第32話 プレハブ小屋にて

「早速だけれど、まずはプレハブ小屋を実際に見てみましょうか」


 三月上旬に差し掛かったところだが、空は薄曇りである。


 寒風が吹きすさぶ本校舎の渡り廊下を僕と虹村は歩く。


 あれから翌日の放課後。


 僕らはとりあえず問題となっている実習棟裏のプレハブ小屋を実際に確認するべく、足を運んでみることにしたのだった。


「そういえば、どうして一年生の生田さんがクラス委員会に訴えに来たのかな」

「どういう意味?」

「いやだって、本来ならこういうのは代表として部長が来るべきなんじゃないか」

「……その生田さんが部長なの」

「一年生なのに?」

「部員が少なくて、三年生も途中で退部したらしいの」


 色々、苦労していたんだな。彼女。


「ちなみに、虹村は生田さんを助けてあげたいと思っているのか?」

「いや、それが。彼女がクラス委員会に『部室を引越ししたい』って訴えてきたときに、たまたま応対したのが私だったのよ。最初は老朽化の状況を見て判断すれば、すぐ済むと思っていたんだけど。……まさか複数の部活が使用している状況になっていて、しかもその一方が『まだ使える』『取り壊さないでほしい』と主張してくるとは思わなくてね」

「それで行きがかり上、面倒を見ることになったわけか。まあ双方の部活に使用許可が下りていたとなると、両方に管理権があることになるから、一方の判断で取り壊すかどうか決められないものな」


 しかし許可が下りた当時は何故、複数の部活に許可を出すことが問題にならなかったのだろう。利害が対立してトラブルになるとは誰も思わなかったのだろうか?


 僕の脳裏をそんな疑問がかすめたところで「着いたわ」という虹村の声で思考が遮られた。


 本校舎と隣接する実習棟の裏に当たる場所にその小屋は建てられていた。


「なるほど。こういってはなんだが確かに古めかしいな。建て直しを検討されるのもわかる」


 平らな屋根と金属製の壁で覆われた実用性だけを残したようなデザイン。


 大きさは八メートル四方といったところだろうか。古びた建材のあちらこちらには錆が目立ち、手前側に引き戸の出入口が設置されている。鍵は一応かけられるようになっているようだ。


 また、壁には雑草研究部のものらしい大きめの梯子が横倒しに立てかけられている。


 虹村が「生田さん? 入るわ」と軽く声をかけると、パタパタと内部で足音が聞こえてくる。やがてガガッと耳障りな音を立てながら扉が開かれた。


「どうも。よくいらっしゃいました!」


 現れたのは生田さんではなく別の少女だ。


 無造作にショートカットにした巻き毛の髪をカチューシャでまとめた活動的な雰囲気の女の子である。目も大きめでそこそこ可愛らしい。


 外で何かの作業をした直後だったのだろうか。彼女はジャージ姿で、手には軍手、足にはゴム長靴を履いている。


「クラス委員会の方ですね! 聞いています」


 僕はやたら活発な声に少し気後れしながら、声をかけてみる。


「えーと、君も雑草研究部の?」


「はい。一年A組の鶴川萌香つるかわもえかです。……さあ。どうぞどうぞ入ってください」


 彼女に言われるままに僕らはプレハブ小屋の中に足を踏み入れた。


「これは……」

「へえ」


 僕と虹村は思わず感嘆の声を漏らした。


 部屋の中には様々な雑草の標本が並べられていた。紙に張り付けられたものもあれば、小瓶に生けられたもの、小さな鉢に植えられたものもある。


 そしてそれぞれにラベルが貼られていて、採取された場所と種類が書かれているようだ。


 それらのほとんどは棚に整理されていたが、たった今採取されたものらしい草を他の二人の一年生部員らしい女子が真ん中の作業台で観察していた。


「なんか凄いような気もするけど、違いが判らないな」

「そうですか? 例えばこれなんてスギナですけど」


 鶴川さんは標本の一つを指さして説明を始めた。


「いわゆる多年生雑草で、冬になって地上部分が枯れても地下部が生き残って何年も生き続ける類のものですが、春になれば胞子部分がツクシになるんです」

「え、これがツクシなのか?」


 植物に詳しくない僕でも流石にツクシはわかる。


「はい。ツクシは食べられますし、生薬の材料にもなるんです」

「へえ」


 続いて彼女は別の標本を指さす。


「それから、これはヨモギです。キク科の多年草ですが、草餅の材料として有名ですね。天ぷらにもできますよ」

「ああ。これがヨモギなのか。そう言われると微かに良い香りがするな」


 さらに鶴川さんは別の雑草標本を指さして説明を続ける。


「そしてこれはセイタカアワダチソウです。アレロパシー効果があるので有名です」

「有名と言われても。……そのアレロパシーとやらが何なのか」

「要は、他の植物の成長を抑制する化学物質を出すんです。それによって他の雑草を駆逐してしまうんですよ。ただ、一定の濃度を超えると自分自身の発芽も抑えてしまうんですよね」

「なんだ。その本末転倒な生態」

「でも、こういった成分を応用すれば新種の農薬になるかもしれないでしょう」

「……まあ、確かに」


 部外者にはなかなか理解しにくいが、彼女たちなりに真剣に情熱を傾けているのは伝わってきた。


 横で虹村も「そういうものなのか」と説明に聞き入っていた。


「さあ。あなたも雑草のすばらしさがわかってきたでしょう。私たちと一緒にこのめくるめく雑草の世界に浸って良いんですよ。今からでも入部は遅くありません」

「いや、別に僕は入部しに来たわけじゃないが」


 僕は鶴川さんの言葉を否定しようとしたが、彼女はそんな僕の反応を無視するように熱弁をふるい続ける。


「そもそも、我が部の始まりは創始者のサイキヘイシロウなる御方が我が校に降臨なされたのが始まりと言われているのです」

「はあ」

「当時の学校周辺の植生は荒れ果て、土壌はやせ細り、荒廃を極めていたとされています。その有様を見かねたサイキさんがこう言われました。『光あれ』と」


 何だかやばい話になってきた。


「すると闇に光が差し、数か月ののちには緑豊かな草山が現れたとされているのです。その後サイキさんはまた言われました。『柵を作り、草と花を分けよ』と。そうして花壇で分けられたものが雑草とされたのです。またサイキさんはこう言われました。『地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ』と。その教えに従い雑草研究部が作られ、私たちは草を分類し研究し続ける伝統を守り今に至っているのです」

「へえ」


 聖書の創世神話かな。


 僕はどうしたものかと隣の虹村の様子を伺ったが、あの毅然とした彼女が完全に目の色を消して顔を引きつらせている有様だった。


 流石にどうリアクションしたものか、対応を考えあぐねているらしい。


「鶴川さん。そのくらいにして。お二人とも困惑しているでしょう」


 生田さんが部屋の奥に立って困ったような顔でこちらを見ていた。彼女はジャージではなく制服の上に白衣を着ている。


「しかし部長! 部員以外の人間が、しかも男子が部室に来てくれるなど滅多にありませんよ? 部長だって男手が欲しいと言っていたではありませんか」

「まあ、確かに言いましたが」

「それならこの際、色仕掛けでも何でもして引き留めて勧誘するべきです! 何なら私が一肌脱ぎますから」

「……仕方がありませんね。許可します」

「いや、しないでください」と僕は間髪入れずに答える。


 何か、物凄く胡散臭い宗教団体の勧誘を受けている気分になってきた。


 横で虹村が僕を軽く肘で小突いた。


「もしかして今、まんざらでもない気分だったんじゃない?」

「馬鹿言うな。あいにく雑学を披露する女子なら間に合っている」


 とはいえ虹村が同行してくれて本当に良かった。もし彼女がそばに居なかったら、更にどんな勧誘を受けたかわかったものではない。


 僕は改めて生田さんに話を聞くことにする。


「えっと、本題に入りたいんだけど。このプレハブ小屋は創部当初から使っていたのかな?」

「ええ。そう伝え聞いていますし、部室の使用申請書の年月日もそうなっているはずです」

「この部はいつ創部されたんだ?」

「確か、学校創立と同じ年です。だから二十年以上前ということになります」


 学校創立と同じ、か。


「そうすると、さっき話に出た創立者のサイキとかいう人が部室の使用申請もしたんだろうな」


 すると「そうなんですよ!」と鶴川さんが口を挟む。


「大変、信心深い方でもありまして、活動の際に山に入って得られた収穫物を裏の神社にお供えする儀式を始めたのもその御方なのです。私たちも日々の成果に対する感謝として、我が部の繁栄を祈りつつ、その功績にあやかってその伝統を続けているのです」


 例の神社にお供えする伝統を始めたのもその創始者だったのか。


「だから部室を移転してお供えを止めるなど、とんでもありませんよ。前にお供えをするのを忘れた部員が遅く残っている時に、誰も人がいないはずなのに物音が聞こえたり、笑い声が響いてくるなどの怪奇現象が起きたという逸話もあるくらいです。……きっとお供物が無くなっていたのも代々私たちを見守っていた山神様がお受けくださったのでしょう」


 とうとう本格的にオカルト方面の話題に入り込んでしまったか。


 そして生田さんが言っていた「部内でも引越しに反対する人間が出始めた」というのはこの子のことだったらしい。


 僕が精神的疲労でもう帰りたいなと考え始めたその時、虹村が「それにしても」と呟いた。


「これだけ物が置かれていると、やっぱり他の部が使うようなスペースはないように思えるね。……それとも化学部も何かに使っているのかな?」


 彼女はプレハブ小屋の中をぐるりと見まわした。


 部屋の中央には作業台が置かれ、部屋の隅の棚には標本が整理されている。しかしその反対側には如雨露にホース、シャベルなどの庭いじりで使われそうな道具が一式置かれていた。


 ここで生田さんが眉をしかめながら小さくため息をつく。


「化学部で野外活動をするのに一年に何度かうちの道具を借りて使用をしている、といった程度ですね。この部屋を化学部が使用するようなことはほとんどなかったと思います」

「そうなの。ちなみに化学部はいつ創立されたのか、とかは聞いたことある?」

「向こうも、学校創立と同じ年らしいです」

「いやいや、仮にそうだとしてもうちのサイキさんの方が先にここを使用していたと思いますよ?」とここでまたも鶴川さんが口を挟んでくる。


「偉く神格化されているね、その初代部長のサイキさんは」


 僕が感想を述べると生田さんが少し困ったように頭を掻きながら口を開く。


「まあ、他にもいろいろ逸話が伝わっていまして」

「逸話?」

「何でも、この学校の創立当時。この地は戦乱で乱れ、周辺に悪逆非道のならず者が跋扈していたことがあったそうです」


 こっちはこっちで胡散臭そうな話を始めた。


「我が校の生徒もカツアゲや暴力行為に走る不良どもに絡まれて、苦難の日々を送っていました。しかしある時のこと」

「は、はあ」

「天から我が部の創始者サイキさんが舞い降り、手に持った梅の枝でえいやとひと振りをすると、その霊力で邪悪な者どもは恐れをなして逃げて行きました。その後、魔を祓う縁起物として知られる梅の枝をこの地に植えそれを守り、毎年梅の実をサイキ様の功績をたたえて神社に供え祭るようになったのが、うちの部の伝統の始まりとも聞いています」


 どこぞの地方の日本神話かな。


 あと、魔除けの力があるのは梅ではなく桃だったような気がするが。 


 おもわず虹村と一緒に胡乱な目で彼女を見つめていると、生田さんは恥ずかしそうに顔を赤らめてコホンと咳払いをする。


「流石に私はこういう話は信じていませんからね」

「そうか。……とりあえず言い分はわかったよ」


 これだけだと正当性を判断する参考にはなりそうもないが。


 ……ただ、プレハブ小屋の裏にあるという神社の話は気になった。


 もしかすると「プレハブ小屋を建てる際に元々そこに建っていた神社を移築させた」とか、小屋と神社の間には何かの関連があったのかもしれない。


「虹村。ついでだからその神社とやらを見に行かないか」

「……ええ。私もそういうものがあるのなら念のため確認しておきたいかな」


 彼女は眼鏡を右手で軽く押し上げながら少し疲れた表情で答えた。

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