと破裂しそうな怒気が伝わってきた。
その迫力たるや、思わず矛先に立っているわけでもないのに逃げ出したくなったほどである。
彼女は無言でツカツカと亀戸先生に近づくと持っていた紙袋をひったくった。
「あ、お前。何を……」
「こんなもの!」
虹村は出入口の扉を開けると、袋の中の酒が入った瓶を片っ端から外に放り投げた。
ガチャンガチャンと道路のアスファルトに叩きつけられて、瓶が割れる音が夜の闇に響き渡る。
「あーっ! 家で一杯やろうと思っていたのに」
亀戸先生の悲痛な叫びが上がった。
やはり、没収したのは「ただ酒」が目的だったか。
だが、虹村は眉を吊り上げてギロリと亀戸先生を睨みつける。
「あ? 最終的に処分するんだから、今ここで処分しても問題ないはずですよね?」
「あ、はい。その通りです」
十代の女子に迫力で負けて、小さくなる男性教師の姿がそこにはあった。
「まあ、虹村さんの気持ちはわかるけどね。……とりあえず割れたガラス瓶はそのままにしておけないから、後で私たちで片づけましょう」
星原が僕の隣ですました顔でそう提案した。
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