第30話 それぞれにとっての悪役
僕は秋津くんに問いかける。
「このケーブルは君のものだったんだろ? だが、自分のものだと言えば何に使用していたのか怪しまれる。だから日野崎が返すために持ち主を探しているといってここに来ても名乗り出なかった。違うかな?」
「う。……あ」
彼は顔を引きつらせながらも首を横に振る。
「それじゃあ、君が部活動中に持ち込んでいるカバンを調べさせてもらっても良いかな」
秋津くんは怯えたように自分のカバンに目をやる。おそらくあの中には買い替えの時に予備のIPアドレス「037」を割り当てられた旧型のノートパソコンが入っているのだろう。
「あ、秋津?」
保谷部長の呼びかけに彼は絞り出すように答えた。
「ぼ、僕はただ、尊敬する大泉先輩を。……軽薄な人気取りの記事で支持を集めたあの女が、先輩を追い出してデスクとして居座っているのがおかしいと思って。だから本当の読者の評価を何かの形で知らしめたかったんだ。……悪いのは清瀬で、大泉先輩はまっとうな人だったって。そ、そんな時に大泉先輩の残したパソコンからホームページに投稿するボットを見つけたから。これは『仇を討ってくれ』ってことなんだと思って」
と、そこで横で黙って話を聞いていた清瀬が厳しい目で秋津くんを睨みつける。
「そうか、そうか。そういうことか。つまり君が意図的に、ボットAIが検索した時引っかかるキーワードを入れて私や新聞部に批判的な言葉をネット上の掲示板に書き込んでいたというのか。ふざけた真似をしてくれたな」
秋津くんは「ひっ」と小さく怯えた声を漏らして後ずさりした。
清瀬はそんな彼を逃がすまいと襟元を右腕でつかもうとする。
「清瀬。……ちょっと待ってくれ」
僕は彼女らの間に割って入る。確かに秋津くんの行いは褒められたことではないが、この場でつるし上げて追い詰めてしまったら新聞部のその後の雰囲気はもう二度と元には戻らない気がしたのだ。
だが、清瀬はそんな僕にさえ敵意のこもった目を向けてきた。
「何が『これも大衆の意見を代弁する形の一つ』だ! 実際はネット上の意見の総意だったんじゃあなく、それを秋津が都合のいいように歪めていたんじゃあないか」
「……確かにその通りだ。でも僕には清瀬にそれを責める資格があるとも思えない」
「何だって!」
「清瀬は僕の前でこう主張したな。『報道は声なき大衆の代弁者であるべきだ』と。そして問題点や歪みを伝えて啓蒙するのが役目だと」
彼女は僕の言葉に噛みついてくる。
「ああ、そうだ。報道の役目は自分の目で社会の歪みだと感じたことを大衆に知らせることだ。そして読む人間も自分で考えて結論を出すより、報道する側の人間に何が正しくて何が悪いのかを最初から示してもらうことを望んでいる」
「そしてわかりやすい悪役を求めている、ということか」
彼女は僕の言葉に一種の挑発を感じ取ったようで、鼻白んで僕を睨む。だが僕は彼女の態度に構わず続けた。
「秋津くんがしたことも清瀬と同じじゃないか。彼も自分の目線で歪みだと感じたことを『ネット上の読者の代弁者』という形で主張したんだ。君という『わかりやすい悪役』を示してね。清瀬と彼の考え方に何の違いがあるんだ?」
「私の書く記事をあんな程度の低い誹謗中傷と一緒にするのか?」
「勿論、内容のレベルは全くの別物だよ。でも秋津くんの行動原理は。大泉先輩に心酔していた彼の思考は、皮肉だけど大泉先輩と反目している清瀬の考えを体現しているんだ。『自分の価値観で問題だと思ったことを大衆の総意として主張しても良い』という君の考えかたを、ね。……つまり彼は、大衆の総意を個人が騙ることのいびつさを清瀬に身をもって教えてくれているとも言えるんだ」
そこで保谷部長が「やれやれ」と呟いて「もうその辺にしておけ、清瀬。……確かに秋津の行動には問題があるが、ボットを作ったのは大泉で、秋津はそれを知ったうえで一個人としてうちの学校関連のネット掲示板にコメントをしただけともいえる」と静かにいさめた。
「しかし、部長……」
「それにホームページの運営ができる人間はこれからも必要だからな。もちろん部活時間中に学内新聞と関係のない作業をしていた疑いはあるから、それも含めて一定期間の部活参加禁止の措置はとるさ。だがそれを終えたら、もう秋津のことを責めるのはやめろ。部内で我を通して良好な人間関係を築けなかったおまえにも落ち度はある」
ここで保谷部長は僕に振り返って皮肉な笑みを見せる。
「月ノ下だったな。なかなか面白い人間だな、君は。……もっとも新聞記者には向かないようだが」
「それは、どうも」
そもそも新聞記者になるつもりはなかったけれども。
清瀬が僕を振り返って「フン」と苛立たし気に鼻を鳴らした。
「大変不本意だが君には一つ借りができたようだ。いずれ返させてもらうよ」
言葉の端々に「お前なんかに助けてほしくなかった」という気持ちが透けて見えている気がする。
「別に返す必要はないさ。…………勝手にやったことだからね」
秋津くんも恨みがましい目で僕を睨む。彼としては尊敬する先輩のために正しい行いを密かにしているつもりだったのに僕に暴かれたことを根に持っているんだろうか。
「それでは、用は済みましたので失礼します。……行こうか」
僕の呼びかけに星原と日野崎がそれぞれ無言で立ちあがる。
新聞部員たちのどこか冷たい視線を背に受けながら、僕らはパソコン教室を後にした。
「なんかさ、変な感じだよね。……月ノ下は一応、新聞部の問題を解決したのに口ほどには感謝されていないような雰囲気だった」
廊下を歩きながら日野崎がパソコン教室を振り返って呟いた。
「今回に関しては別に誰かに頼まれてもいないのに、勝手に僕自身が首をつっこんでおせっかいな正義の味方よろしく犯人を指摘したわけだからね。……慣れないことはするもんじゃないな」
「正義の味方なんて、フィクションでは格好いいけど現実に居たら案外煙たがれるものじゃない? ほら、警察だってあまり好きじゃない人もいるっていうわ」
星原は僕の隣ですました顔で応える。
「それに正義というのは、結局誰に対しても平等な立場で裁くものだものね」
「……そうだな」
保谷部長や他の部員たちは、きっと「新聞部ではない外部の人間が悪口を書き込んでいたという真相」が明かされることを期待していたのだ。
そして清瀬も自分のことを誹謗していた人間が暴かれ、裁かれることで自分の正しさが証明されると信じていたのだろう。
一方、あの秋津くんは尊敬する大泉先輩のために新聞部員の悪口を書き込む自分の行いは肯定されるべき正義の告発と考えていた。
しかし僕が明らかにしたのは「犯人が同じ部員である秋津くんであり、その思想は自分の価値観で大衆を扇動しても構わないとする清瀬の考えに酷似するものである」ということだったのだ。
それは新聞部員たちにとって、不都合な真相だった。
清瀬にとって、不愉快な証明だった。
秋津くんにとって、不本意な告発だった。
けれども僕としてはあのまま犯人が判らない状況が続くよりもはっきりさせた方が部内の人間関係として、長い目で見た時に健全なのではないかと思ったのだ。
星原の言うとおり、現実の正義の味方というのは嫌われるものなのかもしれない。
そんな風に考えて物憂げな表情になっていた僕を星原が覗き込む。
「大抵の物事には賛成する人間と反対する立場の人間、両方がいる。たまたま新聞部の人たちはあなたの姿勢に否定的だった、それだけの事よ。……きっとあなたのことを正しいと思う人間だっているはずだわ」
そうだろうか。
例えば、あの大泉先輩が夢想するような「大衆の総意を代弁してくれる人工知能」に僕の今回の一連の行動について尋ねたら大きな視点でもって適正に評価してくれるのかもしれないが。
僕自身にしたところで「自分の行動は今時点では疎まれるものだったとしても、この先も新聞部が活動し続けることを考えた時に彼らを少しは良い方向に向かわせるのではないか」と期待しているという、ただそれだけなのである。
必ずしも正しい行動だったと確信しているわけじゃない。
将来的に良い結果になるのか悪い影響を及ぼすのか。それはきっとまだ誰にもわからない。
けれどもし、僕の行為が誰の救いにもならなかったとしたら?
「……よお」
唐突な呼びかけに僕の思考は途切れた。
廊下の壁に身を預けて軽く手を挙げて挨拶をしたのは、髪を刈りこんだ精悍な印象の三年生だった。
「大泉先輩」
「いや、俺としてはそんなつもりはなかったんだけど、な。結果的にお前らに迷惑をかける形になっちまったかと思って気になっていたんだ」
彼は頭を軽く掻きながら僕の方に顔を向ける。
「後輩の間違いを正してくれてありがとうよ」
「……え」
「昨日話したとおり、俺は清瀬の奴の言い草を皮肉ってやろうと思って軽い悪戯で部を辞めるときにボットを仕込んでおいたんだ。まさか秋津の奴が気が付いて、清瀬の中傷に利用するとは思わなくてなあ。……本当は俺が止めるべきだったのに嫌な役回りを押し付けたな」
「でも、僕は結局あれが正しいことだったのか、わからなくて」
だが大泉先輩はそんな風につぶやく僕を「はっは」と声を上げて笑って見せる。
「世の中にこうすればうまくいく確かな方法なんてそもそもないさ。大事なのはな。周りに流されずに一人一人が自分の意志で正しいと思うことを懸命に考えて今を判断する、ってえことだよ。それが集団の意識そのものをより正しい方向に進めることに繋がるんだからな」
そう言い捨てて、大泉先輩は僕に背を向けて去っていった。
僕は呆然と立ち尽くす。
そこで日野崎がポンと僕の肩を叩いた。
「とりあえず一人いたじゃない。月ノ下のしたことに意味を見出してくれる人が」
「……そうだな」
「それに、大泉先輩だけじゃない。あたしだって何もしないよりはきっといい結果に結びつくと思うよ。それに」
日野崎は意味ありげに星原に目配せをする。そう思っているのは自分だけではない、というかのように。
星原は誤魔化すようにフンと鼻を鳴らして「ほら。嫌なことはさっさと忘れて、勉強会の続きをしましょうよ」と歩き出した。
例えカウリの木のようにつながっていなくとも。
あるいは集団意識を再現した人工知能に尋ねなくとも。
僕には彼女が日野崎と同じように僕を気遣ってくれていたのがわかったのだった。
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