創られた伝統と部室争い
第31話 雑草研究部の悩み
星原は気難しい表情を浮かべながら自分の手の中の饅頭を見下ろしていた。
「例えば、よ?」
部屋の中には古びたタイルカーペットにソファーとテーブル。
その二人掛けのソファーに僕と隣り合わせで座りながら、彼女は言葉を続ける。
「地方にはその土地独特の名産品や祭りなどのイベントがあるわ」
「うん」と僕は彼女の言葉に頷き返した。
今日の彼女からはいつになくピリピリとした雰囲気を感じる。
「ところがそういった文化には自然発生的に醸成され、長い伝統を積み重ねて現在に至るものと、そうではないものがあるの」
「そうではないもの?」
「つまり『観光客を集めるために意図的に作られた町興し』のための名産品やお祭りよ。元々そこにはなかったものなのに経済的な効果を見込んで、他所にあった建築物を移設したり、名物料理を作って地域に広めたりするわけ」
「まあ。僕も地方の町がアニメで舞台に使われた結果、ファンの聖地として扱われてそれがそのまま観光地のイベントに発展する例は聞いたことがあるな」
ここで彼女はキッと僕に鋭い目を向ける。
「そういうのが本物の文化だと言えると思う?」
「きっかけは何であれ、誰かを楽しませて文化的な役割を果たしているんならいいんじゃないか?」
僕が取りなすように答えると、彼女は「はあ」と自分を納得させるかのようにため息をついた。
「オーケー。良いでしょう。インドのヨガも、源流は仏教的な瞑想だったけれど、現代行われているのは『西洋式の体操』を取り込んで作られたものだわ。バリ島の伝統絵画やケチャも宗教的な儀式をある西洋人画家が商業化するためにパフォーマンスとして再構成したものみたいね。でも、これはどうなの?」
ここで星原は改めて手に持った饅頭を指さして見せる。饅頭の表面にはその地方のマスコットキャラと思しき動物の絵が焼き印で押されていた。
「そもそも生産地が地元じゃなくて、隣の県って! これはもう地元のお土産でも何でもないじゃないの」
僕らがいるのは図書室の隣の空き部屋である。僕と彼女は定期的にこの部屋で一緒に勉強会をしているのだが、参考書をめくっている途中で彼女は「ちょっとした愚痴を聞いてほしいのだけれど」と不機嫌そうに話を切り出したのだった。
なんでも先日、星原のお父さんは出張で西日本のある地域に出向いていた。そこで甘いもの好きの彼女のためにお土産を買ってきたのだが、お土産の饅頭の生産地がその県のものではなかったために不満を漏らしているという訳だ。
まあ、確かに地元の限定品のつもりで買ったものに「メイドインチャイナ」と書かれていたらがっかりするかもしれないが。
「せめて、地元の特産品を使って作られたものであってほしかったわ」
「そういうなよ。日本全国すべての地方にお土産にするのに向いている特徴的な生産品があるわけじゃあないと思うぞ」
「だからといってそもそも地元の名物でもないものを土産物にしないでほしいわ。集客や観光事業のために作られた文化って『周りに受けることを狙って作られた』ということでしょう。そんな周りの反応におもねって作られたものに何の価値を見出せというのよ」
彼女は眉を吊り上げつつ饅頭を僕の前に掲げてみせる。
「大衆受けを狙って書かれた娯楽小説と、文学的な情緒と表現を重視した私小説。どちらも小説には違いないだろ」
諭すように僕が言うと彼女は「それは。……そうかもしれないけれどね」と不服そうにしながらも、とりあえず怒りを収めた。
「ま、せっかく買ってきてもらったお土産だしね。月ノ下くん。食べる?」
星原は饅頭の包み紙を開くと僕の鼻先にそのまま突き出した。
「え」
「はい。あーん」
何だか照れるな。
「あ、ああ」
僕が口を開けると彼女は饅頭を僕に咥えさせる。と、その時。
「……校則で不必要なお菓子の持ち込みは一応禁止されているのよ」
横からそんな声が割り込んでくる。
驚きながら振り返るとポニーテールに眼鏡をかけ、凛とした雰囲気の女子生徒が立っていた。僕らと同じ二年B組のクラス委員、
「まあ、バレンタインにチョコとか持ってくる例もあるし。あまり目くじら立てるつもりはないけど。……お邪魔だったかな?」
そう言って彼女は肩をすくめて見せる。
僕はとりあえず口に咥えていた饅頭を無理やり咀嚼して飲み込んでから、気恥ずかしさを誤魔化すように首を振る。
「いや。そんなことはないけど」
「虹村さんがここに来るなんて珍しいわね? どうしたの?」
隣のソファーで星原が首をかしげた。
「実はね。ちょっと相談に乗ってほしいことがあって。……入ってきて」
虹村はそう言って背後の誰かに呼びかけた。
廊下から一人の少女が姿を現す。
長い髪を背中で結んで、前髪はセンターで分けている落ち着いた雰囲気の少女だった。リボンタイの色からして一年生のようだ。
「初めまして。私、一年C組の
彼女は少し緊張した面持ちで礼儀正しく頭を下げて見せる。
虹村は生田さんを右手で指し示しながらコホンと咳ばらいをして、説明を始める。
「生田さんの部活では変わった伝統があるんだけどね。それに関連してトラブルに巻き込まれているとかで相談があったの」
「変わった伝統?」
「そうなのです」と彼女はこっくりと頷き返した。
「私の部は雑草研究部なのですが」
ざっ……。え、何?
僕が反応できずにいるのを見て、彼女は繰り返した。
「雑草研究部です」
「つまり、雑草を研究する部活ということ?」
「はい」
初めて聞く部活だ。
「部活動の一環として、学校の周辺にある山野に立ち入って草や木の実を採集しているのですが、その時に部内での研究用とは別にいくらかの山菜などを『校舎裏の神社にお供え』するのが習わしになっているんです」
「……へえ、校舎裏に神社なんてあったのか」
「ええ。私も今回初めて知ったの」と虹村が眼鏡を指で押し上げながら応えた。
生田さんは僕らのやり取りをさして意に介さず、すました表情で説明を続ける。
「まあ。山に立ち入っていろいろ持っていくわけですから、山の神様にお許しをいただくということなのかもしれないですけどね。ただ、それについてその、いろいろ不自然なことがありまして」
「不自然なこと?」
「はい。……元々妙にしきたりが多いんです。お供えを持っていくときには制服かなるべく白い清らかな印象の服にすることとか。持っていくのはその月の最後の金曜日にすることだとか」
「まあ、神様にお供えをするからそれなりにきちんとした服装でってことなのかな。月の最後の金曜日というのは、忘れないように習慣化するためとかさ」
「私もそんなようなものかな、と思って最初は気にしていなかったんですが」
生田さんはここで感情が抜け落ちたような、名状しがたいほの暗い目つきで僕を見つめる。
「お供え物は数日間神社の前に置かれて、その後で学校の用務員さんが回収処分するという話でした。しかし、二ヶ月ほど前に校外清掃の用務員さんが風邪で休まれたことがあったんです。……とはいえ、季節柄少し放置されても腐ったり虫もわくこともないだろうと思ってそのままにしていたのですが、ふと見に行くとお供え物がなくなっていたんです」
「それで?」
「きっと他の用務員の方に引き継いでくれたんだな、と思って風邪が治って復帰された時に『わざわざお手数おかけしました』と声をかけたんです。そしたら『何の話だ』と聞かれまして。私が事情を説明したら『あの神社は学校が管理しているものではない』と答えたんです」
彼女はいったん言葉を切って黙り込む。
部屋の中に一瞬、沈黙が下りた。
生田さんはそんな僕らを静かに睥睨してから、口を開く。
「冗談かと思って私は再度確認しました。『でも、今までお供え物を処分してくれましたよね』と。しかし『誰もそんなことはしていない』という返事でした」
じゃあ、今まで誰がお供え物を持って行ったのか。
そんな疑問が話を聞いていた僕らの胸中に湧き上がる。
「……ちなみに野生動物のたぐいが持っていけるような量ではないですし、今までそういうものを見かけた例はありませんでした」
「おおかた先生の誰かが片付けているか何かしているんじゃないかな」
というか、そうであってほしい。いやそうに決まっている。
だから個人的にはこれ以上この話について追及したくない。
「まあ、あるいはそうかもしれませんけどね。私たちもお供えをするのをやめると祟りがあるという話が伝わっていたので続けていたのですが、こうなると気味が悪いと思う部員もいまして。それで部室を移転しようかと考えたんですよ」
「……ちなみに今の部室はどこなの」と黙って聞いていた星原が口を挟む。
「実習棟の裏にある小さなプレハブ小屋です」
「ああ。あそこ」
うちの学校は本校舎と体育館、実習棟と作業教室棟などの建物があるのだが、本校舎と実習棟は隣り合っていて渡り廊下でつながっている。
本校舎の裏には野球のグラウンドがあり、園芸部の花壇なども隣にあったはずだ。そして、野球のグラウンドから少し離れた実習棟の裏手に当たるところにプレハブ小屋が建っているのだ。
使ったことがない僕はてっきり倉庫か何かかと思っていたが。
「学校創立時に建てられたもので、結構古いのでこの際だから校舎内の空いている教室を探して引越しをしようかと。そして、プレハブ小屋に関しては老朽化を理由に取り壊してもらおうかと考えていたんです。神社から離れた場所で活動して、それを機にお供えをするのもやめようかと」
「ところが、そこで化学部の人たちが取り壊しに反対しているみたいなの」と虹村が補足した。
「化学部が? なんで?」
「あのプレハブ小屋は自分たちにも使用権があり共用として使ってきた。だから雑草研究部だけの判断で取り壊すのはおかしいと主張しているの」
ここで星原が、いやいやと首を振りながら問いただす。
「ちょっと待って。化学部の人たちはプレハブ小屋を使っている実績があるの?」
これには生田さんが片手を上げて答える。
「私の知る限りでは彼らがプレハブ小屋にいるのはあまり見たことがありませんね」
「でも、それじゃあ化学部がプレハブ小屋の使用権を主張するのは無理があるんじゃあないの?」
僕も同感だ。使ってもいないのに、なぜ化学部は使用権を主張するのだろう。
「……そこなのよ」と虹村が腕組みをして呟く。
「実はうちの学校の部活関係の記録を確認したら『雑草研究部と化学部の両方に』あのプレハブ小屋の使用許可の承認が下りていたの」
僕は思わず眉をひそめた。
「ろくに使ってもいないのに化学部にも使用権が下りていたのか。変な話だな。でも、それなら雑草研究部の使用権は放棄して、化学部にプレハブ小屋を譲ってしまえばいいんじゃないか?」
「それがそうもいかないの」
虹村は今度は僕の方に向き直って答える。
「校内の部活運営規則で『部室等の移動で新たな教室や施設を使用する場合は、『現在使用している部室が使用できなくなるなどのやむを得ない事情』がある場合に限られる』とあるのよ」
「ああ。校内の使える部屋も限られているものな。なるべく有効にスペースを使うためにそう決められているわけだ」
「それでクラス委員会では『部室の譲渡はこの規則で言うやむを得ない事情にはならない』と判断されたわけ。現状で取り壊されていない以上使えるんだから使い続けるべきだと」
生田さんが頭を抱えながらぼやくように口を開く。
「そうはいってもそれなりに老朽化しているんですけどね。化学部が変な横やりを入れなければ、使用不可能と判断して取り壊してもらえたかもしれないのに」
「それでね。クラス委員会で、どちらの部に正当性があるのか判断しなくてはいけないってことになったんだけれど。こうもややこしくなると、どうやって解決したものかと頭を悩ませていたの」
虹村はそう嘆くようにため息をついた。
「まあ、このままだと先生にでも相談して結論を出してもらうことになるんだけれど、それにしても、ね」
生田さんも虹村の隣でうんうんと頷いてみせる。
「何らかの判断材料がなければ、公正な決定を下してはもらえません。こちらとしては、なんとか化学部には正当な使用権はなかったことを証明したいんですよね。そもそも向こうはほとんど使用実績がないんですから。その上で、プレハブ小屋を取り壊して別のところに部室を引越ししたいわけです。……それなのに化学部の主張に引きずられて部内でも引越しに反対する人間が出始める始末でして。困りますよ、本当」
生田さんは自分たちの主張が認められることこそ、公正な判断と信じて疑っていないみたいだな。
「つまり、僕に何か判断材料になりそうな事実を見つけ出すのに協力してほしい、とこういうことかな」
「ええ。本来なら巻き込みたくはないのだけれど、信用が出来て頼りになる人と限定すると人手が足りなくて。……駄目?」
虹村は少し俯きながらも、こちらの様子を窺うようにちらちらと目線を向ける。
「……判った。でも少し調べても何も出てこないようなら諦めてくれよ?」
虹村には何度か助けてもらったこともある。ここらで借りを返すのもいいだろう。
「助かるわ。一応、それぞれの部活の関係者には話を通しておくから、明日から話を聞いてみてくれる? 勿論私も一緒に回るから」
ここで隣の星原が呆れたように半眼になって僕を睨む。
「全く、人が良いんだから」
「あはは。悪いわね。星原さん。……ちょっと、『月ノ下くん』借りていくわ」
「貸すだけだからね」と星原がほんの少し、つんけんした口調で応えた。
僕は別に星原の所有物ではないつもりだが。
でも彼女がこんな風に僕に対してすこしムキになってくれているところは、嬉しいといえば嬉しいかな。
そんなことを考えていると彼女が僕の袖を引っ張った。
何だろう、と思わず顔を近づける。
「……私も、何かあったら相談くらいには乗るから」
星原は耳元でそっと僕にそう囁いた。
「ありがとう。困った時には遠慮なくそうさせてもらうよ」
僕は内心どきりとしながら彼女に頷いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます