第22話 新聞部のトラブル

 階段を下りて本校舎の一階につくと昇降口の方から外気が吹きつけてくる。


 自動販売機は本校舎を出た渡り廊下の向こうにある。


 僕はそのまま昇降口を通り過ぎて実習棟に続く渡り廊下の方に足を向けようとした。


 その時だ。


 一人の少女が下駄箱の前に佇んでいたのが目に入ってきた。


 メタルフレームの眼鏡をかけて、背中にかかるあたりで髪を切りそろえたキャリアウーマンといった風情を漂わせた女子である。


 一応見知った顔ではあるが、用事もあるので僕はとりあえず気づかないふりをして通り過ぎることにした。


 しかし向こうは一瞬首を動かして僕の存在を確認するやいなや急に鋭い眼差しになる。そしてそのまま真っすぐに僕の方へ接近してくるではないか。


 どういうことだろう?


 僕は思わず急ぎ足で渡り廊下に出ると、素早く角を曲がり校舎裏に身をひそめた。


 そのまま静かに息を殺して様子を伺う。


 彼女は僕を探し回っているのだろうか。


 しばらく微かな足音が響いていたが、やがて何も聞こえなくなる。


 何の用があるかは知らないが、僕はあの少女とはあまり関わりたくない。


 僕は心の中でそのままどこかに行ってほしいと願った。


 そのまま数十秒が過ぎる。


「……………行ったか」


 小さく安堵のため息をついて僕は校舎裏の角から顔を出した。


「やあ」

「うわあ!」


 先程の少女がそこに立っていた。


 てっきり遠ざかっていったと思っていたが、僕が隠れていることに気が付いて待ち伏せしていたらしい。


「何も顔を見るなり逃げ隠れすることはないだろう。二年B組の月ノ下真守くん」


 僕は何とか体裁を繕おうとコホンと咳払いをして平静を装って見せる。


「用もない相手がいきなり近づいてきたもので。ちょっとびっくりしたんだよ。……二年A組、新聞部の清瀬きよせくるみさん」


 そう。この清瀬くるみという少女は新聞部に所属していて、クラス委員会や部活動の校内運営に鋭く切り込んだ記事を書くことで知られた才女である。


 数か月前のことだが、僕は女子サッカー部で部室内の会話を盗み聞いて教師に告げ口している人間を探るために、彼女からも参考に話を聞いたことがあった。


 その時にちょっとした質問をするだけのつもりが、僕は清瀬と軽い論戦を繰り広げたのである。そしてそのやり取りで、彼女とはどうにも主義主張が合わない苦手なタイプの人間だと僕にははっきりとわかった。


 そういうわけで出来れば関わりたくないと感じていた僕はとっさに接触することを避けてしまったのだ。


 一方、彼女の方は眼鏡のレンズの向こう側から鋭い目線で僕をにらみつける。


「怪しいね。何か後ろめたいことでもあったのかな?」

「別にそういう訳じゃないけど」

「どうかな。人の陰口をたたくような真似をして喜んでいるんじゃないか?」

「そういう趣味は持ち合わせていないつもりだよ。僕に何の用なんだ?」


 清瀬はここで探るように顔を覗き込んでくる。何だか落ち着かない気分だ。


「掲示板にコメントの書き込みをしたことは?」

「掲示板? 校内新聞を掲示しているあれか? 書き込む場所なんてあるのか?」


 校内新聞や部活の募集の張り紙は職員室前の掲示板に貼ることになっている。だが、特に何かを書き込むようなスペースはなかったはずだ。


 彼女は僕の反応に戸惑ったように眉をひそめる。


「……ネットの掲示板だ」

「ああ、インターネットの。……ああいうのは僕は興味のある分野以外のものは見ないし、自分で何か書き込んだりはしないことにしているけど」

「では、君じゃないのか」

「……何が?」


 僕が清瀬の様子を不審に感じて、詳しく話を聞こうとしたその時だ。


「戻ってくるのが遅いから様子を見に来たのだけれど。……お邪魔だった?」


 本校舎の入り口に立っていた星原が、顔を突き合わせている僕と清瀬を胡乱な目で見つめていたのだった。






「疑って悪かったね」


 あれから清瀬は僕と星原に缶コーヒーをおごると「事情を説明したいから部室まで来てほしい」と告げて本校舎二階のパソコン室まで連れてきたのだった。


 僕らの天道館高校のパソコン室には二十台ほどのノートパソコンが設置されていて授業で使用する時には二人で一台使用することになっている。週に一度は各クラスで「情報技術」という授業で基本的なパソコンの使い方を教えるのに使っているが、放課後に調べ物をする際などにも使う生徒はいる。


 そしてそれ以外で使用しているのが清瀬の所属している新聞部である。


 彼らは共用のプリンタが近くに置かれている六台のパソコンを部活用としてアカウントを設定して使用しているそうだ。今現在も何人かの部員たちがパソコンの前に座って作業をしていた。


 僕と星原は隣り合ったキャスター付きのパソコンチェアにそれぞれ腰かけ、向かい合うように清瀬も座る。


「それで一体何の話だったんだ? 掲示板がどうとか」


 清瀬は僕の質問に重い口を開いた。


「実はうちの新聞部はホームページを運営していてね。数年前から過去のバックナンバーなども掲載している。昔はアクセスするのはごく一部の生徒だったが、私が記事を担当するようになってからはアクセス数も増えてね。同時にコメント欄も肯定的な感想やこういう内容を取り上げてほしいなんて言うリクエストもあって、私たちのやりがいに繋がっていた」

「へえ。ホームページなんてあったのか」


 缶コーヒーを片手に持った星原が思い出したように目を少し見開いた。


「私も一度見たことはあるわ。人気のコラムだけ読み返したくなったことがあって。……それじゃあ、さっき言っていた掲示板というのは」

「ああ。うちの部のホームページの掲示板、BBSのことだ。二ヶ月ほど前から見るに堪えない誹謗中傷が増え始めたんだ」


 誹謗中傷。こういっては何だが同じ校内の人間がそんなことをすれば悪口の内容によっては特定されるかもしれないのに、よくそんなことを新聞部のホームページに書き込んだりしたものだ。僕は思わず首をかしげる。


「その誹謗中傷というのはどんな内容だったんだ?」

「いろいろだよ。……文章の書き方に的外れな指摘をしたり、記事の内容について一方的だと非難したり、私自身への悪口などでね」


 そう言いながら、彼女は苦々しい表情ですぐ近くの起動していたパソコンを操作した。


「ほら、こんな感じだ」


 彼女がパソコン画面のショートカットアイコンをクリックすると新聞部のホームページが表示された。ドラッグしていくと過去の新聞記事とコメント欄が選択できるようになっている。そのコメント欄の一つを彼女は開いて見せた。




『この新聞部のコラム、マジ文章が臭いんだけど。俺ならもっと受ける文章書けるわ』

『新聞部はなんでウチの応援してる野球部を悪く言うんですか。ありえないし』

『新聞部マジ死ね死ね死ね』

『この清瀬とかいう女、なにイキった文章かいてんの? 新聞部で唯一の女だからってお姫様気取って調子乗ってんだろ』

『清瀬は顔だけは良いからな。新聞部長に股開いて、元々いた男子のデスクを追いだして後釜に座ったらしいじゃん』




 その他にも目をそむけたくなるような罵詈雑言がずらりと続いていた。


 清瀬は憂鬱な表情で僕らを見やる。


「いわゆる荒らし書き込みというやつだ。最初は削除していたんだがね。次から次へと書き込みがされてきりがないんだ」

「これは……ひどいな。それでこんなことをするような相手に心当たりはあるのか?」

「一応、三つほどはある。一つ目だが、知っての通り私たちは、部活の運営などでも問題があると思えば記事にしている。数か月ほど前に野球部の予算が増えたのだが、それはどうも理事長の奥さんが高校野球にはまったのが原因だったそうでね。『教育者が自分たちの趣味で特定の部活に厚く援助するのはえこひいきじゃないか』と非難する記事を書いたんだ。そのせいで野球部の連中から恨みをかった可能性はあるな」

「……なるほど」


 僕が彼女の話に頷くと隣に座っていた星原が口を開く。


「それで? その人たちのところにも、さっきみたいに聞きに行ったの?」

「まあ、そうしようかと考えて事前に調べはしたんだけどね。野球部は放課後から数時間にわたりほぼ毎日練習しているんだ。そんな連中がいちいち家に帰ってからパソコンやスマートフォンで書き込みをしているとは考えにくくてね。それに書き込みをしていた時間帯の中には野球部の練習時間と重複するものもある」


 つまり尋ねる前に下調べをした段階で容疑から外れたという訳か。


「二つ目は、半年ほど前にこの新聞部に所属していた大泉という三年生部員だ。彼と私は記事の方針を巡って意見が対立してね。結局彼が部を辞めて出て行ったんだ」

「つまりその彼が逆恨みして悪口を書き込んでいる、ということ?」


 星原の疑問に清瀬は首を横に振った。


「私もそう考えたんだが、しかしどうも書き込んでいる中傷がこう、内容についての批判だけならともかく程度の低いものが多く含まれていてね。どうもしっくりこないんだ。考え方は違う人間だったがこういう言葉選びはしないだろうと思わせるものがあってね。……一応本人に聞いてはみたが『自分は悪口など書き込んでいない』と否定された」


「それじゃあ、最後の心当たりは?」と僕は話の先を促した。


「うん。悪口の書き込みが増えてきたのは二ヶ月ほど前といったが、ちょうどその少し前にある男子の同級生とちょっとした言い合いをしてね。一見大人しそうに見えたが、ああいうタイプは影に回るとどんな陰湿なことをするかわからないと考えて、候補として考えてみたわけだ」

「へえ、なるほど、……ってそれは僕のことか」


 僕は思わず顔を引きつらせた。


 勝手にとんでもないレッテル張りをしてくれる。


「ああ、だから掲示板に書き込みをしていないかとかまをかけてみたわけだが、まるでぴんと来ない反応だったからね。とぼけるような演技ができるようにも見えないしこれは違うだろうと思ったんだ」

「あのなあ」

「だから謝っただろう。疑って悪かった、と」


 何か言い返そうとしたその時、僕の口から出かかった言葉は「ガラッ」という扉が開けられる音にさえぎられた。


 何事かと振り返ると髪を後ろで結い上げた眉目秀麗な一人の少女が入ってくる。


「すみませーん。新聞部の人いますか?」


 あれは僕らと同じ二年B組の日野崎勇美ひのざきいさみだ。お人好しの熱血漢で知られる運動神経抜群の快活な少女である。彼女とは数か月前から助けたり助けられたりで、気の置けない友人と言って良い関係だ。


 しかし、正直言ってパソコンなどの機械関係とも新聞部とも縁の薄そうな彼女がなぜこんなところに来たのだろうか。


「何か御用ですか?」と新聞部員の一人が応対しようとしたところで、日野崎の方も僕らに気が付いて手を振った。


「あれ? 月ノ下と星原じゃない。奇遇だね!」

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