第23話 謎のIPアドレス

 日野崎が新聞部を訪れた理由はこうだった。


 彼女は今日の授業でパソコンを使用する内容のものがあったため、この教室を使っていた。しかしその時にたまたま自分が座った席で誰かの忘れ物を見つけたのだという。


 彼女が見つけたそれは一本のUSBケーブルだった。


 おそらく前の授業でこの教室を使った二年C組の誰かが忘れたのではないかと考えて、日野崎はC組を訪れたが誰も名乗り出なかった。それならば新聞部の誰かが置いていったのではないかと今度は新聞部を訪れたということだった。


 人が良くてまっすぐな彼女らしい行動ではある。


 黒縁めがねの実直そうな三年生男子が日野崎の話を聞いて軽く頭を下げた。


「新聞部部長の保谷ほやだ。……わざわざそれはどうも。しかしうちの部でもこんなものを使っている人間がいたかな?」


 保谷部長は問いかけるように他の新聞部員たちに目を向けるが清瀬を含めて、特に誰も反応をせず首を横に振るだけだ。


 僕は日野崎に近づいて彼女の持ってきたケーブルを観察する。


 どこにでもありそうな何の変哲もないUSBケーブルだ。


「大方あれじゃないかな。授業中にこっそり携帯電話とかタブレットとかの充電をするのにパソコンにつないでいる輩がいた、とかそんなところじゃないか?」

「ああ。だから後ろめたくて名乗り出なかったってこと? じゃあ、下手に先生に届け出たりするよりあたしが預かっていた方が良いかな。そのうち名乗り出るかもしれないし」


 日野崎は小さくため息をついて、持ってきたケーブルを学校指定のカバンにしまい込んだ。


「ところで、二人はこんなところで何をしていたの?」

「実は新聞部のホームページに悪口が大量に書き込まれるというトラブルがあってさ……」


 僕は日野崎に簡単に経緯を説明する。


「へえ。そんなことがあったんだ。根暗なまねをするやつがいるもんだねえ」

「おい、月ノ下くん。部内の話をあまり吹聴されるのは困るんだが」


 清瀬が眉をしかめて僕をたしなめる。


「ああ、これは失礼。でも日野崎は人の困りごとを言って回るような奴じゃあないよ」

「仮にそうでも。人の口には戸が立てられないだろう」


 彼女がさらに何か言いかけようとした、その時。


「あのう、清瀬さん?」


 暫く無言でコーヒーをすすっていた星原がここで横から口を挟んだ。


「何だい? 星原さん」

「気になることがあるのだけれど、ホームページは新聞部で作成して運営しているのよね?」

「勿論そうだが」

「私もコンピュータに詳しい訳ではないけれど、それだったらアクセス解析とかできるんじゃあないの」


 星原の指摘はもっともである。管理しているのが新聞部なのであれば、手掛かりを探すのにはアクセス解析するのが一番手っ取り早いはずだ。


 しかし清瀬は難色を示すような歯切れの悪い言葉を返す。


「ああ。……まあ、その通りだな。そうするのが定石、だね」


 どうも気が進まないような様子だ。何か問題でもあるのだろうか。


 僕の内心の疑問をよそに清瀬は少し気まずそうにパソコンと向き合っていた一年生と思しき新聞部員の一人に声をかける。


「ええと。それじゃあ秋津あきつくん。アクセス解析をしてくれないかな」


 秋津と呼ばれた前髪を伸ばした神経質そうな少年が清瀬に向き直る。


「それ、命令ですか?」

「え? それはまあ、二年生のデスクとして、のだね」


 秋津くんは「はん」と鼻を鳴らして反抗的な目で清瀬を見上げた。


「ホームページの管理に関しては僕が直接部長から任されていますよね。いくらあんたがデスクでも命令されるいわれはないっすわ。どうしてもってんなら頭を下げてお願いしてもらわないと」


 清瀬は何かをこらえるように顔をひきつらせたが「ああ、この通りだ。アクセス解析をお願いする」と頭を下げる。


 そこで保谷部長が流石に見かねたようで口を開く。


「おい、秋津。……清瀬はデスクを任せるに足ると俺が認めたんだ。教えを乞うべき先輩を立てるのも部員として大事なことだ」


 しかし秋津くんは反省する様子はないようで肩をすくめて見せる。


「三年生の大泉おおいずみ先輩を追いだした二年生の誰かさんに対して『先輩を立てる』ようにしろってんですか? 矛盾しているんじゃないですかね」

「秋津」

「はい。わかりましたよ。……お願いされましたからね」


 そう言って彼は直前までやっていた作業を中断して、ホームページの管理画面を開き始めた。


 なるほど。清瀬がアクセス解析に及び腰になっていたのはホームページを管理している部員とあまり仲が良くなかったということらしい。


 もの言いたげな僕らの様子に気が付いたのか、清瀬はため息をついてから場を取り繕うように語り始める。


「恥ずかしながら私は取材と記事の執筆には自信があるが、インターネットのホームページやIT関係には素人でね。……以前ホームページを管理していたのが、さっきも話したが私と意見が合わずに出ていった『大泉』という部員だ。そしてそこの秋津くんは彼からその作業を引き継ぎ、新聞部の作業についても教えを受けていた言わば『愛弟子』なんだ。彼に心酔していたと言ってもいい。だから私のことをあまり良い目で見ていないという訳だ」


 僕は少し気になって尋ねてみる。


「その、意見が合わないというのはどういう事だったんだ?」


 僕の質問に、清瀬は髪をかきあげると演説でもするように片手を胸に当てて主張を始めた。


「私はね。『報道は声なき大衆の代弁者であるべき』と考えているんだ。問題を抱えながらそれを知ってもらえない人間の苦しみを見つけて広く伝える。あるいは知らされていない社会の歪みを多くの人間に知らせて啓蒙する。それがジャーナリズムの役目というものさ」


 その考え自体は間違っていないように思える。


「それじゃあ、大泉という三年生部員はその考え方がどういうふうに自分に合わないと考えていたんだ?」

「彼は私にこう反論した。『報道の役目というものをあまり過大にとらえるべきじゃない。あくまでも報道がするべきことは事実をありのままに伝えることだ。それを問題や歪みととらえるかというのは受け取った側が決めることだ。だから自分たちのすべきことは『こういう事実があった。これをどう思う?』と問いかけることなのだ』と主張していた」


 ここで彼女はふんと嘲笑するように鼻を鳴らす。


「考えが甘いと言わざるを得ないね。大衆っていうのはね。流されやすくて大局的な判断ができないものなんだ。自分で考えて結論を出すよりも『これが正解だ』と誰かにわかりやすく説明してほしいんだよ。それなら報道する側の人間が何が正しくて何が悪いのかを最初から示してあげるべきだろう?」


 僕としては彼女の言いぶりに何かひっかかるものを感じたが、とりあえず話の先を促した。


「それで……結局どうなったんだ」

「だから、そんなにいうなら結果で示してほしいとけしかけたんだ。私と彼でそれぞれ一週間ずつ同じ紙面を担当して、ホームページでより多くの肯定的なコメントがされた方がうちの部の方針を決めるとね」

「それじゃあ」

「ああ。結果は私の書いた記事が多く支持を集めた。その後、彼は失意に沈んだのか部を出て行ったという訳だ」


 勝ち誇ったように言いつのる彼女の様子に、僕はまたも何とも言えない気まずさを感じてしまう。


 いや実際どんな記事だったのかは見てみないとわからないが、必ずしも多くの人間に評価されたものが優れているとは限らないではないか。高尚な内容のものより通俗的で扇動的な内容のものが読んでいて心地よく響いてしまうなんてよくあることだ。


 ふと僕はなんとなく星原と日野崎の様子を伺うが、星原は無関心さを目に宿らせ、純朴な日野崎はこの手の確執にぴんと来ないのか首をかしげているだけだった。


 と、その時。


「解析結果が出ましたよ」と秋津くんが振り返って声をかけてきた。

「どれ、見せてくれ」


 清瀬は秋津くんの操作しているパソコンの画面を横から覗き込んだ。


 そこには数字と記号が羅列されている。素人の僕には見方がよく解らないがどういう内容なのだろう。


「……うちの掲示板に書き込みした人間のアクセス元を調べてみました。これがIPアドレスでこっちがドメインです」

「ほう、なるほど。……そういうことか」


 清瀬は秋津くんが見せた内容を確認してしきりに頷いていた。


「えっと、どういうことなんだ?」


 僕と星原は野次馬半分で秋津くんのパソコンに近づいてみる。清瀬は振り返って説明した。


「つまりだね。実のところIPアドレスを見ても個人の特定はできない。こういうのは使用している人間の契約しているプロバイダーが把握して割り振っているものだからね。警察ならともかく一般人がプロバイダー会社に問い合わせても答えてはもらえないんだ」

「はあ」


 それじゃあ意味がないのでは。


「だがね、どの書き込みが同じ人間なのかはわかるんだよ。ほら見てくれ」


 彼女の言葉に従って画面を凝視してみると、指さしたIPアドレスの一覧の部分にはかなりの割合で全く同じ数字が表示されているのがわかった。


「つまり罵倒を書き込んでいたのは全て同じ人間だったんだ」

「ええっ?」


 驚く僕の横で星原が「ふうん」と納得したように呟く。


「IPアドレスはインターネット上の住所みたいなものだと聞いたことがあるわ。つまりコメント欄の悪口は全部同じパソコンから書きこまれていたということね」


「へえ。そんなこともわかるんだ。すごいね」と日野崎が感心したように頷いた。


「それだけじゃあない。このドメイン欄を見てほしい」

「えっと、ドメイン欄?」

「ドメイン欄というのはIPアドレスを文字にしたものだ。わかりやすく言うと例えば最後にco.jpと付けば日本の会社ということになる。その前の文字でどこの会社から書き込んだのかもわかったりする。……そしてこのドメインは『うちの学校のもの』なんだよ」

「じゃあ、この誹謗中傷は全てうちの学校にあるパソコンのどれかから書き込まれた、ということなのか?」

「そういうわけだ」


 清瀬はふふんと自信にあふれた顔になる。


「ということは、だよ。うちの学校でパソコンがあるのは二か所だけ。職員室とこのパソコン教室だけだ。学校の教師が流石に校内新聞のホームぺージにあんな低俗な書き込みはしないだろう。つまりあの悪口はここにあるパソコンのどれかを使って書いたことになる」

「それはわかったが、そこから荒らしを書き込んでいた人間を探し出す方法があるのか?」

「IPアドレスはもうわかったんだ。そしてパソコンのIPアドレスは操作すれば表示させることができる。OSのメニュー画面で『コマンドプロンプト』というものがあるからそれを使って調べるんだ。……済まないが手伝ってくれ」

「ええ?」

 僕らはあくまで居合わせただけなのだが。


 しかし二十台もあるパソコンをすべて起動してIPアドレスを確認するとなると確かに手間ではある。これも乗り掛かった舟か。


 しぶしぶ僕は手当たり次第にパソコンを起動して、一つ一つのIPアドレスを調べることにした。


 星原と日野崎も巻き込まれる形になってしまったが仕方がないと思ったのか、僕と一緒に他のパソコンを操作し始めた。清瀬さんは続けて僕らに指示を出す。


「書き込みに使われていたIPアドレスは末尾が『037』となっていた。だからそれと同じものを見つけてくれればいい。……あとはそのパソコンを日ごろ使っている生徒がいるはずだから授業中か放課後か知らないが、目撃証言を集めれば書き込んでいる人間もすぐに特定できるというわけだ」

「はいはい」


 僕は小さく重ね返事をしながらIPアドレスを確認する作業に没頭した。しかし……。


「見つからないな」

「ええ。私も」

「こっちも違う数字ばかりだよ」


 そう。僕らはひととおり部屋にあった全てのパソコンを起動して確認したのだが、結果は芳しいものではなかった。


「そんなはずないだろう。見せてくれ!」


 納得がいかないという様子で清瀬はバタバタと一つ一つのパソコンを覗き込んでは走り回る。しかしその中のどれもIPアドレスの最後が『037』となるものはなかった。


 全ての端末を自らの目で確かめた彼女は愕然とした顔で座り込んだ。


「馬鹿な、一体どうなっている?」


 と、その時僕はあることに気が付いた。


「なあ。清瀬」

「……何だ?」

「この悪口の書き込みなんだけど平日の昼間や夕方だけじゃなく、深夜の零時過ぎにも書き込まれているみたいだが」


 僕の疑問に彼女はハッとなる。


 そう。これが学校以外の、個人のパソコンやスマートフォンの一般プロバイダーのドメインであったのなら何ら不思議ではない。家にいて深夜まで起きて書き込んだ、あるいは携帯電話から夜に書き込んだ。それだけのことだ。


 しかし誰一人いないはずの深夜の学校にパソコン室を使う者などいるのだろうか。


「それじゃあ何なんだ。誰もいないはずの真夜中に存在しないIPアドレスからコメントを書き込んでいるのはいったい誰なんだ?」


 不可解な事実を指摘する彼女の言葉に、僕も思わず薄気味悪いものを感じてしまう。


 ふと見るといつの間にか、さっき清瀬が立ち上げた新聞部のホームページのコメント欄に一つ新しい書き込みが増えていた。


『清瀬のやつ、ここの書きこみを特定しようとして新聞部で関係ないやつらに詰問してやんの。めっちゃ焦ってるじゃん。マジウケる』


 いつのまにか書き込まれていた彼女を嘲笑うその内容に僕はますます薄ら寒い思いがこみ上げてきたのだった。

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